『学習心理学特論』レポートへのコメント

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<2007年度版>
【事例編】
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■ 10円ノート

  登場するのは中学3年生,教科は英語。夏休みを過ぎてしばらくすると,毎年のように,受験勉強に乗り遅れた生徒が相談に来ます。「学力的には最下層」の生徒たちです。多くは,これまで努力して成功した体験が少ないのか,ひとりでコツコツ継続して努力することができません。結果が出ないと,すぐに投げ出してしまいます。

  教科書を全部訳し,訳を見ながらテープに合わせて英文を暗唱し,その後暗写する,といった力業的な勉強法でも,続けていれば着実に力がついていくものですが,それでも,定期テストや学力テストに結果が反映されるまでには,長い時間がかかります。そこまで持ちこたえられないのです。「問題集の基礎問だけでいいからやってごらん」と言ってみたこともありましたが,たいてい数ページで挫折してしまいます。読めない,分からない,目の前のテスト成績でも変化が実感できない。これではしかたがありません。せっかく久しぶりにがんばってみる気になったのに,努力してもちっとも結果(報酬)がついてこないのですから,辛いのはわかります。ましてや受験まで半年をきったこの時期,だれにでもあせりがあるにちがいありません。

  おまけに新潟県の英語の入試問題は,なかなか手ごわくて,多くが長文読解と長い英作文で,単語や熟語,簡単な文法問題はほとんどないのだそうです。つまり応用力が問われるわけで,学力下位の生徒にとってみると,基礎問題を勉強して確実に点数をアップするという戦略がとりにくく,少し努力をした程度では成果の出ない問題なのです。

  3年生の担任ともなると,毎年必ずこうした相談があって,教師にとっては悩みのタネ。そこでこの先生が始めたのが,「10円ノート」の実践でした。

  100円ショップや出入りの文房具屋に話をして,できるだけ安いノートを大量に買い込み,英語が苦手な生徒の中で希望者に10円で斡旋する。10円を払わせるのは,自分から進んでやっているのだと意識づけるためだ。これだけで,すぐに放り出す生徒は減る。

  毎日,長文問題の比較的短いもの(入試に出た問題を変えたもの)をコピーし,このノートに貼って生徒にわたす。生徒は,辞書を引きながら全訳をし,2~3問の設問に答えて,翌日の昼休みにもってくる。最初,この学習が役に立つのかどうか,正直,自分も生徒たちもよく分からない状態であったが,とにかく互いに「何かをしたい」という気持ちで始めてみたものである。

  毎年の参加者は平均して10人前後。自分は,昼休みは学級で採点に追われる。間違っている英文には線を引いて,再度考えてくるように言うのが精一杯の人数である。生徒たちは,間違いを指摘されると,遊びに行きたい気持ちを抑えながら,各々自分の席に戻り,ひとりで考えたり友だちに教えてもらって,なんとか再提出をしてくる。何度もできずに突き返され,ようやくマルをもらった時は,「やった~!」という声が響く。

  毎年ほとんどの生徒が,不思議なほどに飽きることなく,楽しそうにがんばってやる。最初はひとりで答えを考えていた生徒も,徐々に周りの人や,残ってくれる友だちと相談してやれるようになり,それと同時に笑顔が増えてくる。本来は宿題なのに,次の日のプリントをその日の昼休み中にやる生徒も出てくる。このような繰り返しの中で,自主勉強の輪がしだいに大きくなっていく。

  こうした中で,最初は英語が苦手だった生徒たちにも,徐々にやる気が見えてくる。それは,次のプリントをもらう表情によくあらわれている。昼休みの学習の輪が広がっていき,自分たちが残されているのではなく,自ら残っているのだという気持ちが強くなるからであろう。それに加えて,それでも先生や仲間が,自分たちを中心に勉強を進めてくれているといううれしさもあるのだろう。ある女子生徒は,今まであまり父親と話さなかったが,10円ノートをきっかけに父親といっしょに相談しながら訳を作ってきているそうだ。そのことをとても楽しそうに報告し,成績がズバ抜けて上がったわけではないが,受験が近づく頃にはだんだん英語が好きになってきたと語った。

