ひとりごと

保存箱 2008.01-06

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08.06.06. のれん

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  日本初の有人宇宙実験施設「きぼう」が国際宇宙ステーションに取り付けられ,いよいよ動き出したというニュースが,昨日はどこのTVでも大きく取り上げられていた。作業を進めている宇宙飛行士が「星出さん」というのも,いかにもな雰囲気を醸し出しているし,なにより入口に藍染め(?)・白抜き文字の「のれん」を掲げるというのは,なかなかの演出だ。何人かの飛行士たちがのれんをくぐり抜けて行くのを見るのは,楽しいものだ。

  ところで,ニュースを見ていてひとつ気になったことがある。それは,のれんの動きである。人がのれんを押し分けてくぐっていったあと,のれんは静かに元に戻って,垂れ下がっている。人が通り抜けているときには,明らかにのれんはめくれているのだが,いつのまにかスッと垂れ下がっているのだ。無重力なのだから,<垂れ下がる>という表現はそもそもおかしい。上下がないはずだからだ。厚そうな布地だが,中に心棒が通っているようにも見えないし,めくれ方も自然で,固く突っ張っている感じはない。

  いっしょに映っている女性飛行士の髪が四方に広がっているところを見ると,あれがやはりふつうなのだろう。のれんを押し分けたら,のれんは,押し分けられた方向にずっとねじ曲がっているはずではないだろうか。

  いったいどんなしくみになっているのだろう? それとも私の発想がおかしい? きっと同じような疑問を持った人がたくさんいるだろうから,そのうち特集されるのではないだろうか。楽しみだ。

ポイント

08.06.04. 自粛令

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  トヨタ・グループがPowerPoint「自粛令」を出した,という記事を偶然目にして,妙に納得してしまった。きっと企業の状況と大学の状況はまったくちがっているのだろうから,発言の意図もイメージされている場面もズレているのだろうが,それでもなにか共感してしまう。

  元はといえば社長の一言からだったようで,その発言は,こうである。

“社内の意識はまだまだ甘い。昔は1枚の紙に(用件を)起承転結で内容をきちんとまとめたものだが、今は何でもパワーポイント。枚数も多いし、総天然色でカラーコピーも多用して無駄だ。”

  厳しい決算を発表したあとの発言で,「一層のコスト削減を強調」した言葉のようだが,どうも話は,ただ枚数が多くてカラーコピーも多用して無駄だ,ということではないような気がするのだ。「昔は1枚の紙に起承転結で内容をきちんとまとめたものだ」というあたりが大事なところで,つまりはテキストだけでもきちんとわかりやすく説得できるはずで,しかも短く簡潔に表現できるはずだと。その肝心な部分での努力を怠って,視覚に訴えるイラストだの矢印だの目が痛くなるような色遣いだのという仕掛けばかりに力が入っているから,そしてそのぶん資料がダラダラと長いから,無駄だと言っているのではないだろうか。

  企業のことはよくわからないので,ここからは自分の話。

  私自身も,大学院の1つの授業を除いて,少し前から全部PowerPointでの授業になった。なにしろ,一度作ってしまえば次はそのまま使えるので,黒板にチョークのころに比べたら講義はずいぶん楽だ。また,その前に使っていたOHPと比べると,TPの印刷の手間がかからないぶん,細かな修正をいつでも気軽に加えることができる。授業の直前になって気がついた誤字をササッと修正してしまうなどというのも,プレゼンソフトならではの芸当だろう。

  便利なソフトではあるのだが,唯一の悩みは配布資料のことだ。PowerPointの印刷メニューの中には,配布資料の印刷が簡単にできるようなメニューが入っていて,用紙1枚に1スライドを印刷できるほか(この形式は論外!),複数のスライドを縮小して並べる形式や,左にスライド・右にメモ欄が配置された形式での印刷が選べるようになっている。私はこのうち6スライドの形式で印刷しているのだが,印刷してみると,これがたしかに冗長なのだ。

