●過去のコメント

『学習心理学特論』の
レポートについて

<2004年度版>


『学習心理学特論』(修士:前期金4限)の
レポートで気づいたこと


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■ 最長と最短

  ついに史上2番目の遅い公開となってしまった今年のコメント,今ごろになってようやくアップしました。トップページには「11月中旬公開予定」の文字をずっと掲げ続けて,自分に圧力をかけていたのですが,それにもまして仕事に追われる現実はいかんともしがたく。まあ,大学教員の忙しさなんて,現職教員のみなさんの日常に比べれば言い訳にならない程度ではあるわけですが,この手の作業は,ある程度まとまった時間と気合いを投入しないと片づかないので,合間を縫ってちょこちょこと,というわけにはなかなかいかないのです。

  さて,申し合わせたわけでもないでしょうに,今年はこの授業をはじめて以来,最長と最短のレポートが提出されました。長い方はなんと58枚,短い方は1枚。もちろんオモテ面だけ。

  今まで,表裏両面を使って1枚というのは何人かいましたが,よく考えてみると表だけ1枚というのは,たぶんはじめてです。文字数まで数えたわけではありませんが,おそらく最短でしょう。べつに短いから悪いということはまったくありません。簡潔にまとまっているのであれば,短くても(というか短い方が)OKだと思います。しかし,残念ながらこの方のレポートはBにしました。理由は,理論的な分析がじゅうぶんとは言えないと思われたからです。今年のレポートでBになったものの多くは,同様の基準によるものでした。

  このコメントの目的は「吊し上げ」ではないので,個々のレポートについて詳しくは書きませんが,理論というのは,<どういう要因が><どのように,あるいはなぜ作用して><どういう結果をもたらしたか>をきちんと説明できてはじめて,「あてはまった」ということができます。とくに<どのように>の部分がちがってくれば,それはちがう理論というべきでしょう。どうも,<どういう要因が><どういう結果をもたらしたか>だけで理論をあてはめてしまっているのでしょうか,あっさり○○理論があてはまるのだと結論づけて,ハイおしまい。個々のできごとを読むとちょっとちがうように見えるのだけれど,あれ,その説明はしてくれないの? みたいな感じがあります。もう一度,<どのように>の部分を見直してほしいなあ。その部分で個々のできごとを矛盾なく説明できていれば,どんなに短くてもOKです。

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  一方,最長58枚のレポートは,じつを言うと大半が学級通信のコピーなのですが,「なあんだ」と思ってはいけません。「合唱コンクールへの取り組み」に焦点を絞って,なんと6年分の通信が綴じられていたのです。気合いの入り方が半端ではありません。1年分なら何度も見ていますが,6年分というのははじめてです。

  こういうのを添付してくれると,また隅から隅まで読まずにはいられないというのが,日頃文献読みで商売をしている者の悲しいサガでありまして,縮小コピーがかかってじゅうぶん細かくなった文字を,ここ2,3年のうちに急速に進んできた老眼の目で追いながら,全ページ読破したのでした。あ,こんなふうに書くと,いやいや読んだように見えるかも知れませんが,それはまったく逆で,ついつい没頭してしまい,読み終わらないと週末,家に持ち帰ってでも読みたくなるのです。欄外に先生が小さな文字で書いているつぶやきなんか見つけると,気になってしかたがなかったりもするわけで―。

  学級通信は,担任の先生の指導方針や考え方がよくわかるので,ひじょうに興味深い資料です。これは,保護者の立場からもそう思います。どういうできごとをどういうふうにとりあげるかは,教師によってさまざま。そうした形で教師の価値観を生徒や保護者に伝えることは,けっこう大事なことだと思います。最初から最後までワープロ打ちの事務連絡,しかも昨年のをコピーアンドペーストしたのでしょう,日付と曜日がズレていたりすると,正直ありゃあと思ってしまいますからね。

