representation

Teaching Mathematical Modelling and the Skills of Representation

By Joshua Paul Abrams

(In A. A. Cuoco & F. R. Curcio (Eds.), The roles of representation in school mathematics: 2001 Yearbook (pp. 269-282). Reston, VA: National Council of Teachers of Mathematics. 2001年)


 本稿は、ハイスクールでのモデル化の授業を取りあげているが、そのタイトルからも伺えるように、現実を表すための表象について焦点を当てている。つまり、単に現実場面を式などで表し、その計算結果から現実についての情報を得る、ということよりも、現実を表す仕方を徐々に修正していく過程に重点が置かれている。そのために、単純化されたモデルからわざと出発し、いくつかの要因をそこに組み込んでいくといったやり方が論じられている。この点が、1年間のモデル化のカリキュラムからの、いくつかの活動の具体例をあげながら説明されている。詳しい説明やそこで用いられたソフトウェアの一部は、http://meaningfulmath.home.att.net/modeling.htmlで見ることができる。

 このコースを導く本質的なポイントとして、以下の点があげられている。

コースにおける評価は1ヶ月にわたる小グループでのプロジェクトに基づくが、そこでは次のような問題が設定され探求されたという。 日本では数学的モデルの話題ではあまり見慣れないようなテーマも見受けられる。

 コースがモデル化のサイクルを導入する際には、簡単な算術のみを必要とし、と同時に、変数を見つける、単純化する、数学的抽象化を選ぶという主要な技能を練習できるような活動を用いる。この論文ではそうした事例として、いくつかの政党への投票行動のモデル化が取りあげられている。授業では、教師が提示する非常に単純化されたモデルから出発している。下図は先のホームページからダウンロードしたソフトウェアの画面である。ここでは10目盛りの線があるが、線は左から右に向かって革新的立場から保守的立場を表しており、各目盛りのところにそれぞれの立場の有権者が分布していると考える。最初のモデルでは有権者は10の目盛りに均等に分布しているとしている。


政党はA、Bなどの丸で表され、自分の革新−保守の立場に見合った場所にマークされる。相手よりも近いところにいる有権者の票がこの政党に入れられると、最初のモデルでは仮定されている。次に政党Aは自分の立場を1コマ分右あるいは左にずらすか、同じ場所にとどまるという選択ができる。政党Bも同様である。以下はこれを続ける。

 2つの政党でこのモデルを実施すると、両者が中央に集まる結果となる。モデルからの結果と現実とを比較する中で、モデルについての「分析」が始まったとされている。また教師からは、いくつの政党があれば異なる選択肢が残るか、という質問が出され、モデルを用いて4つの政党が必要であることを見出している(実際にやってみると3つの政党のときと4つの政党のときの違いが面白い)。この結果を米国の第3勢力と比較したり、他の国の法律が生き残る政党の数に与える影響などが話題に上っている。

 議論の中でモデルが単純すぎるという批判が出始めると、教師は、モデルが最初に無視している変数が何かを考えるよう問うている。無視された変数や前提とされていた仮定を浮き彫りにすることで、現実場面から変数を特定することの練習になることが期待されている。また逆にこうしたリストがかなりの数に登ること自体が、単純なモデル化から出発することの必要性を示していると、Abrams氏は述べている。現実場面からいろいろな変数を取り出し、それからいくつかを選ぶというやり方とは、かなり異なっている。

 次には、元のモデルに加えたい変数を選び、その変数を今の表現方法にどのように取り入れていくかを考えることになる。例えば、2つの政党から同じ距離にいる有権者について、元のモデルでは2つの政党で票を半分ずつ獲得していたが、与党の方が有利になるのが現実的であるとして、優勢の政党の方に多くの票が流れる形への訂正が行われている。これを表すのに、ある生徒は大き目のマーカーを用いることにした。この表し方だとその政党の状態を思い出させてくれるものの、シミュレーションの規則には影響を与えなかった。別の生徒は2目盛りにまたがる1ドル札の利用を提案した。これにより「幾何学やシミュレーションのやり方が変化」したとAbrams氏が述べているので、1ドル札の場合には、2目盛り分の票(その2目盛りから見て他よりも近いところにある票)がこの政党に入ると考えたのではないかと思われる。新たな変数の表し方を考えることは、現実と数学的要素に共通の構造を探すこととなり、ある意味での「同型」を扱うことになるとしている。つまり、「モデル化は同型について教えるための文脈を与える」のである。

