ひとりごと


保存箱 2003.07-12

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● CONTENTS ●

■ 03.12.26. 不思議な世界

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  東京に会議出張で出かけた帰り,新幹線までに時間があったので,「人体の不思議展」というのをのぞいてきた。TVで養老孟司さんが「人体はアートです」などと宣伝していたのを聞いていたのだが,ちょうどいい具合に,会場が東京駅近くの「東京国際フォーラム」だったのを思い出して,立ち寄ってみたのだ。

  展示されているのはホンモノの人体。解剖された人体を,なんとかいう樹脂(?)で固めて標本にしたものが並べられている。昔ならホルマリン漬けになっていたものが,この方法が開発されたことによって,ずっと扱いやすくなったということらしい。

  TVで見て「おもしろそう」と言ったら,「死体を見に行くなんて気が知れない」と,家族には変人扱いされたのだが,行ってみると,これが大混雑。カップルが多いのは「お化け屋敷」感覚かと思ったが,驚いたことに,子ども連れのお母さんもけっこういる。ということは,要するにふつうの土曜の午後の,ふつうのイベントという感覚でしかないのだろう。

  会場に入る。たしかに,こんなに人気が出るとは思ってなかったんだろうね,ふうの配置だ。すべての展示物に人々が群がっている。なんというか,不思議に“乾いた”雰囲気だ。「お化け屋敷」ふうではぜんぜんない。アウシュビッツ展のようなウェットな雰囲気もない。かといって,博物館や美術館で感じるような高揚もない。不思議な感覚だ。

  ときおり,標本にくっついて,ヒソヒソ声で専門用語を交わしている人たちがいるのは,たぶんそちらの分野の学生だろう。「先週の実習で…」とか言っている。かと思うと,「あ,あたしこれ知ってる。“かんぞう”でしょ。いらないものを濾過して,おしっこ作ってるんだよね。」お姉さん,それ「腎臓」ですよ。

  会場のところどころに置いてある,「展示された標本は,生前からの意志に基づく献体によって提供されたものです」という表示が,唯一これが死体であることを感じさせる。会場の係員は,「貴重な標本だから,手を触れないで」と叫んでいる。「貴重な標本だから」ですか,「故人の尊厳のために,やたらさわるな」ではないんだね…。ちょっとだけ引っかかる。献体した人たちはきっと,こうやって展示されて,全裸姿を人前にさらすなど,考えもしなかっただろう。

  標本はどれも,あたりまえだがとてもリアルで,まつ毛が残っていることに,みんな感嘆する。それが,切断されたり,こまかくスライスされたり,皮膚や筋肉の厚みがわかるようにだろう,体を包帯で一巻きしたように,そこだけ皮膚が残っていたり,筋肉が残っていたりする。隣の男2人連れのひとりがつぶやく。「おれ,これが作られているところ,想像したくないよ。」ほんと,そうだ。

  展覧会の趣旨は,標本が「自分自身でもある」と,共感してもらいたいということだそうだが,たしかにそれだけの迫力はある。自分の中でも同じ臓器が働き,同じ神経線維が走り,同じ筋肉が伸縮している。見ているのは標本だが,自分の体をのぞき込んでいるような気になる。やはりこれは,献体してくれた故人に,感謝しなくてはいけないだろう。時間つぶしのつもりが,意外におもしろい経験であった。


■ 03.12.15. 実行力

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  すっかり信用を落とした「伊東家の食卓」に代わって,このところの私のオススメは,「トリビアの泉」である。正確に言えば,番組のメインであるトリビアの数々には,それほど興味を持っているわけではない。私が興味を持っているのは,「トリビアの種」というコーナーである。視聴者が投稿してきたトリビアな疑問に,実際に調べて解答する,というのがこのコーナーの趣旨なのであるが,なんといってもその徹底した実行力がすばらしい。