  今回のケースは,さらにこれが6年分まとまっているわけですから,強力です。合唱コンクールという一大イベントに向けて,教師がいかに感動経験を演出しようとがんばっているかの舞台裏が見えて,読み応えがあります。最初の意義づけからはじまり,トラブルへの対処,本番前の盛り上げ,本番後の感情の“シェアリング(?)”と,教師の動機づけ戦略とでもいうべき側面がよくわかります。もちろんそれは,冷徹な戦略というようなものではなく,その背後にある,教師自身のコンクールに対する熱い思いがセットになっているわけです。

  合唱コンクールは,毎年のレポートの定番ネタのひとつですが,いろいろなレポートを読んでみてわかるのは,教師自身がコンクールに強い思い入れを持ち,その準備過程を楽しんでいることです。たぶん毎年それなりの問題を乗り越えながら指導されているのでしょうが,「毎年苦労しているのよ」と言いながら,その実そのプロセスを楽しんでいる様子が文章の端々からうかがえるのが,このテーマの大きな特徴といえるでしょうか。もっとも,私の授業の性格から,「優勝しよう!」「他のクラスに負けないように!」という動機づけ戦略ではない<内発的>動機づけ戦略を報告してくれるレポートが大半だから,よけいそう見えるのかも知れませんが。ともあれ,この学級通信からも,そうした教師の<熱さ>がヒシヒシと伝わってきて,私もいちいちうなずきながら読んでいたのでした。

  さて,話をレポートの長短に戻しましょう。もちろんこの場合も,学級通信をたくさん添付したからOKというわけではけっしてありません。来年以降の受講生で,これを読んで参考にしようと思っているみなさん,くれぐれも数で勝負しようなどと誤解してはいけません。今回の58枚は,明確なコンセプトを持ってまとめられているから成功したのです。ある理論が<どのように>作用しているかをうまく表した事例であるかどうかをしっかり考えて,添付する資料を取捨選択してください。

  ただ枚数が多いのは冗長なだけです。念のため。


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■ 入賞の功と罪

  舞台は全校生徒6名というごく小規模校。少人数なので一人ひとりが主役である一方,何をしても目立ってしまうという学校での事例です。主人公は高学年の担任。図工が得意で,絵を描いたり工作をしたりするのが大好きです。この先生の方針は,子どもたちの思うままに,自由に絵を描かせるというものでした。子どもたちの絵は,お世辞にも上手とはいえませんでしたが,子どもたちは楽しそうに絵を描いていました。

 しかし,図工主任が受け持つ隣の学級では様子が違います。「そこは赤で塗りなさい」と指示し,自らが筆を持ち,彫刻刀を持ってマンツーマン指導。それを見てこの先生は,「おいおい,やりすぎじゃないか?」と思っていたのだそうです。ところが,あるときから状況は一変します。

  秋の文化祭で実にショッキングなことを保護者から言われたのだ。

「おや,高学年よりも低・中学年の作品のほうが上手なんねえ。」
「こっちの方が年上なんじゃないか?」

私「……。」

  そして,駄目押しは冬の絵画・版画コンクールの結果だった。普通の学校ならよい絵を描けた児童数名が代表で出品するのだが,小さな学校は全員出品できる。その結果,低・中学年は軒並み賞に選ばれていたのに,高学年はさっばりだったのだ。なんだ,そんなことかと思うかもしれないが,一人ひとりが思いっきり目立つ小さな学校のことである。体育館で賞状伝達をしたあと,教室に戻ったとたん,高学年の子が

「先生,ウチら,絵下手なんね。」

とつぶやいた。他の子も

「仕方ないよ,絵嫌いだし。」

私は,

「そんなことないぞ,絵というのはな……。」

とは言ったものの,本当にショックだった。

  そして2年め。念願の図工主任になったこの先生は,豹変します。

  今年こそはと,子どもたち一人ひとりに絵や版画の描き方,彫り方を徹底的に教え込んだ。そしてコンクールでは,ほぼ全員が入賞。他の学校ではまずありえないことだ。

  さらに3年めになると,新しく赴任した校長のツルの一声で,絵の専門の先生を授業に呼ぶことになり,子どもたちの絵はさらにレベルアップする。それとともに,私の指導にも熱が入った。

