相互にリンクした表象と現象


 1998年10月31日から11月3日にかけて行われたPME-NAの様子については、既に別稿で紹介をした。ここでは、筆者の参加したワーキング・グループ「表象と数学の視覚化」において行われたKaput氏の発表の内容を、簡単に紹介したい。

 「表象と数学の視覚化」のワーキング・グループはメキシコの Fernando Hitt 氏により組織されたもので、2時間のセッションが全部で3回行われた。当初の予定では各セッションは、二つの30分ずつの発表とそれぞれに対しての30分ずつの討議からなるものであった。初日は Hitt 氏によるイントロダクションと、メキシコの Manuel Santos 氏による発表が行われた。Santos 氏の発表は、長方形の中に同じ大きさの二つの円を作図しその円が最大になるようにするという問題を、カブリ・ジオメトリーを用いて考える思考の流れを例にとった話であった。二日目はアメリカの James Kaput 氏とカナダの Luis Radford 氏の発表があり、Radford 氏は、ヴィゴツキー的な記号の捉え方に基づき授業を考えることについて触れ、表象が生徒の外にしかも教室に分布するものとして捉えられるという見方を論じられていたように思われた。三日目はアメリカの Norma Presmeg 氏の発表 "On Visualization and Generalization in Mathematics" と飛び込みによる発表や自由な議論が予定されていたが、筆者は飛行機の時間の関係で参加することができなかった。

 Kaput 氏の発表は二日目の最初に行われたが、30分の予定に対して実際は1時間近い発表となり、またその後に30分の議論が行われた。タイトルは "Multiple Linked Representation and Coordinated Descriptions"。発表ではコンピュータの画面をプロジェクタでスクリーンに映し、プレゼンテーション用ソフトによるポイントやイメージ図の提示と、実際のソフトウェアの提示とが平行して行われた。配布資料などはなく、そのため筆者の理解できた範囲、記憶に残っている範囲で以下紹介させていただくことを、あらかじめお断りしておく。

 彼の出発点は、21世紀の数学と20世紀の数学の違いは、20世紀の数学と19世紀の数学の違いよりもさらに大きなものとなるであろう、という見込みである。彼は自身の15年ほど前の研究を振り返りながら、コンピュータという新しいメディアの利用を考えながらも、基本的な捉え方が昔のままなのではないかと指摘する。数学、特に関数や文字式に関わる分野では、グラフ、表、式というが大きな三つの要素 (古典的な「ビッグ・トライアングル」) であり、伝統的にはこの中の式の部分に特に重点が置かれてきた。この三つの要素の結びつきをはかることが数学教育において重要であることが言われてきたが、コンピュータの利用により、これら三つの表象を相互にリンクしたようなソフトが用いられるようになってきた。しかしこうした利用の仕方は、伝統的な枠組みにのっとったもので、それをコンピュータを利用して、より効果的に実現しようとしたものである。これに対して Kaput 氏は、まず現象という要素の重要性を指摘する。氏の提示した図は、グラフ、表、式の三角形の中央に「現象」が位置するものであった。そして、まずはグラフ、表、式のそれぞれと現象との結びつきが目指される。しかるのち、この結びつきを媒介としながら、グラフ、表、式どうしの結びつきが達成されるという流れを考えているようであった。

 この現象に関して、Kaput 氏は二つの記述を重要と考える。一つの変化の割合であり、もう一つはその累積量としての総量である。微積分の簡単な事例で言えば、速さと位置、あるいは加速度と速さの関係にあたろう。発表後の討議の中に Kaput 氏が触れていたように思うのだが (筆者=布川の英語力では討議の聞き取りはかなり辛いという点をご了承いただきたい)、氏は変化の割合の方が自然で最初に扱われるべき記述と考えているように見受けられた。その意味では、氏が発表の際に変化の割合→累積量の順で列挙されていたのには、意味があったことになる。この現象の二つの記述に基づき、氏は新しい基本となる三つの要素として、現象、変化の割合、累積量をあげる。つまりこれが従来のグラフ、表、式に変わる「ビッグ・トライアングル」になるというのである。そして、変化の割合と累積量の中に、従来の三角形+「言語」という記述方法が埋め込まれることになる。

 次には現象とこれら表象との間との関係として、従来のような現象の記述やモデル化という流れ、つまり現象から表象への流れだけでなく、表象から現象への流れ、例えばシミュレーションや現象のコントロールのようなものも考えなければならない点が強調された。そして、両者の流れに関して次のような図が示された。