  この事例を,先生は外発的動機づけから内発的動機づけへの変化として扱っています。すなわち,

というのが外発的な性格の強い成分で,それがしだいに,

という内発的成分へと変わっていく。また同時に,

といったことが,英語学習への内発的興味を補助している,とまとめています。

  しかし,私から見ると,この一連のはたらきかけの最も大きなポイントは,英語学習の中に「自律性・自己決定性」という新しい文脈を持ち込もうとしている点にあるように思います。最初から,この1点だけに焦点化してもいいくらいです。そしてそのキーワードは,「特別な」

  まず最初の生徒の状態を整理しておきましょう。

  英語という教科そのものに対する思いというよりは,受験のため,テスト成績のためと言っているのですから,先生が何もはたらきかけていないこの段階で,すでに完全に外発的動機づけです。

  しかしそうした中でも,生徒たちは「先生に相談しに」来ました。つまりそれは,そういう自分の状態を認識したうえで,「なんとかしたい」と自分からアクションを起こしたのでしょうから,自律性がチラリと顔をのぞかせた(内発性の芽が出てきた)段階と言えるでしょう。

  そこへもってきて,すかさず先生が,彼らだけのために「特別な」はたらきかけを用意したわけです。彼らだけのための10円ノート。彼らだけのための特別な問題。彼らだけのための添削。しかも,何度持っていってもちゃんと見てもらえる。

  こうしたはたらきかけが,生徒たちの心をくすぐらないはずはありません。芽を出しかけていた自律性に,ちょうど日が当たった,とも言えるでしょうか。たぶん,いちばんむずかしいのは最初の導入時だろうと思うのですが,いったい先生は,どんなマジックワードを使ったのでしょうか。ともすれば,遅れている学習を取り返すための「補習」とか「居残り勉強」としてとらえられ,ますます外発的になっていったであろう生徒たちの心を,しっかりとつかむことに成功したようです。

  実際,何度突き返されても再提出してくるとか,友だちと相談しながら訳を考える,といったエピソードは,<特別な学習を自主的にやっている>という基本線がしっかり共有されているからこそ出てくるものでしょう。居残り勉強ではこうはいきません。あくまでも彼らを中心に据えつつ,時機を見て,英語ができる他の生徒の「参加も認めている」というのも効いています。特別な学習会なんだけど,しかたがない,参加させてあげてもいいよ,ということですよね。

  「学力的には最下層」の生徒たちだそうですから,出題でもいろいろと工夫されたのにちがいありませんが,なにより「特別な学習会」という意識を生徒に持たせながら,自律的・自主的学習という基本線を最初から最後まで一貫して提示し続けたことが,彼らの内発的動機づけを高めたいちばんの要因といえるのではないでしょうか。

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■ 努力してみる

  小・中学校とはちがい,入試を経て一定の学力レベルの人たちが集まる高校では,今までの自分の有能感が根底から揺さぶられることも少なくないでしょう。このレポートの主人公も,そうした経験をしたひとりです。まあ「よくある話」と言ってしまえばそうなのですが,このレポートは読み応えがあります。

  私が在籍していた高校は,男女共学で普通科と理数科を有するいわゆる進学校であった。学校数が少なく受験区域の制限もあることから,中学の成績がそれなりに良い者の多くがこの高校へと進学する。定期考査や模試の前には,自習室に夜遅くまで残って勉強し,放課後は自主的に教師を囲んで勉強会を開くなど,勤勉で真面目な生徒が多かった。教師も生徒の学力アップに力を入れていたようで,入学者説明会のときに「(本校よりレベルの低い)他校の生徒とはあまり遊ばないように」と言い放つ先生がいたほどだ。

