1.はじめに
(1)新学習指導要領との関係
現行学習指導要領(1989年告示)の地理歴史科(以下、「指導要領」「地歴科」と略記する)では、世界史Bの「2.内容」の大項目「(5)近代と世界の変容」の中で、独立した項目として「イ.アメリカ合衆国とアメリカ文明」を設けて「現代世界に大きな影響をもつことになるアメリカ大陸の歴史にも着目させる」とし、近代世界形成に果たした「アメリカ文明」を重視した構成になっている。また、新指導要領(1999年告示)の地歴科では、現行指導要領のように独立した項目を設けていないが、世界史Bの「2.内容」の大項目「(4)諸地域世界の結合と変容」の中の「ウ.ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成」で扱っている。新指導要領解説では、19世紀のアメリカ合衆国の扱いについて、以下のように記述している。
アメリカ合衆国では、近代国家としての態様を整えていくのと並行して、広大な西部への領土拡張と人口移動が行われたことに着目させ、西部フロンティアの存在と西漸運動がアメリカ人独特のものの考え方や行動様式を育む上で重要な役割を果たしたことに気付かせる。そして、南北戦争後は、移民の大量流入による労働力の増加と資本の集中などにより、工業が躍進したことに触れる。
(文部省(1999年):『高等学校学習指導要領解説地理歴史』実教出版、63頁)
さらに、新指導要領解説では、19世紀後半の世界の特徴についても、ヨーロッパから南北アメリカやオセアニアへの移住や中国や南アジアから大量の移民労働者が世界の労働市場に供給されたことに触れている(前掲書、65頁)。新指導要領の地歴科世界史では、近代の移民問題が重要な内容として設定されていると言える。
(2)単元「大陸横断鉄道と西部<開拓>」の概要
[1]大陸横断鉄道の歴史
アメリカ合衆国で最初の旅客用列車が営業されたのは、1830年の末であった(サウスカロライナ州チャールストン)。アメリカ合衆国の1930年の敷設距離は37キロ、1840年4,480キロ、1850年14,400キロと飛躍的に発展し、1857年には全世界の鉄道敷設距離の半分を占めるまでになった。
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図1 |
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大陸横断鉄道の経路(出典:Ferrell, Robert H. and Nstkirl, Richard (1993) Atlas of American History, Facts on File Ltd.p.84) |
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カリフォルニアは1848年にメキシコから割譲され、サクラメントで金鉱が発見されると、多くの人々が殺到し(49er'sと呼ばれた)、人口が飛躍的に増大した。19世紀のアメリカ合衆国の政策を理解する上で重要な基本概念は、「明白なる天命」(Manifest Destiny:文明を未開の西部に広めることこそ、アメリカ合衆国の天から与えられた使命であり、義務であるという考え)であったが、地域対立がその建設を南北戦争(1861〜65年)まで遅らせた。1862年にリンカーン大統領が太平洋鉄道法(the Pacific Railroad Act)に署名すると、セントラルパシフィック鉄道(the Central Pacific Railroad:CP鉄道)が西部側のサクラメントから、また、ユニオンパシフィック鉄道(the Union Pacific Railroad:UP鉄道)が東部側のネブラスカ州オマハから着工した。CP鉄道は、カリフォルニア最初の鉄道であるサクラメントバレー鉄道(the Sacramento Valley Rail Road)を計画したセオドラ・ジェッダの呼びかけでサクラメントの商人たちによって設立され、1863年1月8日に着工が始まった。南北戦争の復員軍人や中国人移民が鉄道建設に動員され、工事の効率が飛躍的に上がった。とりわけ、中国人労働者はロッキー山脈越えやネバダ砂漠横断の難工事にあたるなど大陸横断鉄道の完成に決定的役割を果たした。1869年5月10日、ユタ準州グレートソルトレイクの北、プロモントリーでCP鉄道とUP鉄道 が繋がった。大陸横断鉄道の完成は沿線諸州の牧畜と農業の発展に寄与し、1890年代にフロンティアは消滅することになった。1869年から1910年の間は鉄道の黄金時代であった。第二次産業革命の進展とともに鉄道システムは近代的な形態を整備し、美しく洗練された機関車を完成させた。また、この時期にはさらに8つの大陸横断鉄道が完成した。