  だいたい,スクリーンに映すことを考えて,見やすいように文字を大きくしているので(本文はほぼ32ポイントか28ポイント),印刷用に縮小してもまだ大きい。それに,印刷だと文字がスカスカで空白部分がやたらと目立つ。1つのスライドに重要事項が2つも3つも入らないように分けているので,よけい間延びしてした感じになる。これだけ白地が目立つ資料を配られたら,無駄だと叱られてもしょうがない気がする。

  おまけに,ときには授業の進行の都合上,わざとだいじな事項をスライドに書かずに,説明を聞いてはじめてわかるようにしたり,解説抜きで図表だけを提示して自由に解釈させたり,というようなこともあるから,配布資料単独で見たら,明らかに不完全なものになってしまう。

  まあ,もともと,プレゼンのスライドは講義のしゃべりとセットにしてはじめて成り立っているもので,話し言葉によるコミュニケーションのスタイルとかペースに沿って作られているのだろう。「文章を読んで納得させる」という,書き言葉のスタイルやペースは,それとは全然ちがうわけだから,スライドをそのまんま印刷して配布資料にしてしまおうという発想自体に,最初から無理があるのかも知れない。聞き手から見れば,投影しているスライドと資料のどの部分が対応しているかがわかりやすいという利点はあるのだろうが。

  きっと書き言葉のスタイルに沿った文字だけの資料を作ったら,1/2とか2/3くらいに収まるはずなのだが,だからといって,配布資料を別に作るというのはいかにも効率が悪いし,せっかくのPowerPointの特徴である修正の容易さが損なわれてしまう。どちらがいいかは,悩みどころだ。

  そんなこんなで,配布資料の扱いは,いまのところ2つに割れている。大学院の1コマ単発ものの授業では,文字だけの資料を別に作っていて,スライドの内容にしゃべりの内容を少し加えた資料にしている。ただしこれは,授業の時には配らず,“授業を聞いて興味を持った人はWebに取りに来てね”という形式の,あとでの復習に特化した資料である。(だからこそ,こういう作り方ができる,ということもあるだろう。) 一方,学部の授業は,毎週1回・15回分なので,あっさりと6枚スライド形式で印刷したものを配布している。

  プレゼンでも配布資料でも,「1枚の紙に起承転結で内容をきちんとまとめる」というのは理想としているところではあるのだが,その境地に達するには,まだまだ長い道のりが必要なようだ。

ポイント

08.05.30. 代役

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  3月・4月と,ちょっと大きな仕事を立て続けに抱えて身動きがとれないでいた。まあ,キリキリ忙しくてどうにもならないってほどの大仕事ではなく,そこそこ余裕はあったのだが,どの仕事も大学から回ってきた「お仕事」の類なので,個人的な関与感はゼロ。だから多忙感ばかりが身にしみるのだろう。

  そのうえ,だんだん年をとってくると,同時並行的に進められる作業の数が極端に減る。よくても3つ,せいぜい2つがまともに集中できる限界だ。大学の仕事の合間に自分の仕事をチマチマと進めていく,なんて芸当はなかなかできなくなってきた。

  そんな一連の雑用が,5月の連休明けとともにようやく終了したので,しばしボーッとした後で(次の仕事に頭を切り換えるまでに時間がかかるようになってきたのも,やっぱり年のせいなのだろう),さあ自分の仕事に戻ろう,とようやく心を決めた矢先,研究室のPCがWindowsの起動画面を表示したまま,ピタリと黙り込んでしまった。何度起動し直しても改善の兆しは少しも見られず。セーフモードから以前の状態に戻そうとしてもダメ。エラー修復のときに画面下に出てくるプログレス・バーが,左端からちょこっとのび始めたと思ったら,ソフトウエアのエラーとかなんとかメッセージが出て固まってしまう。キーを押すと再起動するようになっているのだが,再起動をかけるとまた同じ状態に戻るだけ。その繰り返し。バックアップCD-ROMから起動しようともしてみたが,やっぱりダメだった。