  さて,そんな高校に入学してしまった私。中学時代の自己分析を聞いてみましょう。

  小学校のころからけっして勉強が好きなわけではなく,むしろ面倒くさい,隙あらば楽を! と思うことのほうが多かった。しかし,出された問題はそれほど苦労せずとも解けてしまうので,成績はわりと良いほうであった。そして,長年そうした学習態度でありながらもそこそこの成績を収め続けてきた自身の経験から,「私はそういう力が備わっている人なのだ」という,過剰な思い込みをもっていた。つまり,成績が良いことを自分自身の能力の高さに帰属していたのだ。それは若干過剰なほどに。だから,稀に解けない問題に遭遇すると,あっさりと「運」に帰属して,自尊心が傷つくのを都合よく回避したりもしていた。

  ちなみに,教師がよく口にする「努力」というものに関して言えば,私は根っからの面倒くさがり屋であったし,私以上に真面目に宿題に取り組み,私以上に細かくノートをとっているにもかかわらず,私より常にテストの成績が悪い同級生をずっと見続けてきたので,懐疑的であった。

  成功は能力という内的安定要因に,失敗は運という外的不安定要因に帰属するという,見事に典型的な“自信家”タイプの帰属パターン。自分で思い返してみても<すごく嫌な子>だったそうですが,それが高校入学と同時に大きく変わります。

  私の揺るぎない“思い込み”が早くも崩れ去ったのは,入学して数日後に行われたテストにおいてであった。返ってきた答案は,点数自体はけっして悪いものではなく,どの科目も9割前後はとれていたのだが,しかし順位は惨憺たるものだったのだ。中学時代には見たこともないような順位を見て,一瞬自分が馬鹿になったのかと思ったが,違った。周りの人間が変わったのだ。自分と同じような,あるいはそれ以上の成績を収めてきた人たちが集まってきたのが“高校”というところなのだという現実を突きつけられ,衝撃を受けると同時に,私のプライドはズタズタに傷つけられた。

  「これまでのやり方や信じていた自分の力が,まったく通用しない世界なのかもしれない」

  悪い予感は的中し,授業は思った以上に難しく,その後のテスト結果も散々だった。小・中学校時代の勉強と高校の勉強は違う,というのはよく聞く話であるが,より高度になった学習内容は,「私の力をもってすれば解けない問題などない」というわけにはいかなかった。今まで以上に予習や復習をきちんとしてみても,難しいものは難しいのである。

  しかし,どうやら周囲の人間にとってはそうでもないようなのである。勉強に苦しんでいるようにも,逆に虚勢を張っているようにも見えなかった。今思えば,彼らはたんに,私よりも“勉強ができる人間”だったというだけの話であるが,当時は彼らと私の明確な違いがわからず(たんに事実を受け入れられなかっただけかもしれないが),毎回見せつけられる酷い順位に,ただ怯えていた。

  学習領域での有能感が,課題の成功・失敗そのものによってだけでなく,周囲の人たちとの相対的基準によって大きな影響を受けるという事実は,心理学でも以前から問題視されてきており,相対評価から到達度評価へという流れを生み出した源流のひとつともなっています。

  とはいえ,学校や学級といった所属集団の中での立ち位置によって,その人の行動やものの見方が規定されるという側面は,現実問題たしかにあり,それはよい面ももっていると思います。たとえば,頭が良くてグループをまとめていく役割が得意な人は,周囲からも常にリーダー役割を期待され,その結果,本人も自然にリーダー行動をとることができます。つまり安定した集団の中では,その中で個人がとるべき行動も安定し,へんに気を遣う必要がない,ということがあります。

  ところが,そうした側面が強いほど,大きな問題となるのが,中学・高校・大学への進学時,つまり,慣れ親しんできた集団が解体され,いきなり見知らぬ集団の中に放り込まれたときです。新しい集団の中で,また手探りで自分の立ち位置を確認しなければならず,それによって個人の自己概念も(そうした不安定な基準にもとづく自己概念でいいかどうかという議論は別にして),大きく変わってきます。これが,環境移行にともなう適応の難しさのひとつになっているわけです。