「これはいいとこいくな。」
「金賞レベル。」

といった言葉が子どもから聞かれてぞっとした。そして,結果を見て驚いた。なんと県で一番の賞を取ってしまったのだ。

  4年目。すっかり「子どもたちの絵が(異常に)上手い学校」という伝統を作ってしまった学校,そして「スーパー小学生」というレッテルを貼られた子どもたち。私もとうとう引くに引けなくなってしまった。さらにはその年,習字の大家の先生が赴任してきて,6名全員が会長賞以上の賞。図工も全員入賞を果たした。

「やった!特・特だ!(特選2つの意)」
「えーっ,私は版画,銀だったな…。(銀賞はもはや喜ぶ価値がないという意)」

という言葉を聞いて,私はもう図工を教えるのがいやになった。

  なお,この学校はその年で閉校になり,町の学校に吸収合併された。その学校での子どもたちの様子がどうなったかは…知る由もない。

と,ここまでは02年度のレポートの中のひとつと同じような展開なのですが,興味深いのは,ここからの分析です。見てみましょう。

  子どもたちの図工に対する意欲について見てみると,「絵を描くのが楽しい」という気持ちは逆に高まったようであった。「今日は絵を描きます。」と言うと,ほぼ全員が「やった!」と答えるくらい絵が好きだった。きっと自分の腕前に自信が出てきたのだと思う。その意味では,技能面の指導は成功だったといえるのではないだろうか。

  だが,問題はその動機である。子どもたちは明らかに体育館で賞状をもらえるのがうれしくて,そのために絵を一生懸命描いていたのである。授業中に私が「よく描けたね」「がんばったね」と褒めるよりも,賞状の紙とそこに書いてある「特選」「金賞」という文字に反応していた。

  いかがでしょうか。つまり,子どもたちの意欲が高まったという点で,この働きかけにも一定の成果を認めているのです。もちろん,意欲の方向性についてもきちんと吟味していて,明らかに外発的であると述べています。そのうえで,単純に「外発的動機づけ」と片づけないで,そのプラスの効果を分析しています。分析のポイントは,「成績随伴性」と子どもたちの「自信」。入賞という困難度の高い目標にチャレンジし,到達したという情報的側面が,子どもたちの有能感を高め,内発的動機づけを維持しているのではないかというのです。これは私も同感です。ちなみにこの先生は,「成績随伴性報酬は内発的動機づけを下げない」というのを論拠にしているのですが,これはちょっと誤解があって,成績随伴性報酬では,情報的機能も制御的機能もどちらも高まるので,下げる・下げない両方の結果が混在しているのです。まあ,それはそれとして。

  実は私も,明らかに外発的に動機づけられているのに,行動パターンは内発的っぽい場合があるということを,何度か見聞きしています。たとえば,外発的動機づけの場合は,報酬を得るために必要な最小限の行動だけに集中して,よけいなことはやらない,逆に報酬を確実にするためなら,多少のズルもいとわない,というのが基本パターンなのですが,言われていないことまでやるとか,細部に自分なりのこだわりをもって時間をかけるといった内発的な行動パターンが,賞状や勝利に動機づけられている子どもたちにも,しばしば見られるのです。これをどう解釈したらいいのか,なかなか悩ましいところですが,このケースに対する分析は,ひとつの解釈としてじゅうぶん納得できるものだと思います。少し補足しておきましょう。

  図工という教科は,国語や算数とちがって,達成感や有能感を得る機会に乏しい教科です。問題が解けた,テストで一定の点数がとれたというような,わかりやすい「結果」が伴わないからです。もとから表現する喜びを知っている子どもなら,絵を描く/版画を彫るという活動自体に動機づけられますから,それでも問題はないのでしょうが,そうでない子どもたちにとって,特におもしろくもない活動を,ただ自由にやっていいよ,というだけではなかなかそうした活動のよさを実感することはできないでしょう。

(ここは,初期状態の子どもたちをどうとらえるかによって,だいぶイメージが変わってきます。「楽しそうに絵を描いている」というのは,じゅうぶんに内発的動機づけが高いからなのか,もっとあいまいな動機づけなのか。ここでは後者であることを想定して,話を進めます。)