  たまにしか見ないので,いちばんいい例というわけではないが,このあいだ見た回は,「ウサギとカメが駆け比べをした距離はどれくらいか」という疑問だった。聞いたとたん,「わかるかそんなもん!」と叫んでしまった私だが,CMのあいだに少し頭を冷やして考えると,ウサギとカメの圧倒的な速度差から考えて,あまり長い距離だと,「一眠り」したくらいの差では,すぐにウサギが取り返してしまうだろう,ということくらいは想像がつく。短い距離の方がカメには有利なのだ。しかし,いったいどうやったらそれが距離の算出につながるのか,まったく見当がつかない。

  そうこうするうちにも番組は淡々と進み,原作者イソップの住んでいたギリシャへとスタッフが飛ぶ。ここで思わぬ情報が手に入る。ギリシャに生息しているウサギは1種類しかいないのだそうだ。またカメも,挿絵からこのカメだろうと思われる種類をどうにか特定。それでも,ここからどう展開するのかまったく読めない。

  おもしろいのはここからだ。スタッフは,ウサギとカメを実際に走らせて,そのスピードを測定する。まあ,このあたりはいささか測定に厳密さを欠いていて,どれくらいの精度がのぞめるか疑問ではあるが,とにかくギリシャまで出かけていって,まじめに速さ調べを実行してしまうところがすごい。そしてさらには,ウサギを24時間観察して,1回の睡眠時間がどれくらいかを計測する。

  ここまで来て,ようやくわれわれにも先が読めて来る。両者の速度と一眠りの時間がわかれば,あとは不等式で,先ほどの「どうがんばってもウサギには追いつけない距離」が求められるわけだ。

  ウサギの走る距離は
     ウサギの速度×ウサギが走った時間… (1)

  カメの走る距離は
     カメの速度×(ウサギが走った時間+ウサギが寝ていた時間)… (2)

なので,あとは,(2) > (1) という不等式を解けばよい。不等式は中学校の範囲だが,各辺の式自体は小学生でも作れる式である。

  最初は雲をつかむような話だったのが,調べていくうちに,最後にはとても簡単な計算に収束してしまう。このあたりが,とてもおもしろい。まずは実験でシミュレーションを行い(この場合は速度と睡眠時間調べ),次に計算を使って実際の場面に当てはめる。これは,研究者がふつうにやっている方法ではないか。

  まあ,あらを探したらきりがないが,ともあれ疑問を持つだけでなく,実際に調べてみることによって道が開けること,少し工夫すれば,意外にも,だれもが学校で習ったような簡単なやり方を利用して答えに到達できるということを,このコーナーはうまく表現していると思う。

  解答に至るもう一つのやり方は,人海戦術による大規模な調査である。「床屋さんに置かれているマンガで一番多いのは何か」「ラーメン屋さんに貼ってある色紙で,一番多いのは誰か」といった疑問の場合であり,こちらの方は,調べた方自体はそうむずかしいものではないが,なにせひとりで全国調査する気にはとてもなれない。そういうのを,代わりにやってくれるのだ。

  まずは,調査統計の専門家らしい先生に必要なサンプル数を聞き出し,それに応じて全国各地に調査員を飛ばし,実際に調査してしまう(どうも,調査地域が大都市に偏るきらいがあるのが,サンプリングのしかたとしては問題だと思うが)。

  どちらのタイプも,われわれがふだん,ふと思いつくような些細な疑問に,あえてのってきているところがいい。われわれであれば,トリビアすぎてつい実行をためらったり,むずかしそうで解決をあきらめてしまいそうなところを,正面から取り組んできっちり調べ上げ,解答を導き出しているところがすごい。いってみれば,総合学習のお手本のような内容なのである。少なくとも,この番組を見ている小中学生の何割かは,自分でもおっくうがらずに「調べてみよう」,という気になってくれそうな気がするのだがどうだろうか。


■ 03.10.08. なんで?