1.サザンパシフィック鉄道
(1883年) |
2.ノーザンパシフィック鉄道
(1883年) |
3.カナダパシフィック鉄道
(1886年) |
4.アチソントピーカアンドサンタフェ鉄道
(1888年) |
5.グレートノーザン鉄道
(1893年) |
6.シカゴミルウォーキーアンドセントポール鉄道(1909年) |
7.ウエスタンパシフィック鉄道
(1910年) |
8.カナダナショナル鉄道
(1914年) |
[2]アメリカ合衆国への移民の特徴
アメリカ合衆国商務省のまとめた1820年から1970年までの移民記録によると、この150年間に移民の数は約4,516万人に達する。南北戦争以前の移民はアングロサクソン系を中心に西欧や北欧からの移民(旧移民)が多数を占めていた。戦後は、イタリア、ロシアなど南欧や東欧からの移民(新移民)が徐々に増大し、19世紀末には、新移民と旧移民の割合は逆転した。 新移民の中には、アジアからの移民も含まれていた。アジア系移民の中で最も早く登場するのが中国からの移民であった。
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移民総数 |
ヨーロッパ |
南北アメリカ |
アフリカ |
アジア |
日本 |
中国 |
1821-1890 |
15,437 |
13,727 |
1,179 |
2 |
299 |
3 |
293 |
1891-1900 |
3,687 |
3,559 |
40 |
0 |
71 |
26 |
12 |
1901-1910 |
8,795 |
8,110 |
362 |
7 |
244 |
130 |
20 |
1911-1920 |
5,836 |
4,376 |
1,144 |
8 |
193 |
84 |
21 |
1921-1930 |
4,107 |
2,478 |
1,517 |
6 |
97 |
33 |
30 |
1931-1940 |
528 |
348 |
160 |
2 |
15 |
2 |
5 |
1941-1950 |
1,035 |
622 |
335 |
7 |
32 |
2 |
17 |
1951-1960 |
2,515 |
1,326 |
997 |
14 |
153 |
46 |
10 |
1961-1970 |
3,322 |
1,123 |
1,716 |
26 |
427 |
40 |
35 |
1971-1980 |
4,493 |
800 |
1,983 |
81 |
1,588 |
50 |
124 |
1981-1990 |
7,338 |
706 |
3,581 |
192 |
2,066 |
43 |
389 |
表1 |
移民の出身地域別内訳(出典:有賀貞他編(1993):『世界歴史体系アメリカ史2』山川出版社、付録p.74)単位:千人 |
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(3)単元「大陸横断鉄道と西部<開拓>」の教材化の意義
アメリカ合衆国の鉄道は、1830年に最初の営業用鉄道が開通して以来、同世紀半ばには全世界の敷設距離の半分を占めるまでに成長し、鉄道の母国・英国を凌ぐほどの発展を遂げている。西部「開拓」を大陸横断鉄道という「交通」の視点から教材化することは、汎用性のある「米国理解」教材の開発という目的に適うものであると言える。
19世紀の世界史における最も重要な変化は、アメリカ合衆国の隆盛である。独立戦争前夜は、アパラチア山脈以東の大西洋岸を占めるに過ぎなかった領域が、19世紀半ばには、オレゴン(1845年)、カリフォルニア(1848年)を領有して、大西洋岸から太平洋岸にまで及ぶ「大陸国家」に発展した。海外から多数の移民を受け入れて、飛躍的な経済発展を遂げ、民主的共和制を樹立した。世界史学習では、従来、西部「開拓」がアメリカ型民主主義を培い、アメリカ人の国民性を形成したと評価され、ピューリタニズムとともに「アメリカ文明」の2つの精神的源流と見なされている。