  そんな中で,コンクールでの入賞という外発的刺激は,子どもたちに絵を描くことへの具体的目標を与えたのではないでしょうか。他の学年の子どもたちが実際に入賞したのを見ていますので,入賞はきわめて身近で現実的な目標となったはずです。また,賞をとるためには絵がうまくなければいけないわけですから,教師の技術的指導も比較的素直に受け入れられたのでしょう。

  その結果,自分たちも見事に入賞することができました。図工ではめったに得られない,しかも最大級の達成感・有能感です。これが彼らを動機づけないわけはありません。おそらくこの時点で彼らの動機づけには,入賞したいという外発的動機づけと同時に,有能感を高めたい,確認したいという動機づけ(連続体説でいえば同一化段階の動機づけ)が作用しはじめていたと考えてもよさそうです。そのため,単純な外発的動機づけの場合とはちがった行動が見られたのではないでしょうか。

  言葉を代えれば,子どもたちを「絵を描く」という活動に引きつけ,有能感を感じとらせる<きっかけ>としては,この一連の活動は評価できるということでしょう。そして,これを長期的な動機づけプロセスの一段階と考え,ここで芽生えた有能感をうまく育てながら賞状から少しずつ視線を移していくことができれば,子どもたちにより内発的な動機づけを形成させることができるかも知れません。

  しかしその反面,やはり先ほど書いたような制御的側面がいつ前面に出てくるかわからないのも,事実ではあります。たとえば,全校でひとりだけが賞を逃したような場合,彼の有能感はたぶんあっさり崩れ去っていきます。あるいは教師がマンツーマンで指導したとき,児童の描きたい思いとはちがった方向で指導してしまう(強制してしまう)という事態も起こりえます。せっかく芽生えてきた有能感や主体的な取り組みが,今度は教師の関わりによって挫かれてしまう可能性があるのです。逆に,いつまでも教師の指導どおりにしか描けない,表面だけの有能感しか持てない児童もいるでしょう。有能感によって維持されていた意欲が,何かのきっかけであっという間に消え去ってしまうことは,おおいにあり得るのです。それは,この先生ご自身が書かれています。図工が好きで念願の図工主任になり,意欲的に子どもたちを指導していたこの先生でしたが…。

  だが一番問題なのは,子どもたちの話の前に,教師である私自身が,自分の指導評価や子どもたちのやる気の減退を気にするあまり,絵を描く楽しさよりも技術面に偏った指導に走ってしまったことであろう。事実,2年目の私は賞を取ることばかり考えており,そのためのテクニックを教えることに終始していた。コンクールという報酬に一番飲まれてしまっていたのは,他ならぬ私自身だったのかもしれない。

  子どもたちのスキルはアップし,実際,賞が取れたという自信を得た彼らは,図工が好きだと思えるようになった。しかし,それによって「全校児童が受賞するほどの絵の上手な学校」というレッテルを貼られ,それによって教師がどんどん追い込まれるという結果を生んでしまったのだ。

  町の学校に統合された子どもたちが,有能感をだいじに保ったまま,これからも生き生きと絵を描き続けていけるよう,私も祈りたいと思います。


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■ 能力帰属の功と罪

 次は,入学式の当日に,主任の先生から「教科書を友達,辞書を恋人だと思って,3年間勉学に励みなさい」と言われ,両親は3年間旅行などの計画をしないよう申し渡されるという,徹底した受験指導を誇る進学校でのお話。もちろん,部活動は勉強の妨げになるという理由で禁止。テストも週単位・月単位・学期単位と各種取りそろえてあって,そのうえ外部模試をこれでもかというくらい受けさせられます。

  そんな高校のカリキュラムなど全く調べず,間違えて入学してしまった私は,悲惨な高校生活を送った。中学時代は,予習・復習などしなくても勉強にはついていけたし,テスト前さえ頑張れば,良い成績をとることもできていた。だが,高校はそんなわけにはいかなかった。県内の同じような学力レベルの生徒が集まり,全員が上に述べたように強制的に勉強させられている状態だったので,自分が力を抜けば成績は一気に下がった。テストの度に,熾烈な争いが繰り広げられていたのだ。