  彼女の話に戻りましょう。しばらく経っても,相変わらず成績は好転せずむしろ下がる一方でした。そして彼女は,思い切って担任に相談することにしたのです。必死に自分の状況を訴える彼女に対して,担任の反応はこうでした。

「リラックス,リラックス。不安ならもっと勉強しなさい!」
と言って私の肩をポンポンと叩いた。

  う~ん,どうでしょうね? この先生の対応には,ちょっと言いたいところがあるのですが,ここでは置いておきましょう。それはこのレポートの本質ではないからです。とにかく先に進みます。このレポートの真骨頂はここからですので,最後までいっきに読み進めましょう。

  弱っている時の教師のひとことはじつに重いもので,この悲惨な状況を招いているのはひとえに自分の勉強不足,努力不足が原因であったのだと一瞬にして思い込んでしまった。この状況を打破するには,自分がこれまで以上に努力する以外にないのだと思った。失敗の原因を自分自身の努力不足に帰属することによって,「努力すれば報われるかも」という希望の光もチラリと見えた気がした。しかし,昔から努力などという言葉とは無縁で,懐疑的でさえあった私のこと,「努力って…何?」と,ひどく曖昧な “努力”という言葉にとまどいつつも,藁をも掴む思いで「とにかくもっと勉強をしよう」と気合を入れ直したのだった。

  それからというもの,私は毎日の予習・復習の時間を大幅に増やした。睡眠時間を削り,学校で居残り勉強したあと,家に帰ってご飯を食べたら,またすぐ勉強,といった生活であった。間違った問題は何度も解く。舐めるように問題集をやる。元来面倒くさがりの性格ゆえ,しんどいと思ったことももちろんあったが,「不安なら勉強しろ」という言葉と,努力する者は報われるという希望が,私を突き動かしていた。

  そんな生活を始めて2ヵ月後に訪れた最初の定期考査。全テストを終えてみて,以前よりも手応えがあった…ような気がした。「これぞ努力の賜物だ」と思えた。意外と単純な私は,あっさりと努力至上主義に傾きつつあった。これなら,さぞ順位も上がっているにちがいない,と期待したのも束の間,そこで目にしたのは,ほんの数番上がっただけという受け入れがたい現実であった。

  「なんで!?」と心の中で叫ぶ私の顔はムンクのそれに似ていたに違いない。2ヵ月間の生活を振り返ってみて,この見返りの少なさは不当だと嘆いた。担任に,勉強を自分なりに頑張ってみたが目に見える成果が見られなかったことを告げると,「2ヵ月じゃ成果はわからないこともあるよ」と,努力の継続を勧めてきた。たしかにそれも一理あるのかもしれない。しかし,この2ヵ月必死に勉強してきたにもかかわらずこの有様な私を横目に,周囲の人間は相変わらず涼しい顔をしているのだ。「100点とれなかったー」などといって悔しがっている。それを聞いた私は,努力云々の話ではどうにもならない,もっと根本的な違いがあると感じたのだった。

  周囲の人間と私の違いは何であったか。すなわちそれは「能力の違い」であった。学校のテストで高い点をとるという能力において,彼らは私よりはるかに長けていた。いくら努力したところで埋めようのない差であった。

  努力には限界があるということを,私は知った。正確に言えば,「努力に限界はないが,それによって解けるようになる問題には限りがある」ということに気づいたのだった。2ヵ月間の必死の努力によって得られた結果,すなわち埋めることができた彼らとの差は“ほんの数番”。私にとってはあまりにもささやかなものであった。

  能力の限界,努力の限界を受け入れることは,すなわち自分の限界を知るということに繋がる。自分の可能性に線引きをするのはなかなか難しいものだ。ただ,能力は目で見えないものであるがゆえに,信じようと思えばいつまででも信じられるし,努力も続けようと思えばいつまででも続けられてしまう。そして,それらを盲信し続けたところで必ずしも良い結果を生み続けるとも限らない現実が確かにあり,だからこそ限界を知り,受け止め,適度に方向転換していくことも時に必要なのではないかと私は思った。

