PME−NA第20回年会参観記


   去る1998年10月31日から11月3日にかけて、Raleigh にあるノースカロライナ州立大学のMcKimmon Center を会場として、PME-NA 第20回年会が行われた。PME (国際数学教育心理学会) の北米支部であるこのPME-NAには、カナダ、合衆国、メキシコの研究者らが集まるが、最終日に配布された受付けをした人のリストを見ると、361人の参加者があったようである。会場では、ヘルシンキ大学の Pehkonen先生のお姿もお見かけした。

 日程としては、初日は午後の6時より受付け、別室に飲み物と軽食が用意されており、皆さんそれを片手にまずは挨拶や談笑が始まった。その後午後7時半から9時半頃まで、最初の全体講演が行われた (全体講演の講演者と題目は後述)。二日目は9時半より最初のワーキング・グループ、その後、研究発表やポスター・セッションなどがあり、午後9時過ぎまでの全体講演までのハードスケジュールであった。三日目は8時15分よりワーキング・グループ、研究発表、ポスターセッションが午後6時過ぎまで続いた後、場所を変えて懇親会が行われた。最終日は正午までで、研究発表とワーキング・グループが行われた。会期中は朝・昼・晩と3食が提供されていた。初日のパーティや懇親会では特にスピーチはなく、なんとなく始まりなんとなく終わるというのはアメリカ的であると、妙な感心をしてしまった。またポスター・セッションの会場にも飲み物と軽食が用意してあり、プログラムでも"Poster Presentation and Cookies" となっていたが、ある先生はこれを良いやり方だとほめていた。PMEなどを見ると確かにポスターには人が集まりにくいところがあるが、今回は飲み者を片手にポスターの会場を回っている人が多く、盛況であった。

 各発表の時間配分などはPMEと同じであったが、実際の運営はより自由な感じを受けた。例えば、Fuson 氏は Classroom Conceptual Research という研究プロセスのモデルについて発表されたが、当日は要旨、モデルを説明する二つの図、ポイントとなる特徴についての1ページの箇条書きだけからなる資料を配り、それを少し読ませた後、すぐに意見交換が始まった。成果の発表と言うよりも、これからの研究のために他の研究者の意見を集めようとしているような印象を受けた。またファン・ヒーレ理論に関わる口頭レポートでも、発表の途中で参会者からの質問が出されそのまま議論になる、といったことが数度繰り返されて終わった。全体として彼らが議論を楽しんでいるように見受けられた。プロシーディングスの原稿には所属とともに電子メールのアドレスが必ず書いてあり、コメントがあったらここに是非送って欲しいと発表の最後に付け加えるのを何度も耳にした。
 各領域の発表件数をプロシーディングスの目次にしたがってあげると次のようになる。教師教育の分野が多いように思われる。

研究発表 口頭レポート ポスター
上級学年の数学的思考
4
4
5
代数的思考
4
2
2
評価
3
2
2
ディスコース
3
4
4
認識論
0
1
1
関数とグラフ
5
3
4
幾何的思考
4
3
1
確率と統計
8
3
4
問題解決
10
1
5
有理数
1
2
2
研究方法
2
0
2
社会および文化的要因
7
3
4
教師の信念
6
1
5
教師教育
13
6
6
教師の知識
4
2
5
テクノロジー
2
3
6
全数
3
0
2
 ワーキング・グループについては、以下のような12のグループが用意されていた。  筆者は、表象と視覚化のグループに参加したが、その中で発表されたKaput氏の発表については、別稿で紹介したいと思う。

 全体講演は上述したように3回行われたが、各講演にはリアクターが指定されており、あらかじめ発表内容を知った上で、それに対する疑問やコメントを講演に続いて発表していた。講演者と題目、および内容の大筋を以下に示す。

なお、Schoenfeld氏の講演内容に関わる氏の論文Toward a thoery of teaching-in-contextがWeb上で入手可能とのことである。また、Thompson, Cobb 両氏によるプロシーディングス用の原稿については、その全訳を本教室の雑誌「上越数学教育研究」第14号 (1999年) に掲載予定である。

 このPME-NA、1999年は10月23日から26日まで、メキシコの Cuernavaca にあるモレロス大学で行われるそうである。これについての情報はこちらのページで見ることができる。

 いくつかの発表やポスターを見ての勝手な感想であるが、生徒の理解やプロセスを調べるといった研究では「生徒は○○ができない、△△が欠けている」「生徒は〜を〜のように (不適切に) 捉えている」といった形の結論が多く、他方で自分たちで計画した授業の成果については「生徒は○○ができた、△△もできた (だから大変よい授業だった)」といったニュアンスの発表が多いように感じた。両者に共通するのは結果の解釈における研究者の思い入れのように思われる。「できない」ことを示した研究で、テスト問題の設定には問題がないのか、この結果は本当にそのように解釈できるのか、といったことを感ずることがあるし、また「できた」という研究では、そこで生じたことが本当に算数・数学の話として適切な質を保っているのかについて疑問を感ずることもあった。こうしたことは外国人として参加したことで傍目八目として見えたのであり、自分たちの研究でもきっと似たようなことをしていのであろう。


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