  中学時代までの私は,努力すればどんなに難しい問題でも解けると思っていた。そして,問題が解けないのは自分の勉強不足が原因だと思っていた。特にテストに関しては,その日の体調や運などは関係なく,自分の努力次第だと思う傾向が強かった。悪い成績をとれば,自分自身の勉強不足を責めたし,良い成績を取れば,自分自身の努力を自分自身で誉めていた。

  このように,テストの結果を自分自身の努力に帰属するようになったのには,理由がある。私は3人きょうだいの真ん中なのだが,小学校の時は3人ともたいして成績に差はなかったが,私だけは,漢字テストなど地道な努力を要するものの成績が,姉と弟に比べて良かったのだ。さらに中学時代は,姉はあまり成績が良い方ではなかったし,弟は学校の中でも最下位を争うぐらい成績が悪かった。そんな中で私だけは,学年で常に上位の成績を取ることが出来ていた。そんなとき親は,もともとの能力というよりは私自身の努力を誉めることが多かった。それで,学業成績に関しては,自分の努力に帰属するスタイルが定着していたのだ。

  そんなしっかりした帰属スタイルを持っていた「私」に転機をもたらしたのは,あの高校時代でした。

そんな私の帰属スタイルを打ち壊したのは,高校時代の問題集に出てきたある数学の問題だった。毎日課題として出される問題集には解答しかなく,解説が全く書いていなかった。だからどんなに難しい問題でも,どうにかしてその解答に合うように,参考書などを見ながら何時間もかけて解いていた。だが,人生で生まれてはじめて,どんなに時間をかけても解けない問題に遭遇した。問題を解いていかないことで,「予習をしていない」と先生に叱られるのも嫌だったし,努力すれば解けるはずなのに解けないということが納得できなかったこともあって,丸二日間ほとんど寝ずに問題を解いた。それでもどうしても問題を解くことが出来なかった。

  しかたなく学校に行ったが,そこで私が見たのは,ある人がすらすらとその問題を解いている姿だった。二日間私の頭で必死に考えた方法とは全く異なる方法で,その人は問題を解いていた。それを見たとき,私は「この問題は,どんなに努力しても,どんなに時間をかけても解けなかった」と思った。つまり,そんな解決方法が1%も頭には思い浮かばなかったのだ。この瞬間,<私自身の努力ではどうしようもないことがある>とはじめて知った。

  悪い方に走り出した流れはどんどん加速していきます。定期テストの答案が返ってきて,それを復習していても,解けない問題に何問も遭遇したのです。入学してはじめての数学のテストで思いがけず悪い点数をとった「私」は,努力が足りないと思い,「日本中の誰よりも努力したのではないかと思うくらい必死で」勉強するのですが,それでも成績は上がらなかったのです。

  そしてついに,「私」は悟ります。

そのうち,私の中にはじめて「努力不足ではない!?」という疑問が湧いた。

「こんなに努力してもできないのだから,私にはもともと才能がないのではないか?」

という考えが浮かんだのである。このように考えることは,けっきょく努力しても無駄だということにつながり,それを納得するまでには時間がかかったのだが,いったんそれを受け入れてしまうと,精神的にものすごく楽になった。自分には能力がないと思えば,問題が解けないのも,悪い点数をとるのもしかたがないと思えたし,違う分野を生かせば良いと思えた。そして,あまりにも過剰な努力を強迫的にしていたが,それをある程度のところでやめるようにもなった。

  このレポートのおもしろさは,この最後の段落にあります。能力不足への帰属という,はたから見れば<挫折>が,逆に本人にとっては,努力への過剰な崇拝から開放される転機となったという,なかなか新鮮な視点を提供してくれました。私も,高校時代に大学入試の過去問を解いていて,まさに「1%も解決法を思いつかない」問題に遭遇し,ショックを受けたことを思い出してしまいました。

  日本は,<努力信仰>と呼ばれるくらい,努力への価値づけがひじょうに高い国です。つまり,「成せば為る」の価値観ですね。努力さえすれば何でもできる,何にでもなれるという暗黙の期待を,ほとんどの人が,程度の差はあれ持っているでしょう。