  能力と努力に限界があることを知った私は,その後どのような高校生活を送ったか。人生を悲観し脱線していくかと思いきや,適度に勉強し,ときには努力し,良くはないが悪くもない成績を維持しつつ,部活に力をいれたり趣味のピアノを本格的に習いだしたり,もちろん程よく遊んだりもして,勉強一辺倒にならない日々を送った。人の価値観は様々であるし,事実先生受けはあまり良くない生徒ではあったが,少なくとも私自身は,今振り返ってみても非常に満足だったと自信をもって言える高校生活であった。

  どうでしたか? とくに最後から2段落めのコトバの“深み”はどうでしょう。私は一読でやられてしまいました。このまま余韻に浸りつつ終わりたいところですが,いちおうヤボな解説もつけておきます。

  失敗を努力不足に再帰属することで,面倒くさがりだった私が心を入れ替えて必死に勉強したら,メキメキ順位が上がっていきました,ちゃんちゃん!! …といきたいところですが,そうはうまくはいかないところが現実の厳しさであり,逆に人生のおもしろさでもあるわけで,彼女もまた,必死の努力の末にたどり着いた結論は,努力では埋めようのない能力差が厳然としてあるという現実でした。

  たしかに努力は万能ではありません。「がんばれば,どんなことでも必ず実現する」などというのは幻想だし,無責任な発言だと私も思います(まあ,小学生くらいの相手に,夢を持たせるために言うのなら,目くじら立てることもないと思いますが)。再帰属訓練の考え方も,自分ではコントロールできない固定的な要因(安定要因)への帰属をやめさせることで,成功・失敗に対するコントロール感(成功も失敗も自分の努力次第)を取り戻そう,というのが趣旨であり,努力すれば必ず成功する,とまで言っているわけではないのです。昨年は,「がむしゃらに努力すればいいというわけではない」という話をしましたが,今年もまた努力というものの価値を下げてしまいそうな事例になっています。

  では彼女の場合,報いられなかった2ヵ月間の努力は,まったくの無駄だったのでしょうか。考えをもう一歩進めてみましょう。彼女は,2ヵ月間必死になって勉強したからこそ,それ以上に大きな能力差の存在に気づくことができた,とは言えないでしょうか。中学までのように,成功は能力,失敗は運に帰属して,正確な自己評価の機会を避けていたら,きっとこうはいきません。イメージの中での自分の有能感と現実の順位とのギャップに,いつまでも悩み続けたのではないでしょうか。限界まで努力して自分の能力と向き合ったからこそ,より正確で現実的な自己評価に到達することができたのでしょう。その意味では,この一連のプロセスはそれほど悲観的に見る必要はなく,むしろ適応的なものであったと言っていいと思います。

  その証拠に,彼女は周囲の人たちとの能力差に絶望してしまうのではなく,「適度に方向転換することも必要」という境地に達して,それなりに充実した高校生を送れるようになったではありませんか。そしてなにより,その後大学院までやってきて,勉強を続けているではありませんか。

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■ 内発的動機づけを低減させる要因(1) ―競争―

  今年は,内発的動機づけを低減する要因について書いてくれたレポートが,例年以上に多く集まりました。その中から,いくつか要因別に紹介しましょう。まずは<競争>要因から。

  先ほどの10円ノートがまた出てきたかと思われるかも知れませんが,今度のは『100枚作文』。全然違うものですので,ここまで続けて読んできた人は,ちょっと一休みして頭の中をリセットしてください。

  さてこの『100枚作文』,対象は小学6年生です。作文の苦手な児童が多かったため,学年の先生方が,<卒業までの1年間にたくさん文章を書いて作文に対する苦手意識をなくし,楽しんで文章を書くことができるようにしよう>と知恵を絞り,出された課題がこれ。そのため内容はほとんど自由。自分の作った小説でも,夏休みの予定などでもよい,とにかく100枚書き通そう,というものでした。

