ひとりごと


保存箱 2000.07-12

(リンク切れ等があっても修正しません)

● CONTENTS ●

■00.12.28. 他山の石

もどる GO_HOME

  某院生の修論草稿にて。

…因子分析により2因子を抽出した。負荷量において不適切な項目がないかどうか検討したところ,すべての項目が妥当と判断されたため,全項目を用いて再度因子分析を行った。その結果,先ほどと同様な因子構造が得られたため,これらの項目によって尺度を構成した。

  そりゃ,同じ因子構造も出ますよ,同じ項目で再度同じ分析を行ったんだから…。

  いや,私は個人攻撃をしたいわけではない。このまちがいの背後にひそむ問題について考えてみたいのである。

  思うにこれは,コピーアンドペーストで前の文章を転記しようとしているのが,そもそもの原因である。なぜならその直前に,同じように因子分析をやった後,不適切な一部の項目を除外して再度因子分析を行った(これはちっともおかしくない)という記述が,しかもそっくりおんなじ文章であるからである。おそらくは,結果の文章を切り貼りし,数値や細かな表現のちがいを訂正するだけですませようとしたのだろう。細部の手直しに夢中になって,肝心の分析手続きの矛盾に目がいかなかったというわけだ。

  コピーアンドペーストで数字だけを入れ替えた,まるで代筆ソフトの出力をそのまま並べたような結果を提出してくる院生は,じつはけっして例外ではない。毎年毎年,ことあるごとにやめてほしいと言ってはいるのだが,いざ修論の季節になると決まってそんな原稿を目にすることになる。悲しい。

  たしかに書き手にとって,コピーアンドペーストは便利である。書き慣れない統計分析の記述を気を使いながら何度も書くよりは,ずっと手間が省けるだろう。しかし,それは書き手にとっての都合でしかない。同じ文章が何度も何度も繰り返されることが,読み手にとっていかに苦痛か,そのことにも少し想像をめぐらせてみてほしい。

  日付と行事予定が変わっただけで文章はまったく同じ学級通信を,いったい何人の保護者が読んでくれると思いますか? 「○○君は,今日とてもがんばりました」 ○○君という名前だけは変わっても,いつもおんなじほめ言葉しか使わない先生を,何人の生徒が信頼すると思いますか? そういうことである。文章で人を説得しようとするなら,まず先に読み手のことを考えてほしい。相手のことも考えず,自分だけ楽をしようなどとはしないことである。

  はじめての統計分析の記述にとまどっているのはわからないでもないが,統計の記述にこだわって肝心の結果が訳わからなくなるのでは,元も子もない。

    以って他山の石とすべし。

■00.10.19. まとめて

もどる GO_HOME

  しばらく心理臨床分野のWebページの更新にかかりきりだったのが,やっと一段落。ほぼ全面的に修正を入れたので,だいぶ時間がかかってしまったが,トップページの雰囲気も一気に変えて,まあまあの仕上がり。なかなか受験志望者向けの紹介記事以外のコンテンツが増えないのが,ちょっとだけ悲しい。

  久しぶりに自分のページにもどってきて,アップしそこなっていた「ひとりごと」をまとめてアップ。なんか,ずっとこのパターンだなあ…。

  『学習心理学特論』のレポート講評も書かなくちゃ。でもまだ,書かなきゃいけない原稿が残ってる…。う~む。

■00.10.10. 小ネタ

もどる GO_HOME

  近ごろ,歩いている途中でよく見かける大きなトラック。その側面には大きな文字でこう書いてある。
      新潟道徳運輸

さてこのトラック,いったい何を運んでいるのだろうか…。

■00.09.25. 癒し系ホラー

もどる GO_HOME

  いつ行っても貸出し中でずっと見られなかった『シックス・センス』,やっと借りることができて,見た。もともと,友人から「現役で子どもの心理学に携わっている人は必見」と言われて気になっていたのだけれど,ほんと彼の言うとおり,よかった。ストーリーの鍵を握る「秘密」について語れないのが残念だけど,しみじみと心に訴える映画だ。これも友人の言葉を借りれば「癒し系ホラー」。