  昔,東京オリンピックで“東洋の魔女”と呼ばれた日本女子バレーチームを率い,明らかに体格差のあるソ連チームを破って優勝した大松弘文監督が,この言葉を一躍有名にしたのですが,知っている人はどれくらいいるでしょうか。まあ私も,小学生のころ本で読んだにすぎないのですが。たしかに彼女たちの活躍は,欧米への劣等感が染みついていた日本人に,この言葉の意義を目の前で見せつけた,といってもいいでしょう。

  努力信仰自体が悪いというわけでは,たぶんないのでしょう。しかしこれが,結果や競争を過度に重視するパフォーマンス目標志向的な学習環境と出会ったとき,様相は一変します。まるで相乗作用のように一気に有害化してしまうのです。目標に届かないのは「すべてお前の努力が足りないからだ」と,子どもたちを過剰な努力へと追い立て,縛りつけてしまう可能性があるのです。

  ここでの努力が,本来の努力からだいぶ変質してしまっていることに,お気づきでしょうか。「日本中の誰よりも努力したのではないかと思うくらい必死で」勉強したという彼女は,まさに「睡眠以外の時間はほとんど勉強していたし,睡眠時間さえも削って」勉強しました。つまり,努力が足りないから努力する→(具体的には)→勉強時間が足りないから勉強時間を増やす。数をこなす。これが努力の中身になってしまっています。時間と労力をとにかく投入することが,ここでの努力なのです。

  有効な解決法が見つかっていないのですから,それもある意味しょうがありません。“東洋の魔女”の場合,日本人の体格を補う「回転レシーブ」を編み出し,拾いまくって相手のミスを誘うという戦術を徹底し,そのうえでの猛特訓だったわけです。ただやみくもに練習時間だけを長くしたわけでは(ほんとのところは知りませんが)ないでしょう。このケースでは,「どのように解いたらいいかわからない」という段階でつまずいていたわけですから,有効な武器を持たずに戦いに挑み,ひたすら体力勝負をしているようなものでしょう。努力を増やしたわりに成果が少ないのも当然で,これではどんどん悪循環に陥っていくだけです。

  「私」は,数学に対する能力不足への帰属を受け入れることによって,努力の呪縛から逃れ,この悪循環から救い出されました。努力がすべてである(しかも前述のように,かなり変質した努力です)という頑なな思いこみから自由になり,もっと柔軟に対処することができるようになったのです。能力にかぎらず,性格などでも,自分の短所を含めて「これが自分というものなのだ」と受け入れられるようになることが,心理的成熟のひとつの側面として研究されていますが,このレポートでもまさにそうした意味での自己認識ができるようになり,いわば「ひとつおとなになった」ということでしょう。

  さて,ではこの事例を教師としてどのように生かせるでしょうか。これは意外にむずかしい。教師の方から「数学はもう伸びないからあきらめなさい」などとは(心の中では思っていても)とても言えないでしょうし,ストレートに言って効果があるとも思えません。工夫してうまくそのことが生徒に伝えられたとしても,今度は逆に「能力不足だから」という理由を免罪符にして,生徒があっさりと努力を放棄してしまうことも考えられます。けっきょく,能力要因は教師が指導の中で体系的に利用するには,いささか扱いにくい要因なのです。みなさんならこの気むずかしい素材をどう料理しますか? 私は,さしあたって努力要因の方の改善,つまり有効な武器を伴わないたんなる物量主義の努力(=不健康な努力)から,解決方略と方略遂行への自信,つまり自己効力を伴った努力(=健全な努力)への価値観の転換,といった方向しか思い浮かびませんが,どなたか来年度のレポートのテーマとしてチャレンジしてみませんか。


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■ 生き方としての部活

  課題の趣旨からはちょっとはずれるかも知れませんが,ユニークな視点からのレポートをひとつ紹介します。授業では,自己効力の概念について,従来の自信のような曖昧で包括的な概念ではなく,もっと具体的・個別場面的な概念であることに特徴があるとお話ししました。しかしこのレポートでは,まったく逆に,部活における個々の活動のみに焦点を当てるのではなく,言ってみれば全人的な自信とかプライドを育てることを通して,部活を指導しようという方向づけがなされています。では,見てみましょう。

★学校生活の中で「他の模範」であれ!