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  ちょっと古い話だが,思い出したので書いておく。

  けっこう好意的に見ていた日テレの『伊東家の食卓』であるが,最近なんだかアヤシい流れになってきた。ヘンな心理テストを採り上げるようになったからだ。

  先日やっていたテストは,「気になる相手の気持ちを確かめる裏ワザ」というようなふれこみで,電話で相手に「私が今着ている服の色をイメージして,それは赤・黄・青のうちどれかを言ってくれ」というものだった。「色彩心理学と行動分析学を応用した」テストなのだそうだが,いったいどこに行動分析が入っているのか,さっぱりわからない。

  だいたい,人間の気持ちをポジティブ・ネガティブ・ニュートラルなどと単純化している時点で,もう信用を失っているのであるが,たとえば「赤」は「感情的・情熱的」を表すから,その色の服をイメージする相手は,「好き」ということだというこじつけもすごい。ここには,「色」「色が関係する感情」「服の色の選択」「相手」「相手に対する好意」という,少なくとも5つの要因が絡んでいて,連合説的な考え方をとるなら,その各要因がどこでどのように結びついたかを説明しないといけないと思うのだが,もののみごとにそれらを省略してしまっている。感情レベルどうしの結びつきだって,「感情的・情熱的」だから「好意的」だとはかぎらないだろう。

  「赤」が「感情的・情熱的」を表すというのも,おそらく何百人・何千人のオーダーで調査して,全般的な傾向としては認められるかも知れないが,個別事例にいったいどれだけそれがあてはまるかは疑わしい。特に,単純な色の比較ならともかく,赤い服・赤い車・赤い靴のようになってくると,他にもいろいろな属性が影響して,赤という色の影響力は薄まらざるをえない。とても特定の相手の気持ちを断定できるほどの個別的な予測力は,持ち合わせていないだろう。(念のために言えば,専門的な心理テストだって,個別ケースに対する予測力はそれほど高くない。だから,テスト・バッテリーを組んだり,時間をかけて鑑定したり,努力しているのだ。)

  遊びの心理テストなんて,みんなそんなもので,誰も真剣に信じてはいませんよ,と言われるかも知れないが,あの番組の魅力は,きちんと実験結果を出してその情報が有用であることを実証していたところだ。だからその情報に信頼がおける。ところが,この回の検証はたったの1ケース。これじゃ他の番組と変わらない。

  推測に推測を重ねたアヤシい心理テストをもとに,相手の気持ちをわかったような気になってしまったり,それで一喜一憂するのは,あまりにバカバカしい。そんなのを奨励してしまう情報番組も,信じられない。

  「好きでたまらない人がいるのですが,どうしたらいいでしょうか」という相談に,「好きで好きでたまらん,言うたらええねん」と即座に回答する清原クンの方が,よっぽど健全だと私は思うのだけれど。


■ 03.10.03. だ~・か~・ら~

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  9月のメールを整理していて,思い出した。見ず知らずの人から,こんなメールをもらっていたのだ。

  ○○と申します。いきなりですが質問してもよろしかったですか?

  『古典的条件づけ』と『オペラント条件づけ』を日常生活の事例を用いてみると、どんなことがありますか?

  最初,『ひとりごと』を読んだ人が,ネタで言っているのかと一瞬思ったが,冷静に考えると,見ず知らずの人を相手にそんなギャグをとばせる人はそうはいないだろう。まして,大学の「センセイ」なんていう種族は,たぶんそういうギャグがもっとも通じない種族だから,まともな人なら,しかもこれから何かお願いしようという人なら,一発かまして和ませようなどと,考えはしまい。どうもこの人は,マジで「よろしかったですか」を丁寧語として使っているらしい。

  そう気がついた瞬間,怒りがフツフツとこみあげてきた。なんで,よりによって私にこんなメールを送りつけてくるかなあ。もっと若者コトバに寛容な人が他にいるだろうに。

  だいたい,あなたはいったい何者?
  そして,どうしてそんなことを聞きたいの?


見ず知らずの人に質問しようというんだからさあ,それくらい説明するのは最低限のマナーってもんじゃないの?