  研究室では,主に2台のPCを使い分けて仕事をしている。ひとつは大学から割り当てられているネットワーク端末で,LANに常時接続して事務連絡のメールをやりとりしたり,大学のWebサイトに掲載された情報を見に行ったりする都合上,それ以外はなるべく軽い仕事でしか使っていない。これは,初代のネットワーク端末が導入されたころからの,いわば習慣だ。なにしろ当時(まだWindows 3.1のころ)は,ワープロで大きな文書を開いているところに,調べもののために新しくブラウザを開いて,写真の多いサイトを見に行ったりすると,頻繁にメモリ・スワップが起こって動きが極端に鈍くなっていたし,ときにはおつきあいで全部の処理がフリーズしてしまったりしていたから,怖くて重い仕事は任せられなかったのだ。それに,常時接続状態のPCで成績データのようなマル秘データを扱うことに不安もあったし。

  そのぶんもう1台は,ワープロとか図表づくりとか,データ処理とか画像の加工…などなど,重い処理を伴う仕事を一手に担ってきた。今回のお仕事でも,データの解析処理や結果をグラフ化した報告書の作成,科目群のPRパンフのデザインと,大車輪の活躍をしてくれていた。それが,お勤めが終わったとたん,壊れてしまったのだ。

  センター試験の腕時計事件以来,機械にも過労ストレスがあるのかも知れないと密かに思っているのだが,たぶん今回のケースは別の原因だ。どうもWindowsのオート・アップデート機能が絡んでいるみたいだからだ。最近はいろいろなソフトで,定期的に自分をアップデートする機能がついていて便利なのだが,Windowsのオート・アップデートの場合,アップデート終了後のシステム再起動まで勝手にやってしまう。ふつうは今再起動するかあとで再起動するかを聞いてきて,NOならそれで終わりなのだが,Windowsの場合は,NOを選択してもまた数分あとには再起動を促してくる。返事をしないでいると,勝手に秒読みをして,リセットをかけてしまうのだ。これまでも何度か書きかけの文書をダメにされたりしてきたから,学習しなくてはいけなかったのだが,甘かった。

  それにしても,なんというタイミング。

  ちょっと時間のかかる計算処理を実行するために,プログラムを走らせっぱなしで会議に出かけたのがいけなかった。会議が終わって部屋に戻ってみたら,画面上ではリセットがかかった形跡があり,その途中で固まっていた。キー入力にも反応がないので,電源スイッチを長押しして強制的に電源を切る。少し待って電源を入れ直してみると,「深刻なエラーから回復しました」とかなんとかいうメッセージがチラリと表示されて,正常に起動。ホッとして計算の続きをさせようとしていたら,「Windowsのアップデートが完了していない。システムの再起動が必要だ」みたいなメッセージが出てきたので,素直に応じる。しかし。

  それが最後だった。

  ハードディスクが壊れたとき以外,こんな深刻な故障ははじめてだ。いろいろ無茶な使い方をしているので,けっこうエラー終了になることも多いのだが,たいていは,セーフモードでなんとか修復できていた。どうしようもなくなっても,バックアップCD-ROMを使って初期化してしまうという最終手段があった。しかし今回は,どうやっても回復しない。

  2,3日あれこれ格闘してみたのだが,まったく変化がなかったので,ついに断念。別の用途に買っておいた大きめのノートを据え付けて代用している。

  しかし,重い仕事をさせているだけあって,インストールしなければいけないアプリケーションが異常に多い。しかも大きなソフトばかりだ。ワープロ,図形処理,画像処理…,いちいちインストールに時間がかかる。そのうえ,それぞれ自分好みにカスタマイズしまくっているから,インストールしたあとの環境設定にも時間がかかってしまう。また,使い勝手をよくするためのフリーソフトもたくさん利用しているのだが,私がなじんでいるソフトの多くは,すでに開発が中止されていて,作者のWebサイトもなくなっているケースが多い。これがまた困った問題だ。さすがに文書とか計算結果とかのデータ類は,外付けのハードディスクに保存しておいてあるから,それだけは大きな被害はなかったのだが。