  部活動は,「自分の生き方」です。部活動の前に,まずは行動の規範作りからでした。

「宿題を忘れて練習に遅れてくる無責任なやつがいれば,必ずそいつは試合で大事なときにずるをしたり,迷惑をかけるようになる。」

「人の見ていないところで悪いことをするやつは,先生が見ていないときに練習で手を抜く。人に嘘ついているやつが勝てるか! お互いに信用できるか!」

というように,生活と部活動を結びつけて指導していきました。ましてや4人しかいないのです。もし後輩にレギュラーをとられれば悔しいしプライドも傷つけられます。ですから,自分に厳しくなかったらうまくなりませんし,勝てません。そのことを植え付けていきました。

★ほめてプライドを育てる

  実際,私自身もこのチームで勝てるという自信はありませんでした。でも,あまりにもけなげで素直で一生懸命な彼女たちの姿に動かされ,学校生活や練習の中で,いろいろなことができるようになると「すごいね」を連発しました。そんな彼女たちを,他の先生方がほめるようになり,他校の先生方までもがほめるようになりました。

「元気な挨拶をしよう。それも,大きな声で笑顔で!」

  これが,最初にさせたことです。まず他の先生から,「バスケ部はすごいね。いつも挨拶がすばらしい。」とほめられます。それから,

「常に人の嫌がることを率先してやること。気がつくこと,行動することは,実践力につながる。ましてや,人の嫌がることをやるということは自分を生かすことにつながる!」

  できるできないにかかわらず,率先して,活動の中心で働くようにしていくわけです。学校生活の中で,ますますほめられるようになっていきます。すると,「バスケ部はすばらしい」と思って,自分たちを高めようとしていきます。悪いことはできなくなるわけです。

  このチームのキャプテンにはこんな逸話があります。ゲーム中,オフィシャルに入っていたうちのチーム,戦っているチーム選手が交代の後,ベンチで嘔吐してしまいました。おろおろするチームの連中を尻目に,うちのキャプテンが「バケツ,トイレットペーパーもってきて!」と指示。その子を介抱し,汚物の処理はキャプテン自らやったのです。うちの子たちがテキパキ動いているのを見て,全国にも出ているチームの先生が,「こんなキャプテンのいるチームとなら,練習試合がしたい。」と言ってくれました。その当時,全くと言っていいほど弱かったうちのチームですが,そのおかげで,度々練習試合に呼んでいただき,面倒を見ていただけました。自分のしていることが認められ,そこから広がった関係であり,子どもたちは本当に喜び,その姿にも磨きがかかったのです。

★初心者チームの目標となれ!

  初心者チームには負けません。そこで,「みんな,おまえたちが目標なんだ!」とプライドを育てるのです。私たちがやれば,みんな応援してくれる。(実際,県南大会では,大声援の中で試合をしました。)毎日の練習にも,臨む姿勢にも手を抜けない,負けられない,そういう意識が育っていくのです。

というような具合です。後半はバスケットボールに焦点を絞った話なので省略しますが,こういうアプローチというか意義づけのしかたは,私にとってはひじょうに新鮮なものでした。素直に,なるほどと納得しました。誤解のないように付け加えておきますと,「ほめる」ことを重視したからといって,甘やかしていたわけではなく,文面からは相当厳しい練習を課していたようです。しかし,その厳しい練習の意味を,上述のような形できちんと子どもたちに伝えていたということでしょう。これも,言ってみれば「健全な努力」を育てるためのひとつの方略といえるかも知れません。

  さて,こうした指導を受けて3年生になった彼女たち。最後の試合は,県ベスト8のチームを相手に3点差に迫る,最高の試合でした。先生は,「このチームの最高を出すことができ満足しています」と語る一方,「ただ,負けたのは自分のカが信じられなくなってのディフェンスの変更でした」と冷静な分析も忘れません。