  Webでアドレスを公開しているせいもあるのだろう,けっこういろいろな人からメールで質問をいただく。たいていは,卒論や修論のヒントを求めるメールである。こういう分野に関する研究を知らないかとか,この概念に関する尺度を持っていないかとか,こういう結果が出たのだが,どう思うかというのもある。

  もちろん,今回のようなメールは例外中の例外だ。多くの人はきちんと自己紹介し,ていねいに事情を説明して,知っていたら教えてほしいと質問してくる。それで私も,できるだけ知っていることは返事をするようにしている。私の手に負えない質問も少なくないし,たまに目先の仕事でいっぱいいっぱいで,つい調べるのをサボって返信しそびれることもあるが。

  そういう人たちのことを思い返すと,よけいに今回のメールは不快になる。相手が見えないネットだからなのか,それとも対面でもこのくらいしかしゃべれないのかわからないけれど,他人を何らかの形で煩わせようとしているのに,その理由を一言も説明しないまま「よろしかったですか?」って,そりゃあないだろう。

  ところで肝心の質問だが,いったいどうしてまたこんな質問が出てくるのだろうね。私は,「授業の課題 or 試験で出された問題だから」必死になって質問して回っているってとこだろうと推測しているのだが,これはまったく根拠のない邪推なので,もうやめておこう。


■ 03.09.19. 嵐のあと・奈良公園

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  嵐は一晩中吹き荒れた。近畿地方を直撃した台風10号は,明け方に奈良県北部を通過したらしい。朝,目を覚ましてすぐにTVをつけ,台風通過のニュースを聞いてほっとする。しかし,次の瞬間凍りついた。なんと,「近鉄は一部を除いて全面的に運転を見合わせている」というのだ。近鉄といえば目の前の駅であり,今日もお世話になるはずの電車だ。運転見合わせとなれば,今日一日の予定がすべて流れる。ホテルも追い出されるし,夕方の電車までどこで時間をつぶしたらいいのだろう。それにだいたい,帰りのJRももしかしたらアブナイのではないだろうか。だって,帰りの電車はちょうど台風の後を追いかけて走るようなものなのだ。

  しかし,ほどなく電車の音が聞こえてきた。どうやら,通勤の足を確保するため,各駅の電車は動かしているらしい。とりあえず支度をはじめる。風はまだときおり強く吹く。雲の流れも速かったが,空はしだいに明るさを増していた。やがて,停車していた快速電車が駅を発車した。これで,ほぼ心配は消えた。予定どおり奈良公園まわりを歩き回ることに決めた。

  予定が狂った昨日とはちがい,今日は,はっきり〈お目あて〉が決まっていた。それは,東大寺戒壇院にある四天王像。仏像美術とはまったく関係のない,デザインの本の中で出会って以来,あの大陸様式の甲冑に包まれた筋肉の躍動と,まるで生きているような表情にすっかり魅せられ,ずっとホンモノに会いたくてしょうがなかったのだ。昔は憤怒を全身から発している増長天がいちばん好きだったが,年をとってくると,むしろその怒りを内に秘めて静かに目を伏せる広目天がお気に入り。よくしたもので,個々の好き嫌いは変遷しているのだが,全体としては,何年もの間ちっとも見飽きないのである。

  韓国の人たちの大きな集団で賑わう大仏殿の横を抜けて,戒壇院へと向かう。誰もいない。おかげでゆっくりと四天王の姿を眺めることができた。近くで見る造形の美しさは,やはりすごい。何度もぐるぐる回りながら,4人それぞれを見比べてみる。顔,腕,甲冑,足の下の餓鬼まで,一人ひとりが強烈な個性を持っている。

  午前中いっぱいで興福寺・東大寺・春日大社・新薬師寺・国立博物館と回ったが,意外によかったのは最初の興福寺。東大寺や法隆寺ほど広大な敷地ではないので,建物を見て歩くのも楽だし,国宝館の展示もすばらしい。美術の教科書でおなじみの阿修羅像が,あんなにすぐそばで見られるとは思わなかった。これは,素直に感激。

  台風のあとでよかったことは,週末にもかかわらず人出が比較的少なく,どこもゆっくりと見ることができたことだろう。ひととおり回り終えて駅に向かう頃には,すっかり夏空がもどり,それとともに歩道には,奈良公園へ向かうたくさんの人たちであふれかえっていた。


■ 03.09.16. 嵐の前・法隆寺

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  忙しいと言いつつも,ちゃっかり楽しみはとってあるわけで,奈良での講演のついでに,少し観光に足を伸ばすことにした。1日よけいに宿を予約してもらい,翌日の帰りも夕方発の電車をとって,講演が終わった午後から約1日半は観光に使えるよう,予定を空けておいたのだ。