  すっかりアクションスターのイメージが染みついたブルース・ウィリスとあって,最初のうちはどう展開するかと違和感を感じたが,大丈夫。なんといっても,少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)がいい。

  ところで,あの少年の,まわりを死んだ人がうじゃうじゃ動き回っているという感覚,薄暗い田舎家で育った私には,なにかとても身近なものに感じられる。もちろん私の場合はシックス・センスなどではなく,ただの妄想なのだが,子どものころ,夜になると家の暗がりのあちこちから幽霊が見つめているようで,とてもこわかった記憶がある。田舎家には,そこかしこに真っ暗な闇がある。寝ようとして明かりを消した瞬間,闇が一面に染み込んでいく感覚。その底知れぬ恐怖。

  当時はまだ,霊はずっと身近な存在で,1週間前に死んだ○○さんのじいちゃんが,畑へ歩いていくのを見た,というような幽霊話を何度も聴かされていたものだ。だから,映画に出てくるようなシーンは,私にとって恐いというよりも妙に懐かしかったのである。

  ともあれ,いい映画だ。私もまた「現役で子どもの心理学に携わっている人は必見」と宣伝しよう。

■00.08.01. 職人の世界

もどる GO_HOME

  子どもが夏休みの宿題だと言って,1冊の本を持ち帰った。

小関智弘  『ものづくりに生きる』 岩波ジュニア新書

パラパラッと見てみたら,これがおもしろい。町工場の職人さんが,職人の世界のすばらしさを描いているのだが,ほんとうにすごいのである。思わず,子どもより先にじっくり読み通してしまった。

  ここに書かれているのは,職人の技術もそうだが,むしろ「職人気質」のすごさだろう。頼まれもしないのに,完璧を追求する人がいる。十軒も二十軒もの工場を歩いてみんな断わられた,というような仕事を好んで引き受ける人がいる。値段が高いと言われるのはかまわない,もち(耐久性)が悪いと言われるな,前より丈夫になったと言われるようにしろ,と教える人がいる。

  その中でひとつ,こんなエピソードがある。金型職人を雇うかどうか決めるときに,正五角形の雄雌の金型を作らせるというテストがあるのだそうだ。どの向きに合わせても,五角形の雄型が雌型にピタリとはまる。そんな正確な金型を作るには,100分の1mm程度のすき間で作らないといけない。最後はヤスリを使った手作業である。

  このときに,正確に五角形の角度を示す雄雌のゲージを作り,それに合わせて五角形を作ったほうが早い。そのことに知恵が回らないと,けんめいに雌雄の金型を作って合わせようとするが,なかなかうまくいかないのだ。

  テストではもちろん,ゲージを作りなさいなどと指定されはしないし,作ったゲージも日の目を見ずに捨てられてしまうものである。つまり,ゲージを作るかどうかはまったくその人の工夫の範囲内なのである。要求どおり手っ取り早く仕上げようとすれば,ゲージを作るなどというよけいな作業は思いつかないかもしれない。一見迂遠な作業のように見えるゲージ作りが,けっきょくは精密な製品を生み出すわけだ。

  職人とは,ものを作る手だてを考え,道具を工夫する人のことである。

  それをしないで,与えられた道具を使って,教えられた通りの方法でものを作る人は,単なる労働者にすぎない。(p.115)

