ひとりごと


保存箱 2000.01-06

(リンク切れ等があっても修正しません)

● CONTENTS ●

■00.06.15. 自己愛と自己犠牲

もどる GO_HOME

  先日行われたサッカー日本代表とスロバキアの試合のレポートの中に,おもしろいコラムがあった。増島みどりさんのWebサイトである。後半にある「自己愛と自己犠牲」というところを読んでみていただきたい。

  Deciの唱える自律性やde Charmsの唱えるオリジン(指し手)感覚は,しばしば自己中心性やわがままと混同され,自分勝手な子どもたちを助長していくのではないかとの批判を浴びてきた。Deciもde Charmsも,そうではないと述べ,真の自律性・オリジン感覚とは,他者の自律性・自己決定性を奪ってまで自己の利潤追求をはかるような怪物ではなく,むしろ他者の自律性をも同様に尊重するものなのだと強調しているのであるが,やはりどうも実感がないので紹介しにくい。「そんなきれいごと言ったって,現実はねえ…」なんて声が今にも聞こえてきそうな気がするのだ。

  その意味で,このコラムはおもしろかった。自分の持ち味を最大限活かすためには,チームメイトの持ち味をもどんどん引き出していかなければならないというのは,チームスポーツという文脈の中では,ひじょうにわかりやすい。ここではたしかに,ワンマンなプレイヤーは孤立してしまい,持ち味を発揮できないだろう。コミュニケーションをとろうとしないプレイヤーも,お互いの要求を理解できず,うまくいかないだろう。

  Jリーグの試合を見に行くと,ピッチの上でプレイヤーが大声で怒鳴りあっているのが聞こえる。ボールを追いながら,しょっちゅう他のプレイヤーに指示を与え,また自分にボールを出せと要求しているのだ。それは,それぞれのプレイヤーの自己主張である。主張しあうことによってお互いが何を要求しているかを理解する。理解のズレを調整していく。それが,チームスポーツの世界の中での自律性なのかもしれない。

  一方で少年サッカーや部活では,監督が一方的に怒鳴りまくっていて,プレイヤーたち自身はすっかりシンとしている,そんなチームもよく見かけるのだが,これっていったい…?

■00.05.26. 夜歩く

もどる GO_HOME

POST CARD   これは,私が教育基礎にいた頃の院生の人たちで出している同窓会誌に,毎年書き送っているハガキの,今年度版。

■00.05.02. 新入生

もどる GO_HOME

  一見して新M1とわかる人たちが,手にした『履修の手引き』を見つめながら教室のまわりをうろうろしている,そんな季節。

  ノックの音がしてドアのほうを見ると,ドアをあけてひとりの男性が姿をあらわす。彼は入口に立ったまま,手に持った受講票をおずおずとかかげて言う。

「これ,先生ですよね。」

先生ですよねと言われたって,私は受講票ではない。だいたい入口に突っ立ったままで,小さな紙切れをかざしたくらいで,奥の椅子に座っている私が読めるはずがない。「これ」と言われても,どれだかさっぱりわからないのだ。そう言ってやりたかったけれど,ちょっとおとなげないのでそれはやめて,「学習心理学特論」であることを確認して,受講票を受けとってあげたのだけれど。

  新しい人たちが入ってくる4月は,毎年落ち着かないものだが,今年はことさらその感が強い。新しいコースがいよいよ始まったからだ。今までの各コースのやり方がそれぞれちがっているので,とにかくすべて一から決めていかなければならない。教官の中でもまだはっきりわかっていないことも多いのだから,新入生の人たちも気が休まらないにちがいない。

  実際始まってみると,いろんなことが準備から抜け落ちているのがわかる。「とりあえず今年は」というような暫定的運用も少なくない。そんな細かな抜け落ちをペタペタと埋めながら,なんとか一歩ずつ踏み出している,今はそんなところだ。今年はしばらく落ち着けそうにない。