  レポートの「終わりに」がまた泣かせるのです。主題とはまるっきり関係ありませんが,私の趣味で載せておきます。

  その後,4人のうち3人はバスケットを続けました。高校の最後の大会に応援しに行った私に,高校で生徒会長を2期も務めたその元キャプテンは,こんなことを言っていました。「中学の時の方が良かった。楽しかった。」と。そして,「中学の時より,人としてずるくなっちゃった。」ということも…。


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■ 姉の動機づけ・妹の動機づけ

  最後は,たぶん事例を読んでいただけば,みなさんそれなりに感じてくれるだろうと思う事例を紹介しましょう。同じ習いごとのピアノに対する,姉と妹との動機づけと取り組み方のちがいを読みとってみてください。ひとつのポイントは「泣きながらピアノを練習していた妹」です。内発的動機づけは常に楽しい,外発的動機づけは常に苦しい,と誤解している人がいたら,ぜひこの妹の涙の意味を考えてみてください。

  姉は3歳からピアノをはじめた。母の勧めるままに習いはじめたのだ。レッスン日が近づくと,母は姉をピアノの前に座らせ,自分はピアノの横に立って,練習する姉を叱咤激励した。しかし,姉の指は思うように動かない。

  4歳のある日,姉は楽譜に,覚えたてのたどたどしい平仮名で「もうやめます」と書く。ピアノ教師は驚いたが,それでも小学校3年生くらいまで姉はピアノを続けた。
  妹も3歳くらいからピアノのレッスンをはじめた。きっかけは覚えていないという。小学校に入り,妹は泣きながらも毎日ピアノの練習をする。妹は,母に言われたからピアノの前に座るのではなく,自分からピアノの前に座る。しかし,泣きながら練習するのだ。

  そんな妹の姿を見て,姉は「そんなにいやならやめればいいのに」と思っていた。しかし,今になって聞いてみると,妹はいやだから泣いていたのではなく,できなくてくやしくて泣いていたという。卓球の愛ちやんも幼い日々,相手に打ち返せない自分に悔しくて泣いていた。同じである。

  姉には,できなくて,くやしくて泣くという感覚が今ひとつ理解できない。
  そういえば,と思い出すことがある。

  姉は5年生の時,そろばん教室に通い始めた。母は妹にもそろばんを買った。妹は自分がピアノ教室に通っているので,そろばん教室まで通うことを遠慮したのか,ラジオのそろばん教室を一人ではじめた。だいたい3ヵ月でそろばん能力1級分のカリキュラムになっていたようだ。

  計算問題が難しくなりはじめた2ヵ月めくらいから,ピアノの練習と同じように,そろばん教室の放送の中盤で泣きながらそろばんに向かう姿が見られた。「泣いてまでやることないのに」と姉は妹に言う。それでも,妹は放送が始まる時間になると自分からラジオのスイッチを入れ,カリキュラムの終わりまでとうとうそろばん教室を聞き続けたのだ。
  姉がピアノをやめた後も,妹は小1ながら一人で楽譜を鞄に詰め,ピアノ教室に通った。母が言うには,けっしてピアノの腕前は上手とは言えないようだった。それでも妹はピアノを続ける。中学に入り,妹は吹奏楽部に入る。姉が3日でやめた吹奏楽部である。

  妹は結局,大学まで吹奏楽を続ける。ピアノは高校受験の前にやめたが,妹の所属する吹奏楽部は県大会,全国大会へと出場した。そして今,教員になった妹は,音楽の時間には伴奏担当,音楽担当として活躍している。休日は地域のバンドチームの一員でもあり,小さな音楽会で発表したりしている。姉も教員であるが,教員採用試験の時の実技のピアノ演奏以来ほとんどピアノに触ったことがない。

  ハイ,何も補足することはありません。


○

■ 最後に

(残念ながら,この「最後に」は,泣かせる内容は何もありません。)

  ここ2,3年くらい,レポートの誤字・脱字が急速に減って,そのぶんこちらも内容の読みとりに専念できます。まあ,1つ2つ残っているのはご愛敬。文意がとれないような大きなものはほとんど見られないのは,とてもよい傾向です。みなさん,できたら2回は読み直してから出すようにしましょう。



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