アメリカ史研究では、西部開拓がアメリカ型民主主義の「揺りかご」の役割を果たしたという見方は「フロンティア学説」(F.J.ターナーによって提唱された。有賀貞ほか編(1993):『世界史大系アメリカ史2』山川出版社、16〜19頁を参照のこと)と呼ばれ、アメリカ史の特質として説明されてきた。しかし、近年では、アメリカ合衆国ばかりでなく我が国でも多文化主義の影響を受けて、先住民やアフリカ系アメリカ人などの視点から教材化が試みられている。しかし、人間と自然の関わりについてのアプローチは、ほとんど見られない。また、利用される教材も文字資料が中心であり、写真・絵画資料や音楽資料は少ない。そのため、「大陸横断鉄道と西部<開拓>」の教材化にあたっては、アメリカでの現地調査で収集した当時の開拓民の生活や鉄道を紹介する新聞・写真・絵画・ポスターや現存する駅舎・機関車・客車などの写真を用いて、生徒が当時の西部社会を具体的に把握できるように努めてみた。
2.授業構想
(1)指導計画
単元「大陸横断鉄道と西部<開拓>」は、現行指導要領の地歴科世界史Bの「(5)近代と世界の変容」の中項目「イ.アメリカ合衆国とアメリカ文明」の主題学習として扱い、4時間を配当する。
第1時 |
カリフォルニア獲得と49er's |
第2時 |
産業革命と大陸横断鉄道 |
第3時 |
大陸横断鉄道建設と中国人移民 |
第4時 |
フロンティア消滅と環境
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(2)教材
ここでは、今回のアメリカでの現地調査や国内の事前研究で収集した諸教材の中から、本単元の第3時「大陸横断鉄道建設と中国人移民」で用いる教材を中心に、授業での利用価値の高いと思われるものを選び(資料A〜D)、それらに簡単な解説を加えた。
資料A「大陸横断鉄道の開通(プロモントリー・ランデブー)を伝える写真と絵」
1869年5月10日12時45分。ユタ準州プロモントリーにおいて、UP、CP両鉄道の代表が金と銀でできた最後の3本の犬釘(スパイク)を打ち込んだ。このニュースは歴史的快挙として電信でアメリカ全土に打電された。2つの鉄道の長さは、UP鉄道が1,740キロ、CP鉄道が1,100キロであった。以下の2つの資料(A.J.Russellが撮影したGolden Spike(1869)【図2】とT.Hill が描くThe last Spike(1879)【図3】は、サンフランシスコ州サクラメントのカリフォルニア州立鉄道博物館(California State Railroad Museum)を訪問して入手した。
A.J.Russellが撮影したGolden Spike【図2】は大陸横断鉄道の完成を伝える最も代表的なもので、教科書や世界史図録などでよく目にする有名な写真である。また、この写真には白人男性しか描かれておらず、アメリカ合衆国の西部開拓の輝かしい成果を象徴する意図が読みとれる。他方、T.Hill が描くThe last Spike【図3】は、今回初めてカリフォルニア州立博物館で目にした。The last Spikeは、CP鉄道の大陸横断鉄道の工事に貢献したすべての労働者や技術者を顕彰するために描かれた。Golden Spikeとの大きな違いは、画面中央に中国人労働者と白人女性、右隅にネイテイブ・アメリカンが描かれていることである。この2枚の資料は大陸横断鉄道の開通についての、当時のアメリカ国民の異なる2つのイメージを示している。Golden Spike撮影直前の写真には中国人労働者が写っていることから推察すると、Golden Spikeは中国人労働者を意識的に排除してから撮影されたものと考えられる。当時の中国人労働者の地位を生徒に考えさせる上で有効な資料と言える。
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図2 |
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A.J.Russellが撮影したGolden Spike(1869) |
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図3 |
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T.Hill が描くThe last Spike(1879) |