  町工場というと,いつも同じものばかりを繰り返し生産しているようにみえるが,実は毎日さまざまな部品を作っている。その都度,どんな道具を使うのか,どんな手順で作るのかを考え,工夫を凝らす。時には必要な道具を自分で作ってしまう。そうした工夫ができるのが職人なのだと,筆者は説く。だからこそ彼らは,今まで受けたことのないむずかしい仕事がきたとしても,あわてない。一日二日,工場の天井をにらんでいたり,スクラップ置き場をかきまわしたり,空いている機械でわけのわからないものを作ったりしていたかと思うと,まわりがあっと驚くような工夫をした道具を作ってしまうのだそうだ。これまでの経験を応用しながら(なんて,言葉で言ってしまうと簡単だが),臨機応変に対応することができるのだろう。

  これは,内発的動機づけの世界である。注文はそこまで厳密ではないのに,自分のプライドをかけてより完璧な作業をめざしたり,不良品まではいかないができの悪い部品を,まあいいかと妥協せず,こんなもの納めたら恥ずかしいと感じてしまう,そんな「職人気質」が,世界から注目されるような職人の技術を生み出し,支えているのである。

  ただひとつ残念なのは,やはり作業の様子が,われわれシロウトには文面だけからではなかなかイメージしにくいことだ。映像があれば,その技術のすごさをもっとリアルに体験できたにちがいない。

■00.07.17. 取材

もどる GO_HOME

  とある育児雑誌の方から取材依頼の電話がきた。その雑誌が行った読者アンケートの結果について,コメントを聞きたいというのだ。原稿の依頼なら経験があるが,インタビューというのははじめて。どちらかといえば話は得意ではない。じっくりと考えたことならある程度は話せるが,やりとりの中でわかりやすく話すのはむずかしい。いつも,「あのときはこういえばもっとわかりやすかった」と後悔することばかりなので,今回もちょっと腰が引けていたのだが。

  しかしその一方で,「やったことがないことは,とりあえず一度はやってみよう」という好奇心もむくむくとわいてくるのが困ったところで,けっこうあっさりと引き受けてしまった。

  さて当日,研究室にみえたのは電話をいただいた編集者の方ともう一人,「ライター」という方のお2人だった。アンケートの集計結果については,事前にFAXで送られてきていたので,こちらでもいちおうざっと傾向を読んではいたのだが,話が始まると,向こうの方もしっかり分析していたようで,特にライターさんの方が,これこれの結果からこういう傾向が読みとれるようだがどうか? と,かなり鋭く質問してくる。的確な分析なので,こちらはほとんど同意するだけ。何かもうひとつ専門家 (?) らしい分析を付け加えないと,と考えてはみるが,向こうの分析以上のことはちっとも思いつかない。あらら…やっぱし。

  それだけではない。こちらが何か心理学用語を使ってもぞもぞと説明すると,ライターさんは,即座にそれを「それはこういうことなんですね」と簡潔にまとめてくれる。まるで,ロジャースの明確化みたいだ。それがまたじつに的確で,こちらが悩みながら言いよどみながらしゃべった内容を,いともあっさりと,明快な言葉でまとめてしまうのである。しかもその言葉というのが,新聞広告に載っている育児雑誌の見出しそのまま。

  雑誌の中でライターという人がどういう役割を果たしているのか,よくわかった。どんなにわかりにくい言葉で長々としゃべっても,彼女はそこから即座に要点を読みとり,育児雑誌用語に翻訳し,みごとに記事に仕上げてしまうのである。ライターさんはホントにすごい。

  2時間ほどいろいろなお話をした。でも,ほとんどはライターさんが方向づけていて,私はちょこちょこと口をはさむだけ。実際のところ,雑誌づくりを通して,日ごろからお父さんたち・お母さんたちの意見や行動をよく見ている人たちだから,育児の動向には敏感である。いわゆる最先端の傾向をよく知っている。そこへいくと私などは,じつに頼りない「専門家」ではあるのだが,取材後送っていただいた原稿を見ると,なんだかえらそうに私が分析していることになっている。いやいや,お恥ずかしい。


MonoBACK もっと最近へ   BACK to HOME INDEXへ     MORE Monolog もっと過去へ