  じつを言うと奈良は今回がはじめて。大阪・京都は何度か行ったことがあるが,なぜか奈良は機会に恵まれず。私が高校生のころは,修学旅行と言ったら京都・奈良が定番だったのだが,私がいた学校には,そもそも修学旅行というものが存在せず,近くの山まで「遠足」しかしたことがなかった。未完了の課題が強く記憶されるというのは有名な心理現象のひとつだが,私の奈良への思いは,たぶん「行けなかった修学旅行」と強く結びついているせいで,ずっと心のスミでくすぶり続けていたのだ。

  ところが,出かける前日になって電話が入る。なんと台風が接近しているとのこと。不覚にもまったく知らなかった。いや,情報を耳にしてはいたはずなのだが,少しも気にとめていなかった。実際,この時点で台風はまだ沖縄のずっと南。新潟にいるとまだまだずっと先のことのように思えるが,近畿ではどうも講演当日に影響が出始めるらしい。もし「警報」が出たら講演は中止になるとのことで,わざわざ連絡をくれたのである。そりゃ,せっかく準備したのに中止になったらがっかりだが,こればっかりはどうしようもない。

  さて,講演当日。幸い台風は予想より進度が遅く,ギリギリ午前中は何とか天気が持った。重く垂れ込めた空を気にしながらも,無事に講演を終えてホテルにもどる。ホテルは橿原神宮のすぐ近くにあるので,予定では(とはいってもいろいろな用事で忙しくて,観光計画を立てる暇もなく,駅に向かう途中であわてて観光ガイドを買い込み,そのまま荷物の中に放り込んで出かけたのだが…)飛鳥の古墳や遺跡を回ろうかと思っていたのだが,ホテルにもどる途中で雨が降り始め,断念。しかし,少し待っても雨が激しくなる気配はまだなかったので,思い切って法隆寺まで行ってみることにした。

  なんの下調べもなく急に思い立ったので,「見どころ」もおさえずに出かけたのだが,その中でいちばん印象に残ったのは,百済観音像だった。なにせ大きい。美術書で数値的に大きいのは知っていたが,あのしなやかな曲線を描いてゆらりと立っている観音像を,どんと目の前にすると,その威風堂々ぶりにただ圧倒される。しかもそれは,大仏のような近寄りがたい偉大さではなく,どことなく温かみと親近感がある。これはなかなかの発見であった。

  ところで,宝物館を私とほぼ同じペース(というのはかなりじっくりということ)で見て回っていた親子連れ。小学校低学年らしき女の子2人を連れて見ていたのは,かなりの仏像フリークとお見受けするお母さん。百済観音の前では,アイドルが立ってでもいるかのように観音様に語りかけ,子どもたちの勉強ノートのために,細かい特徴やエピソードをていねいに解説する。他の展示物でも同様。子どもたちの質問にもてきぱきと受け答えし,納得させてしまう。そこらの観光地ではまず見られない風景に,さすが千年の都奈良!とうなってしまった(地元の人かどうかは知りませんが)。

  降ったりやんだりの天気に気をとられているうちに,金剛力士像を見そびれてしまったのが唯一の心残りだが,とりあえず雨風が強まる前に橿原神宮前駅にもどる。待ち受けていたような激しい雨。傘をさしていても肩まで濡れてしまうような土砂降りの中を,ようやくホテルまでたどり着いた。


■ 03.09.03. 体験授業を体験した

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  7月19日は本学のオープンキャンパス。そのイベントの一環として,大学の授業を模擬的に体験する「体験授業」という企画があり,今年は私が1コマ担当することになった。

  授業時間は1コマ30分。これを同一内容で2回やりなさい,というのが最初の話だった。30分というのは,高校生を飽きさせずに大学の授業を体験してもらうには,よい時間だろうとは思うが,なにせふだんはその3倍の時間を使って,話をまとめている。その単位が頭の中に染みついている。講演にしたって,小さい会でも1時間が最低。いきなり30分で語れと言われると,ハタととまどってしまう。そんな短い時間の中できちんとオチをつけられるネタを,私は持っていただろうか? いつも通りの授業のやり方でいいですよとは言われたけど,いつも通りにダラダラ授業を進めていたら,実験方法を説明しているだけで30分過ぎてしまう。これは,ネタ選びが勝負になりそうだ。