  ほんとうは,壊れたPCをすぐにでも修理に出したいのだが,困ったことに,先日までの作業で学生の個人情報に関係するデータを扱ったので,PCにはそのときのデータがそのまま残っているはずなのだ。元データも最終結果も外部記憶装置に移したのだが,再分析の指示があるといけないので,計算・集計途中の作業ファイルはまだ,作業用フォルダに入れたままになっている。だから,簡単に修理に出すわけにはいかないのだ。いったい,どうしたらいいのだろう… と悩みつつ,とりあえず代役のノートには,少しずつ重い仕事を覚えさせているところだ。

ポイント

08.02.26. <表>日本

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  集中講義で横浜国大に行ってきた。

  冬の関東はどうも得意ではない。乾燥しているせいか,すぐにのどを痛めてしまう。それでなくても,私の講義はずっとしゃべりっぱなしなので,たいてい3日めはヘロヘロになる。とにかくのど飴を完全装備し,途中のコンビニで毎朝飲み物を買って,講義に臨むことにした。

  夜間課程の科目も兼ねているので,講義は休日限定。ということで,2月の3連休を使っての開催となった。そのことを,軽く考えすぎていた。

  とにかく横浜駅が連日大混雑。とったホテルが大学行きのバス乗り場と駅をはさんで反対側にあるので(これも,ホテルをとるときに考えておくべきだった),通学時には必ず駅を横断することになる。朝はともかく,疲れて大学から帰ってきたときに,いやおうなくその大混雑の中に突っ込んでいかなければならないのだ。

  駅の中だけではない。西口・東口につながる2つの地下街も同じように大混雑。かなり広くとられているはずの通路に,人があふれかえっている。その中を,パソコンの入ったカバンを抱えて突っ切っていくのは,けっこうな骨折りだ。みんなが通勤というような状況だと,雑踏といっても,わりあい人の流れはつかみやすいのだが,休日となると,歩くスピードも向かう方向もさまざま,急にお店の前で立ち止まったり方向を変えたりで,ぜんぜん予測がつかない。対応するのに2倍足がくたびれる。

  せっかく横浜に来たのだから,夜は中華街にでも出てみようかとも思っていたのだが,この1日めの混雑を体験しただけで,もううんざりだった。やはり3連休は3連休。この調子だと,中華街もその他の観光地も,相当な人出にちがいない。すっかり夕飯の楽しみが苦痛に代わり,駅周辺のデパートのレストラン街ですませることにした。…もちろんそこもかなりの混雑だったから,お店を選ぶというよりは人の並んでいないお店を探して入る,といった具合だったのだが。

  大学も,休日とあって事務はお休み,学食も開いていないということで,教室の準備やらお昼の用意やらはすべて,私を呼んでくれた先生のところの院生さんたちが,お世話をしてくれた。感謝。せっかくの連休を全部つぶして,一日中勉強漬けにさせているだけでも心苦しいのに,講師の昼休みの“接待役”までやってもらっては,ホントに申し訳ない。おまけに受講生全員がM2。通常の授業は全部終わっていて,この授業は修了前の最後の授業なんだそうな。“思い出に残る”べき最後の授業のはずなのに,こんな日程とこんな講師で,ますます顔が上げられなくなる。

  2日めは雪予報。1日めの宵の口から降りはじめて,朝まで続くという。こりゃ,新潟から雪を連れて来てしまったか。まあ私自身は,雪国仕様のブーツを履いていったし,コートも暖かいインナーをはずさないで着ていったから,とくに不安はなかったのだが,問題は交通機関がどうなるかだ。慣れたところなら何とかして大学までたどり着くが,知らないところでは,交通機関が止まってしまったらまったくお手あげだ。

  学生の情報によると,地下鉄は比較的影響が少ないとのことだったので,雪になったらとにかく地下鉄に向かうことにした。地下鉄から大学までは少し歩くが,幸い,歩く格好だけは万全だ。“雪道の正しい歩き方”を周りに見せつけながら,颯爽と歩いていくことにしよう。