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資料B「大陸横断鉄道の宣伝ポスター」
大陸横断鉄道の開通を知らせるUP鉄道のポスターには、1869年5月10日の日付のほか、「オマハからサンフランシスコまでたったの4日間」「大西洋から太平洋へ」「金、銀、その他の鉱山の労働者募集、カリフォルニア!!」などのコピーが印刷されている。これらのコピーからは、大陸横断鉄道が西部の開拓と産業革命の重要な起爆剤として期待されていたことがわかる。UP鉄道のポスターやロゴ、地図などの資料はUP鉄道フォトギャラリー(Union Pacific Railroad Photo Gallery )のホームページから入手できる。大陸横断鉄道沿線の景観については、CD-ROM『世界の車窓から(VII)アメリカ編〜大陸横断鉄道の旅〜』(富士通パレックス)が利用できる。生徒にニューヨークからサンフランシスコまで5,300キロの旅を体験させるのもおもしろい。
資料C「19世紀のCP鉄道の機関車」
サンフランシスコから北西145キロのところに、カリフォルニアの州都サクラメントがある。サクラメントの歴史は、1839年8月にジョン・サッターがサクラメント川との合流地点に近いアメリカン川岸に上陸し、砦(Sutter's Fort)を築いたことから始まる。カリフォルニアが1848年にメキシコから割譲され、同年にジェームズ・マーシャルがサクラメント近郊で金を発見すると、多くの人々がカリフォルニアに殺到し(49'ers.Gold Rushの到来)、1850年には州に昇格した。サクラメントは度重なる洪水に見まわれたために、1853年に街建設の計画が立てられ1862年から着工された。数年の内に市街(Old Sacramento)が整備されたが、その後、商業の中心が東側に移ったためにさびれていった。1960年代中頃に再開発の計画が立てられ、今日では歴史公園として整備されている。28エーカーの敷地の中にはサクラメント駅やハンチントン&ホプキンス商会など50余の歴史的建造物が再建されている。サクラメントは太平洋側の起点として、ジュッダの呼びかけのもと荒物商のコーリス・ハンチントンとマーク・ホプキンス、乾物商のチャールズ・クロッカーとリーランド・スタンフォードが出資して作られたCP鉄道によって、1863年に鉄道建設が着手された。今日、オールドサクラメントには、世界屈指の鉄道博物館であるカリフォルニア州立鉄道博物館があり、当時の機関車や客車などが動態可能な状態で保存されている。
代表的な機関車としては、CP鉄道の第一号機関車であるガバナー・スタンフォード号(the Gov. Stanford)や同博物館の至宝であるC.P.ハンチントン号(the C.P.Huntington)が展示されている。機関車の詳細な説明が同博物館のホームページに掲載されているため教材化が可能である。ガバナー・スタンフォード号は1862年にフィラデルフィアで作られ、翌1863年から運行し1895年まで使用された。この機関車の名前はCP鉄道の創設者の一人であった(また、カリフォルニア州知事を務めた)リーランド・スタンフォードに由来する。C.P.ハンチントン号は1863年にダンフォース(ニュージャージー州)で作られ、CP鉄道の第三号機関車として活躍した。この機関車は珍しい機軸配置と美しい形態から最も人気のある機関車であり、1969年の大陸横断鉄道完成百周年のセレモニーでは実際に走ったと言う。1874年に作られた16号客車(Combination Car No.16)や、カリフォルニア産柑橘類を運ぶために開発された保冷貨車(Refrigerator Car No.35832)なども教材化したい素材である。同博物館で購入したビデオ(the Iron Road ISBN 1-57807-076-7:最初の大陸横断鉄道建設を記録)やCD(Railroadin’ Classics:ISBN 1-88326-27-8:19世紀の鉄道に関する歌を収録)なども活用したい。
資料D「中国人移民と排華漫画」(次頁の図6・7・8を参照)