 他の変数でもこうした表現の修正や規則の修正(あるいはその両方)が行われたようである。本稿では、政党の位置の問題と、棄権する人の問題が紹介されている。前者については、政党の立場が線分上の1点で表されることへの疑問から生じている。それに伴う修正として、ある生徒は目盛りの間に迂回路のような道をつけること(例えば1目盛り目と3目盛り目を曲線でつなぐ)を提案し、別の生徒は2次元(以上)の格子を利用すること(下図参照)を提案している。2つの修正案について、生徒たちは、それぞれの案の帰結や一貫性に注意を払って選択を行ったとされている。前者では政党の順序づけも難しく、なによりも現実との対応づけができにくい。それに対し後者では、2つの軸を社会政策と経済政策のように考えれば意味づけがしやすい。しかし後者の場合には、政党と有権者の距離(格子間の距離)をどう規定するかが問題となり、これによりユークリッド的な距離と格子の線に沿った距離を比較することにつながっていった。モデルの分析から、数学についての豊かな問いが生まれたと、Abrams氏は述べている。選択に当たって考慮された他のことは、モデルの数学的結果が、知られている結果と一致するかということであった。



 棄権の問題についても、毎回無作為に選んだ人だけ参加することにする、投票についての調査を反映して目盛りに重み付けをする、各政党から一定距離以内の人だけ投票することにする、といった案が出されている。それぞれを実行することにより、一見すると現実的ではないように見える3番目の案が有益であることに気づき、これが選ばれている。数時間の間に生徒はモデルの批判と修正のサイクルを何度も繰り返したとされる。また「この単元のエキサイティングな側面」として、投票行動や民主主義のデザインといった問題についても、数学を用いてそれを記述したり、新たな理解を得ることが可能だということに生徒が驚いたことを、筆者はあげている。

 最後の節では、曖昧な概念を扱った授業が紹介されている。よくあるランキングにおいては、数値がしにくいと思われるものも得点化しランク付けしている。こうしたランキング関数もモデル化における必要な道具だとしている。自分自身のランキング関数を作る前に、クラスで一緒に一つの課題を考えている。それは教師のランク付けをするというものであった。生徒からはこれに関わる76の変数が出され、次にそれぞれの重要度を考えている。重要度を考える際に、誰の視点から考えるのか、「視点」というアイデアが浮き彫りにされた。かなりの時間が、意見へのこだわりを持つか(OP)と他の意見に心を開けること (OM)の評価に費やされた。

 ある生徒がOPとOMをそれぞれ10点満点で評価した上で評価関数をRank1=OM×OPとすることを提案した。これに対し別の生徒は、非常に心を開いているがこだわりのない先生の場合10×0=0点になってしまうとして反対し、Rank2=OM+OPを提案した。最初の生徒は、こだわりがなければディスカッション・リーダーとしては面白みがないとして、両方の特性が高いときに高得点となるべきと再反論した。こうした議論は一方で、論理におけるandとorの違いを考えることにつながり、また他方では、ランキング関数を作る際にその人の期待や優先度が影響することを示してくれる。生徒たちは様々な事例を調べる中で、OPもOMも有用な資質であるが、あまりに強い場合には問題が生ずると考えるようになり、OPやOMが中庸のときに得点が高くなり、極端に弱かったり強かったりするときは得点が低くなるようなフィルターを作ろうとしている。提案されたいくつかの関数の中から、OPを1〜10点で評価した後、Filter1=-|OP-5.5|+5.5と変換するものと、Filter2=(-1/5)OP(OP-10)と変換するものにしぼられた。最終的には、線形的な動きの方が元の評価を反映すると考え、絶対値を用いたものが採用されている。そして、OMとOPに関わるランキング関数は以下のようになった。

Rank=(-|OM-5.5|+5.5)(-|OP-5.5|+5.5)

ここでは関数に関わる議論が自然に生じている。他の変数についても考えていったようであるが、ある程度の変数が加えられると、変数を増やすことで得られるメリットが、モデルが複雑になることで帳消しになってしまうので、結局は数個の変数だけが最終的なランキング関数に使われたそうである。こうしたことを経験することも、このコースでは大切と考えられているのかもしれない。また述べてきた事例について生徒の関心は大変高かったそうであるが、その理由として、トピックを選ぶ自由が与えられており、そのトピックも手応えがありそうで、秩序がなさそう (whimsical) にも見えるものであったことがあげられている。コースが進むに従い生徒たちは、「数学的思考者として、自分で考えられる(self-directed)ようになっていった」と報告されている。

 Abrams氏のコースで扱われている内容が(特に政党のモデル化では)、どこまで数学的かは疑問に思う部分もあるが、「生徒が、数学を自分の知的生活の活気に満ちた部分にする」のを助けるのが数学教師の役割とするなら、ここで見出されたこと全てが数学的技能だと氏は言いきっている。ともあれ、本稿にみられた表現やモデルの修正という発想は、数学的モデル化の授業を構想するにあたり重要な要素と思われる。また、数学への興味を引き出すには、ここで扱われているような whimsicalなトピックを利用すること、あるいはモデルの帰結を現実と対比させ双方の理解を深めることが大切であろう。

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