  予報通り,夕食に出かけたころから降りはじめていた雨が,帰りに地上に出たときには,みぞれになっていた。歩道にはもう薄くシャーベット状の雪が積もっている。その晩は心配で,ホテルの窓から何度も下の道路を見ていたのだが―。幸い,雪らしい雪はそのときだけで,夜半には傘を閉じて歩いている人も見かけるようになった。なあんだ,と一気に拍子抜けして,床についたのだった。

  翌朝は晴れ。前夜の雪を証言するかのように,住宅街の植え込みや車の窓に,ところどころ雪がまとわりついている程度で,道路はまったく問題なく,バスも平常どおりに動いた。丘の上にある大学は,さすがに一面真っ白になっていたが,それも昼までには消えていた。やはり関東はちがう。

  ちがうといえば,雪予報の出た1日めの夕方だけは,さすがに肌を刺すような冷気を感じたが,それ以外は毎日暖かくて,昼近くになるとちょっと汗ばんでくるくらいの陽気だったのだが,受講生に聞いてみると,みんな寒い寒いという。たしかに授業中コートを着たり体にかけながら聴いている人を多く見かけたから,ホントに寒かったのだろう。

  まあ,こちらはしゃべっているしちょっとは動いているし,プロジェクターの光も浴びているから,じっとしていなければいけない学生たちよりは,多少は暖かいのはたしかだろうが,それにしてもこれほど暖かさの感覚がちがっているとは思わなかった。こういうのを見ると,やっぱり<表>日本,<裏>日本と言いたくなるのもわかる気がする。

ポイント

08.02.20. 終わりよければ?

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  大晦日。

  論文添削からも解放されて,例年のようにのんびりと過ごしていたら,宅配便が届いた。こんな年末ギリギリになって贈り物なんて,珍しい。箱を見ると,なんと信州年越しそばセット。ますます珍しい。

  いったいだれがそんな気の利いた贈り物を…,と送り状を見ると,送り主はまったく心当たりのない名前。住所も遠く離れた静岡だ。もしかして修了生が実家からでも送ってくれたのかもと,いっしょうけんめい静岡出身の卒業生・修了生を思い浮かべてみるが,名字も名前もまるっきりつながらない。しかも,送り主は静岡だが,モノは信州そば。長野の業者から発送されているから,たとえば実家のある地元の名産品を,わざわざ頼んで送ってくれたというわけでもないようだ。だいいち,知らない名前で送ってくれるなら,事前に一言連絡をくれるはずだろう。

  あやしい。

  妻の関係者にも思い当たる名前はなかったが,念のため,妻が買い物から帰ってくるのを待って聞いてみる。もちろん,知らないとのこと。

  意を決して,送り主に電話した。

  「そちらのお名前で,私の方にそばが届いたのですが,お心当たりありますか」

と聞いてみると,

  「こっちはさっきからずっと待ってんだよ!」

  いきなり怒ってるし…。しかも,こっちが悪いわけではないんですけど。

  まあ,気持ちはわかる。電話で突然事情を説明されたって,すぐに飲み込めないのはしょうがない。それになにより,大晦日なのに,まだ年越しそばが届いていないのだ。

  だから,努めて冷静にもういちど事情を説明する。やっぱり事態がよくわかっていないらしく,送り主はだれになっているのか,モノは何なのか,業者はどこなのかと,いろいろ質問してくる。(ほとんど,さっき説明した内容なのだけれど) そしてようやく,まちがいなくその人がその業者に注文したこと,自宅用に注文したものだということを確認。それに,なぜ私のところに行ったのかまったくわからないという。

  「そりゃあ,おかしいから業者に連絡した方がいいよ。連絡してください。」

  いえいえ,こっちはいわばとばっちりを受けただけなんで,できたら“当事者”間で話し合ってほしいんですけど。それに,間違えられた側から電話したって,「心当たりがないんですけど」しか説明しようがないわけで,ここは注文した側から,「いついつどこそこ宛に注文したんだけど…」と言ってもらわないことには迫力がない。