カリフォルニアで金が発見されると、中国から多くの中国人が西海岸に押し寄せてきて西部開拓の先鋒隊として活躍した。彼らは鉱山労働者のほか、1860年代には大陸横断鉄道や通信ケーブルの敷設に活躍した。1870年代にはいると、靴・衣服の製造などカリフォルニアの軽工業を支える労働者に成長した。中国人移民については、久米邦武編『米欧回覧実記』の「加利福尼州鉄道ノ記」の中で、1871年のサンフランシスコに中国人が49,310人居住し、中国人街を形成していたことを紹介している(久米邦武編(1977):『米欧回覧実記 一』岩波文庫、111頁)。1880年の在米中国人は10万5千人に達し、州人口の一割を占めることになった。文化的摩擦や南北戦争後の不況と相まって、中国人排斥運動が激化した。その結果、1882年には10年期限で中国人移民を禁止する法律(中国人移民制限法)が成立し、修正を加えながら1904年まで存続した。中国人移民禁止に伴う労働力不足を補う形で、1880年以降日本人移民が急増することになった。アジア系移民に対する排外主義はその後も強まり、1924年の新移民法制定ですべてのアジア系移民が禁止された。胡垣坤ほか編(1997):『カミング・マン』(平凡社)には、当時の新聞や雑誌に掲載された風刺漫画を通して中国人排斥運動の様子をみることができる。
(3)授業の展開
[1]教材
本節では、単元「大陸横断鉄道と西部<開拓>」の中から第3時「大陸横断鉄道建設と中国人移民」の授業展開を示した。授業で用いる教材については、以下に列挙した(教材の図番号は前掲「(2)教材」の図番号と同じである)。
【個人に配布した教材】 |
・Golden Spike【図2】とThe last Spike【図3】のカラーコピー
・中国人を風刺、誹謗する当時の漫画(労働者の山、新顔)【図8】のカラーコピー |
【OHP機で投影した教材】 |
・大陸横断鉄道建設に従事する中国労働者【図6】、
・移民の出身地域別内訳【表1】 |
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図8 中国人を風刺、誹謗する当時の漫画((左)労働者の山『ワスプ』1882年頃、(右)「新顔」(『ワスプ』1889年)
(出典:胡垣坤ほか編(1997):『カミング・マン』平凡社、(左)129頁、(右)81頁)。「労働者の山」は逆さまにすると山が中国人の顔になる。 |
[2]第3時「大陸横断鉄道建設と中国人移民」の授業展開
( T は教師、S は生徒の活動を示す。)
発問・指示・説明内容 |
教授・学習内容 |
説明 |
【図2】の写真は大陸横断鉄道の開通を記録した写真である。 |
T |
「Golden Spike」【図2】のコピーを配布する。 |
発問 |
いつ、どこで撮影されたか。 |
S |
1869年5月10日に、ユタ州のソルトレーク北のプロモントリーで撮影したものである。 |
T |
「the Last Spike」【図3】のコピーを配布する。 |
発問 |
【図2】の写真と【図3】の絵には、登場人物に違いがある。その違いはどこか。
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S |
図2はすべて白人男性だが、図3には、インデアン、女性、弁髪の人が登場している。 |
説明 |
弁髪の男性は、中国からの移民である。彼らはロッキー山脈越えなどの難工事で活躍し、大陸横断鉄道の完成に貢献した。 |
T |
OHPに「大陸横断鉄道建設に従事する中国人労働者」【図6】を映す。 |
発問 |
なぜ、中国人労働者は図2の写真から排除されたのか。 |
S |
弁髪や生活習慣が白人には奇異に映ったので。大陸横断鉄道の業績を白人たちで独占したかったので。 |
説明 |
1880年当時、在米中国人は十万人を超え、カリフォルニアでは人口の一割を占めた。 |
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発問 |
中国人は、どんな職業についたと思うか。 |
S |
鉱山労働、鉄道建設、工業労働など。 |
T |
「中国人風刺の漫画」【図8】のコピーを配布する。 |
発問 |
中国人の職業の種類が増えると、白人たちはどう思ったか。【図8】の漫画「新顔」を解読せよ。 |
S |
中国人移民が色々な職業をmonopoly(独占)することに脅威を感じた。生活習慣や服装の違いのため、中国人に脅威を感じた。 |
T |
OHPに「移民の出身地域別内訳」【表1】を映す。 |
発問 |
【表1】を見て、中国人の移民の変化を分析せよ。 |
S |
この資料の状況では1890年以前と比べることは難しいが、1890年以降、移民が極端に減っている。 |
発問 |
中国移民が減った理由について調べよ。 |
S |