  しかし,小学6年生から見れば,『100枚作文』完成への道のりはとてつもなく長く,むしろ不可能に近いものでした。「できるわけねえじゃん」,「無理だよ」。当然,最初は児童からのクレームが続出します。そんな児童の反応をよそに,先生方は「この課題ができなければ卒業させない」と宣言します。また,各クラスには,一人ひとりの児童の進行状況がわかるよう,原稿用紙1枚書くごとに一覧表のマス目の上の画鋲を動かしていくという掲示物が用意されました。要するに,各児童がどれだけ書けているか…というよりも,他とくらべてだれがどれだけ進んでいるか,遅れているかが一目でわかってしまうというものです。

  そんな中,最初はただ早く終わらせたい一心で作文を書き始めた「私」。しかしそれが少しずつ変化していきます。

  私は嫌々作文を書き始めた。他のクラスメートも同じで,最初の5枚くらいはみんな同じスピードで進んでいたのだが,徐々に脱落者が出てきた。20枚地点では,私を含むトップ集団が5人くらいに減り,さらに進んで40,50枚地点になると,とうとう私と幼なじみのA子の2人だけになってしまった。

  その頃から,クラスメートから「すごいねー」,「私も早く終わらせたい」,「うらやましい」などの言葉をかけられるようになり,親からも「がんばってるね」と褒められた。ちょうどその頃,先生も新たな動機づけ策を打ち出した。クラス全員の前で「うちのクラスは学年でトップの速さだから,『100枚作文』が一番最初に終わった人に何かいいものをあげよう」と言い放ったのである。

  その頃から,私は褒められることに心地よさを覚え,クラスのみんなからうらやましがられたり,教室の後ろに貼ってある掲示物の画鋲が,他の児童と比べズバ抜けて進んでいることに,優越感を感じるようになった。そして,私と同様クラスのトップを走る幼なじみのA子より早く『100枚作文』を達成したい,そして先生から褒められたい,「いいもの」をもらいたいと考えるようになっていた。

  一方,私同様にトップを走っていたA子にも,周りから同じような反応があったのは事実だが,彼女はそんなことには動じなかった。幼なじみということもあり,何かと比べられることの多い私たちだったが,ライバル心の強い私とは対照的に,A子はいつもゆっくりのんびりとマイペースで自分がやりたいようにやっていた。そんなA子だったからこそ,私はよけいに,彼女にだけは絶対に負けたくないと1人でやっきになっていた。

 結果,私はA子との(一方的な思い込みによる)競争に勝利し,学年トップの速さで『100枚作文』を完成させた。周りからの反応は予想通りのもので,ヒーローのようにみんなから称賛を浴び,注目され,先生からのプレゼントももらうことができた。

  しかし,作文の内容はひどいものだった。もともと作文が苦手な私だったが,その頃の作文は,枚数をかせぐためだけに書いたものだったので,文章は稚拙,字も雑で,「書くのが楽しい」なんてとうてい思えるはずもなかった。対照的にA子は,もともと文章を書くのが好きだったこともあり,書くスピードこそ私より少し遅かったが,丁寧に,自分が納得のいくものを書いていた。そして何よりA子は,楽しんで文章を書いていたと思う。

  その後,私たち二人は,私は体裁のためしょうがなく,A子は自分の意志で,作文を書き続けていた。卒業近くになると,私は110枚くらい,A子は130枚近くの作文を書き上げていた。そして卒業。私にとっては非常に長かった『100枚作文』との戦いが,そこで終わった。しかし,私は今でも作文が苦手である。