  とはいっても,会話に敬語が交じるようになって,向こうも少しずつ冷静になってきているのがわかる。そこでまたこっちも冷静に,「こちらからも連絡するが,注文の詳細を把握しているそちらから言ってもらうのが最善だ」とかなんとかお願いして,電話を切った。ふう。わかってくれたのかどうか不安ではあったが。

  ちょっと一休みしてから,業者に電話を入れる。呼び出し音は鳴り続けているが,ちっとも出ない。さすがに大晦日は,土産物業者もお休みか…。

  もう昼をだいぶ回っていた。目の前にはおいしそうな年越しそば。業者のミスだし,生ものだし,気づかなかったフリして食べちゃおうか,などという悪魔の囁きが聞こえはじめる中,電話が鳴った。その業者だ。時間から考えると,送り主が,先ほどの電話を切ったすぐあとに(私が一休みしている間に)業者に連絡を入れてくれたらしい。疑ってゴメン。で,先ほど業者に電話してもつながらなかったのは,どうやら間違いの確認と対応に走り回っていたせいらしく,電話をかけてきたときには,業者はもう詳細を把握していた。

  説明によれば,うちの顧客番号が送り主の電話番号とたまたま一致していて,発送先を入力するときに入力欄を間違え,電話番号から住所を呼び出して記入するはずが,顧客番号から呼び出してしまったとのこと。入力後に必ず別の人間がチェックするのだが,なぜか見逃されてしまったそうだ(チェックした人にも確認済み)。

  電話してきた女性は,きちんとお詫びの言葉を述べ,自分のところのミスであることをまず認めたうえで,テキパキと事情を説明していく。とりあえず危機管理体制は合格,といったところだろうか。少なくとも私は,くどくど謝られるよりは,事情を明確に説明してくれた方がずっとうれしい。

  それで,品物は宅配業者を行かせるので送り返してほしいとのこと。(やっぱり食べられませんか) それはいいのだが,ひとつ気になるのは,送り状に書いてある私の個人情報である。第一に,なぜ私の情報がこの業者に行っているのかがわからない。私自身はこの業者に宅配を頼んだ覚えがまったくなかったからだ。また第二には,まさかこのまま本来の送り先に回すなんてことはないだろうけれど,やはりなんとなく,私の個人情報が入った送り状ラベルが貼られたまま送り返すということには,抵抗を覚える。そう率直に言ってみると,個人情報については業者が責任を持って廃棄すること,顧客リストに掲載された経緯についてもきちんと調べてくれることでどうか? とまたまたテキパキと提案がなされる。もちろん,こちらに異存はない。

  これでどうやら片がついたので,電話を切って遅い昼食を食べていたら,また電話が鳴った。先ほどの業者だ。顧客リストに載ったわけを調べてくれたそうだ。

  それによれば,長野の某駅前のお店から自宅に品物を送った記録があるという。なるほど,それなら記憶もある。集中講義で出かけたときに,お土産を自宅に送ったのである。どこの駅周辺にもあるような土産物屋の1軒だったので,何という業者が経営しているかまでは気にもとめていなかったが,その業者だったわけだ。でもそれだったら,もう10年以上も前のことになる。たった一度きりで,以後まったく利用していないのに,それでもまだ顧客リストに残してあるのか…。やはり個人情報の流出はコワい。

  そんなこんなで,ホントに珍しくバタバタした大晦日ではあった。「終わりよければすべてよし」だそうだが,1日の終わり方が悪いと,ウツな気分はたいてい翌日にまで尾を引くものだ。とすると,大晦日の終わり方が悪いと翌年に…。考えたくもない。

  夕方,宅配の人がやってきて,恐縮しながら荷物を引き取っていった。詳しい内容は聞いていないのだろう,「申し訳ございませんでした。どういった不都合があったのでしょう?」とおそるおそる尋ねてくる。「発送した業者が宛先を間違えただけなので,ぜんぜん宅配の問題ではないんですよ」と教えてあげたら,急に笑顔になって帰って行った。同じ大晦日にとばっちりを受けたもの同士だもの,せめて最後は笑顔にしてあげなくちゃね。

ポイント

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