1882年に中国人移民を制限する法律ができたため。 |
指示 |
今日では、大陸横断鉄道の工事など、中国人移民が18世紀後半のアメリカ社会に果たした貢献を積極的に顕彰するようになってきた。このようなアメリカ社会の動きについて、次回の授業までに調べよ。」 |
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3.おわりに
今回のアメリカ調査では、至る所でヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系など様々な人種、民族の人々が日常生活をともにしている姿を目にした。日本の普通の都市でも、急速な国際化の進展の中で、外国人と日常的に接し生活をともにすることがあたり前になってきた。このような状況を考えると、近現代史の授業で、移民や外国人の問題を扱うことは大変重要である。この問題については、「移民の国」アメリカ合衆国の歴史から学ぶべき点が多い。本稿では、開発した単元「大陸横断鉄道と西部<開拓>」の中から「大陸横断鉄道建設と中国人移民」を選び、教材と授業展開を示した。生徒がこの授業を受けることで、今日の移民や外国人の問題を考えるきっかけになれば幸いである。最後に、このような貴重な機会を与えて頂いた米日財団と上越教育大学に深く感謝いたします。
参考文献
○ |
CD-ROM |
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・ |
『世界の車窓から VII アメリカ編 〜大陸横断鉄道の旅〜』富士通パレックス。 |
○ |
ビデオ |
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・ |
M.Drain,The Iron Road, WGBH Video. |
○ |
CD |
|
・ |
W.Erbsen,Railroadin'Classics,Fracas Music Co. |
○ |
文献 |
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・ |
有賀貞・大下庄一・志邨晃佑・平野孝編(1993):『世界史大系 アメリカ史2』山川出版社。 |
|
・ |
大森実(1986):『ザ・アメリカ 勝者の歴史 大陸横断鉄道』講談社。 |
|
・ |
久米邦武編(1977):『米欧回覧実記一(岩波文庫)』岩波書店。 |
|
・ |
胡垣坤・曾露凌・譚雅倫編(1997):『カミング・マン 19世紀アメリカの政治風刺漫画の中の中国人』平凡社。 |
|
・ |
猿谷要(1982):『西部開拓史(岩波新書192)』岩波書店。 |
|
・ |
野村達朗(1996):『大陸国家アメリカの展開(世界史リブレット32)』山川出版社。 |
|
・ |
D.A.ブラウン(1980):『聞け、あの淋しい汽笛の音を 大陸横断鉄道物語』草思社。 |
|
・ |
リサ・シー(1999):『ゴールド・マウンテン ある中国系移民家族の百年』紀伊国屋書店。 |
|
・ |
ロレンス・イェップ(1998):『ぼくは黄金の国へ渡った 米鉄道作った中国人』徳間書店。 |
|
・ |
California State Railroad Museum(ed.)(1999):CSRM GUIDEBOOK,California State Railroad Museum. |
|
・ |
Ferrell, Robert H. and Nstkirl, Richard (1993):Atlas of American History, Facts on File Ltd. |
|
・ |
Steinheimer,Richard(1991):Railroading in California and the West,California State Railroad Museum.
|
○ |
ホームページ |
|
・ |
California State Railroad Museum. |
http://www.csrmf.org |
|
・ |
Central Pacific Railroad Photographic History Museum. |
http://www.stereograph.org |
|
・ |
Union Pacific Railroad Museum. |
http://www.uprr.com |
|