  頼まれた折に,昨年度のオープンキャンパスの報告書のようなものをいただいたので,パラパラめくってみて驚いた。うわあ,どのイベントもきっちりアンケートをとってあるじゃないかっ! こりゃ,大学の授業評価どころじゃない。受験者の増減に直接影響するわけだからしょうがないけれど,けっこうシビア。おまけに授業は2コマ用意されているので,アンケートはモロ2つの比較になる。うわあ。まあ,みんな比較的好意的な回答を寄せてくれているので,アンケートそのものは,それほどこわがる必要もないのだが,やはり公式行事はふだんの授業とはちがいます。私の授業のせいで受験生が50人くらい減ったりしたらどうしようなどと,変なプレッシャーが押し寄せる。

  さて,生徒の入れ替え等の都合を考えると,過不足なくきっちり30分で授業を構成しないといけない。アンケートの中には,「もう少し生徒とのやりとりがあった方がよい」という意見もあったが,これは私の能力ではちょっとリスクが大きすぎる。おそらく,ひたすらしゃべりまくって,ようやく30分の中に収まるくらいだろう。こういうときに頼りになるのが,プレゼン・ソフトだ。これで内容を組み立てておけば,話が脱線したり肝心の内容を言い忘れたりすることがないので,所要時間がある程度計算できるからだ。特に今回は高校生向けということで,「話がヘタクソでも,画面を追っていけばわかる」をコンセプトに,プレゼンに力を入れた。

  そうやって準備していると,また連絡が入る。オープンキャンパスの参加者が予想を大幅に超えたので,2回の予定が3回になるとのこと。またまた,うわあ。同じ日に同じ内容を2回話すということ自体はじめてなのに,3回もなんて,集中が持続できるのだろうか。

  で,いよいよ当日がやってきた。その日は連絡どおりの大盛況。窓から見ていると,事務の人に先導されてゾロゾロと大行列が教室に向かってくる。これはある種壮観だけれど,この人数がそのまま教室に入って着席し,後ろに用意したパイプ椅子もすっかり埋まってしまうと,さすがに緊張する。

  あらかじめ予想したとおり,完全にしゃべりっぱなしの30分だった。かなり速いペースでしゃべりまくって,それでも1,2分オーバーの感じ。理解しているかどうか確かめている余裕もなく,かろうじて,話の合間にときどきうなずいてくれるおとなの人たち(引率の先生,あるいは保護者の方?)の反応だけを手がかりに,どんどん先に進む。

  1回めが終わると,内容を反省するまもなく,休憩10分で受講生を入れ替え,また次の回が始まる。これで計3回。最後はもうヘロヘロ。あわせて90分で,普通の授業とおんなじはずなのだが,感覚的にはぜんぜんちがう。息継ぎする暇もなく突っ走るような3回の授業ではあったが,最後の授業が終わった後,後ろの方から「ちょーわかりやすかったんだけどー」という声が聞こえてきて,ようやくほっと救われたのでありました。

  あ,こういうときは,「わかりやすかったん<だけど>,何だって言いたいの?」というツッコミはなし。


■ 03.08.29. 続・夏休みというより

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  しつこいけれど,あまりに自業自得な今年の夏の話。仕事が詰まっているながらも,とりあえずは順調というか,予定とそれほどズレることもなく,淡々と乗り切っているつもりでいたのだが。

  世の中はやはり,自分の都合のいいようにばかりは動いてくれないらしい。最後の最後になって,予定していなかったことが次々と起こり,それがじわりじわりと仕事のための時間を削っていった。まずは,まったく予定外の大阪出張。しかも早朝出発・深夜帰宅の日帰りで。大学院入試の直前だったので,最初から断るつもりでいたのだが,急な要請で,直前になってやはり行かざるを得ない状況になってしまった。続いて大学院入試。1日で終わるはずが,なんと今までにない応募者数のため,予想外の2日間の口述。