経験された
現象
(物理的
あるい
サイバネ
ティクス的)
モデリング
−−−−−→
MBL
−−−−−→
LBM
←−−−−−
Data-Enaction
(シミュレーション)
←−−−−−
経験された
表記
(Notation)
ここでLBMについては、Line Becomes Motion、つまりグラフの曲線が動きとなって現れるといった意味のようであり、MBLはその逆を意味するのであろう (これについては、次のソフトウェアの説明を参照されたい)。

最後に、こうしたアイデアを体現したソフトウェアが紹介された。そのソフトウェアでは、現象と変化の割合のグラフ、累積量のグラフが一緒に描かれており、しかもそれぞれが連動している。たとえば、ある画面では、一番上に一本の直線が横に引かれており、その下に座標軸がある。直線上には点があり、その動きが現象を示す。真ん中には累積量を示すグラフが、一番下には変化の割合を示すグラフが描かれている。また時間を表示するタイマーのような表示が出るようになっているが、これも現象である動きを意識させるためではないかと想像される。

−−−−−−−−−●―−−−−−−−−−
−|−−−|−−−|−−−|−−−|−−
  0     1     2     3     4

    [累積量のグラフ]

    [変化の割合のグラフ]

ここで変化の割合のグラフをあらかじめ決め、次にシミュレーションをさせると、直線上の点がそれにしたがって動き、またその累積量=位置を表わすグラフが並行して描かれることになる。あるいは変化の割合と累積量のグラフが描かれた状態で変化の割合のグラフを修正すると、それにともない累積量のグラフも自動的に変化していく。別の画面では、左端に2台のエレベータのアニメーションがあり、その右上に累積量、右下に変化の割合のグラフが描かれるようになっていた。変化の割合と累積量を同時に示すようなコンピュータの画面は、昨年でたYerushalmyの論文 (Yerushaly, M. (1997). Mathematizing verbal descriptions of situations: A language to support to modeling. Cognition and Instruction, 15, 207-264.)との類似を示しており興味深い。

討議の中では累積量というのは捉えにくいのではないかという質問が出され、それについてはKaput氏も認めているようであったが、次のような例を出して、彼のソフトウェアの可能性をも示していた。エレベータの画面で、変化の割合として6の速さで1秒動かした場合と、1の速さで6秒動かした場合とを比較する。変化の割合が直線になり、累積量が長方形の面積になることもあるが、この状態でエレベータを動かすと結果的に同じ高さまで上昇し、また一方がゆっくりと上るのに対して他方が速くすっと昇るといった違いがあり、そうした経験を通して変化の割合、累積量、そして現象の間の関係が構築されるのではないか、という話であったかと思われる。

ワーキング・グループでの発表ということで、大きな枠組み、アイデアの発表であったように思われるが、現象という中心として、その現象の変化の割合や累積量に注目するというアイデアは興味深い。ある意味では、モデル化として扱われていることを、より数学教育のカリキュラムの中に浸透させていくことにも通ずるかもしれない。発表を聞いていて感じたことは、一方で保守的な立場からの疑問であり、他方は改革的な立場からの疑問である。
保守的な立場から考えると、式の重視は、式がその変形 (演算子を施すことや方程式を解くことを含む) を通して新たな情報を与えてくれるという事実に基づいているのではないだろうか?Kaput氏の提示するようなソフトを用い、グラフを中心としてシミュレーションの方に重点が移行したように見えるとき、式により与えられる情報がどの程度保証されるのか、という疑問が浮かぶ。また逆に、視覚的、直観的な扱いでは扱いきれないものとしてどの程度のものが残るのか、さらに結局、こうした扱いはどのような意味で「数学」の授業の一部となりうるのか、という疑問も考えられる。
他方、改革的な立場から考えると、近年の数学 (あるいは数学の応用) の立場からすれば、Kaput氏の提案は古典的な解析学に対する新たなアプローチとも見え、たとえばカオスのアトラクターの分析とか、確率モデルやそのシミュレーションなどの、解析学以外の現象の扱いが見えてこないという疑問も考えられる。新たなアイデアを明確に示すとともに、保守、改革いずれの立場に立っても新たな問題を提起してくれるという点で、ワーキング・グループの発表として Kaput 氏の提案は興味あるものであった。


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