■00.03.10. 場依存

もどる 

  宿舎の駐車場の区画が変わり,これまで通路に対して斜め駐車だったのが,昨年暮から直角に駐車するようになった。それで,じつは困っている。車をまっすぐにとめられないのだ。どうしても一方に傾いてしまう。ちゃんと区画線をサイドミラーで確認しながらでないと,ついつい曲がってしまうのである。

  もともとあまりきっちり線に沿って駐車するのは不得意なほうなのだが,それにしても通路や建物と直角に下がればいいわけだから,斜め駐車よりは目安となる情報がたくさんあるはずだ。にもかかわらず,まわりの風景を見ながらだと,必ず一方に傾いてしまうのだ。

  で,気がついた。傾いてしまう方向というのは,以前の斜め駐車の方向なのである。つまり,どうも体に染みついた斜め駐車の感覚が,直角駐車をじゃましているらしいのだ。なにせ15年以上も斜め駐車だったのだ。まわりの風景に対して一定の角度をもって下がる感覚が,すっかり体の中に染み込んでしまったのだろう。まっすぐ下がっているつもりが,無意識に角度を調整してしまっているのにちがいない。じつに頑迷な感覚である。

  ひところ流行した「認知スタイル」の一つに,場依存・場独立という概念がある。簡単に言えば,特定の対象への認知が,まわりの情報に影響されやすいか,されにくいかということである。テストはこんなふうに行われる。正方形の枠線を書いた円盤の中央に,枠線より一回り短い棒が取りつけてある。棒は中央部を軸として360度自由に角度を変えられる。四角い枠のほうも,棒と独立に角度を変えることができる。四角いフレームの時計の文字盤上で,針が6時ちょうどをさしている状態を思い浮かべていただきたい。フレームと針とはそれぞれバラバラに角度を変えられる。

  さて,この正方形枠を鉛直方向から微妙に傾いた状態でセットする。それで被検者には,ハンドルを回して中央の棒を「垂直に」なるよう調整させる。被検者が棒を鉛直方向に合わせようとすると,まわりの枠線と角度ができてしまうので,認知的に不調和を起こしてしまうのだ。この課題で,枠線にかかわらず垂直に調整できれば「場独立」であり,枠線に影響されて棒を斜めに調整すれば「場依存」ということになる。

  基本的には認知の問題なのであるが,そのうちだんだん概念が拡張されていき,たとえば場依存な人は,自分がおなかいっぱいでも,目の前に食べ物があるとついつい食べてしまうから,ダイエットに向かないのではないか,というような研究もあらわれてきた。

  というわけで,今回のできごとから察するに,私はかなり場依存な人間なのだろう。たしかに思い当たることは他にもままある。だから,どんどん太ってもいくわけだ…。

■00.03.06. 事前と事後

もどる 

  たとえば,「○○をすれば頭がよくなる」というようなタイトルで,その○○の効果を簡単な実験で証明してみせる番組が,ときどきある。で,そのやり方はたいていこうである。

  まずレポーターか選ばれたスタッフが,簡単な作業テストをやってみて,その成績や速度を測定する。次に,効果があるといわれる○○を一定時間やってみる。その後,先ほどの作業テストをもう一度やらせてみると…,あら不思議,みごとに成績や速度がアップしている。

  いわゆる事前・事後型の実験法の典型のようにみえる。しかし,心理学の研究法をちゃんと学んだ人は,もうおわかりだと思うが,これはインチキだ。「練習効果」というものを考慮していないからだ。

  日頃やりなれている作業ならともかく,はじめてやらされたような作業だと,1回めはたいてい要領がわからないので成績はよくない。しかし,2回め・3回めとなると,やり方に慣れてくるので成績がぐんと上がってくる。特に「頭がよくなる」ような操作を何もやらなくても,たいていは成績が伸びるのである。ほんとはそこからがその人の「実力」なのだ。

  視聴者に「頭をよくする○○」の効果として見せている効果は,少なくともその一部はただの「練習効果」なのである。慣れない1回めと慣れはじめた2回目を比較することで,いかにも劇的な効果があったように見えるが,だまされてはいけない。


MonoBACK もっと最近へ   BACK to HOME INDEXへ     MORE Monolog もっと過去へ