  朝早い予定が入ると,前日の夜の仕事時間がとれないうえに,当日も疲れてまともに仕事ができないので,けっこう被害が大きい。ほかに,小さな会議とその準備資料作りがちょこちょこ。結果的にはこれらの突発的なお仕事が,ボディブローのように効いた(といったって,ホンモノのボディブローなんて受けたことないからわからないのだが)。

  夏休み最後のお仕事は,看護大での集中講義だったのだが,上のような事態のため,準備に使おうと予定していた時間が次々に削られ,授業の準備は遅れに遅れた。ついには,朝3時半までキーボードを叩いてPowerPoint資料を仕上げる日が連続2日。授業のはじまりが10時と遅めなので助かったが,ほんと,このときばかりは穴を開けてしまうのではないかとヒヤヒヤした。

  それでも,まあやってみれば何とかなるものだ。と,無事に終わったからすっかり気が大きくなっている今はそう言える。しかし,徹夜を続けて修論を書いていたころとはちがって,だんだん無理をすると疲労がそのまま次へと蓄積されていく年代になってきた。そのうち,どこかでポンと破裂してしまうのではないかという不安は,なんとなくある。だから集中が終わった日は,何をおいてもまずは寝た。"must"な仕事の予定がない睡眠の,なんと心地よいこと!

  やっぱり,仕事はちゃんと計画的に入れないといけませんね。


■ 03.08.11. 夏休みというより

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  なぜか,今年の夏は忙しくしている。いや,「なぜか」というのはヘンで,明らかに自分が仕事を無制限に引き受けてしまったからなのだが,一つ一つの仕事を受けるときにはあまり気にしていなかったのに,いざまとまってみると,7月8月にどうもいろいろな仕事が集中してしまっている。私にとってはとてもめずらしいことだ。

  今までは,夏休みにはたいてい集中講義と原稿書きが一つずつあるくらいで,あとは後期の授業のネタ探しに本を読んだり,今年などは実験結果の解析に使おうと思っていたのだが,そういう個人的予定はあっさり吹き飛んで,今年はひたすら仕事をこなしている。授業期間よりもカリカリしている。忙しくなるとつい更新したくなる「ひとりごと」も,2ヵ月更新していなかったわけだから,やはり本格的に忙しかったのだろう。

  先週末に奈良での講演が終わって,一つヤマを越えた。あと大きな仕事が2つ残っているのだが,やっとちょっとは一息つけるようになった。というわけで,久々にこのページを更新。


■ 03.08.04. ほんとの怪談

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  ずっと,夜歩いている。

  そのウォーキングのルートに1ヵ所,神社の裏の木立が道に覆い被さって星明かりを遮っている場所がある。ぽっかりと黒い闇。その闇の中に,先日恐ろしいものを見た。

  その暗がりを前方に見ながら,近づいていく。ふと目を凝らすと,まさにその暗がりの中に,異様なものが浮かび上がったのだ。それは人の顔。髪の長い女の人のちょうど首から上の部分が,ぼんやりと青白く光りながら,ゆらゆら揺れているのである。暗がりの手前には,ぽつんと一つ街灯がついているのだが,「顔」はまだずいぶんその先にあって,街灯の光を反射しているとはとうてい思えないし,だいたい光の色がまるで違う。蛍光灯よりもずっと青白い光なのだ。

  一瞬ひるんだが,勇気を振り絞って歩き続ける。「顔」は相変わらずゆらゆら揺れながら,しだいに大きくなっていく。そして,ほどなく「顔」は,手前にある街灯のところまでやってきた。そこで私の見たものは…。




  なんと,自転車を片手で運転しながら,携帯の画面を一心不乱に見つめ続ける女子高校生の姿。まいりました! ちょうど懐中電灯を下から当てて「うらめしや~」というのと同じ角度で,携帯画面の光を顔に受けていた彼女,しかも片手運転で自転車が蛇行していて,まさに効果抜群。そんなコワい顔に見えていること,本人は気づいているのだろうか。



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