  授業では,外的報酬が内発的動機づけを妨害するのは,その活動に対する内発的動機づけがある程度高いときで,動機づけが低い活動については,必ずしもそれは当てはまらないと言いました。この事例は,作文が苦手で内発的興味もないという状況ですから,先生が外的報酬を駆使して何とか子どもたちを動機づけようとしたことは,ある程度うなずけます。しかしこの事例では,作文への内発的興味は,少しも高まることはありませんでした。

  おそらくポイントは,先生の報酬の提示のしかたが,いかにも制御的であったことでしょう。作文100枚という,子どもたちにとってとうてい達成不可能と思われる高い目標を無理やり設定し,書かなければ卒業させないと言います。これがもし,折にふれて作文を書き貯めさせておいて,60~70枚くらいになった時点で,せっかくだから100枚までがんばろう,みたいな流れで「100枚作文」を提示するならいいのでしょうが,子どもたちが実績としてまだ何も持っていない段階から,100枚という数値だけをことさら強調して予告しているわけですから,自信も興味もあったものではありません。先生の都合を一方的に押しつけた目標で,制御的と言わざるを得ません。

  それに加えて,この競争的報酬構造です。教室に表を貼りだして速さを競わせる。トップの人にプレゼントをあげると予告する。明らかに,この活動に競争的目標構造を随伴させようとしています。作文という活動そのものに対してではなく,わざわざ競争に目を向けさせているのです。

  多くの人たちがレースから脱落し,トップ集団が5人程度になった時点で,先生は悟るべきでした。このやり方はまちがっていると。競争構造では,差が出れば出るほど敗者の動機づけが低下するのは当然のこと。しかも競争構造では,最終的には勝者は1人ないし少数の人間ですから(じゃないと勝利の価値が低下するので),競争を進めれば,その過程で次々と脱落者を生み出してしまいます。けっきょくは,勝利を勝ち取ったごく少数の人たちだけが動機づけられ,一方で意欲を失ったおおぜいの人たちをも生み出しているにすぎません。

  …などというと,「だから日本人はダメになったのだ。競争に負けても,なにくそと反発して這い上がってくるような子どもを育てないでどうする。大人の社会はキビシイのだぞ。」という批判が聞こえてきそうですが,なにくそと這い上がっていけるのは,その活動に対する高い有能感と興味に裏打ちされた競争意識を,もとから持っている子どもの場合でしょう。あるいは,自分の能力にかかわらず,とにかく何でも主役でいないと気のすまない子どもとか。このレポートの場合,外から強制された競争ですから,子どもたちが燃えるわけがありません。

  それにもうひとつ。面白いことに,このレポートには,先生が作文の「内容」についてどうかかわっていたかの記述がまったく見あたりませんでした。コメントしてくれたとか,面白がってくれたとか,みんなの前で発表してくれたとか,いっさい書かれていないのです。先生はあくまでも100枚という枚数にこだわり,いちばん早く達成した人というスピードにこだわっていて,書いた作文の中身にはまったく関心を示していないようなのです。

  作文というのは基本的にコミュニケーション手段ですから,書いたものをだれかに読んでもらい,何らかの反応をもらってこそ,また次も書きたくなるというものでしょう。相手に伝わりにくかったら文章を練り直し,伝えたいことがコトバに直せなかったら,語彙力を高めようとも思うでしょう。だれも読んでくれなくても,とにかく100枚書けばいい作文なんて,いったい何の価値があるのでしょうか。

  もっとも,実際にその先生が内容を見ていなかったのか,それとも「私」が枚数にのみ注意を向けていたので,先生のはたらきかけに気づかなかったのかはわかりませんが,とにかく「私」の心の中に作文の内容がまったく残っていないのはたしかです。これでは,動機づけに成功したように見える少数の子どもたち(いわゆる勝者)も,つまりは競争が楽しかっただけで,ちっとも作文に興味を持てるようにはなりません。ましてや,作文を楽しく書くようになるなんて,あり得ないでしょう。だって,肝心の作文の中身に対するはたらきかけが,すっぽり抜け落ちているわけですからね。

- 事例編 Part 2 につづきます -


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