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1.はじめに (1)新学習指導要領との関係 本実践では、近年、我が国だけでなく世界各地で再評価がなされているLRT(Light Rail Transit)に焦点をあて、日本とアメリカにおける都市の公共交通と環境への配慮について考えることにする。 平成11年に告示された高等学校学習指導要領においては、地理Aの内容「(2)地域性を踏まえてとらえる現代世界の課題」の「イ 地球的課題の地理的考察」の「(ア)諸地域から見た地球的課題」で、次のような扱いが求められている。 「環境、資源・エネルギー、人口、食料及び居住・都市問題を地球的及び地域的視野から追究し、地球的課題は地域を超えた課題であるとともに地域によって現れ方が異なっていることを理解させ、それらの課題の解決に当たっては各国の取組とともに国際協力が必要であることについて考察させる。」 また、同じく地理Bの内容「(3)現代世界の諸課題の地理的考察」の「オ 環境、エネルギー問題の地域性」、「キ 居住、都市問題の地域性 」では、次のようである。 「環境、エネルギー問題を世界的視野から地域性を踏まえて追究し、それらは地球的課題であるとともに各地域によって現れ方が異なっていることをとらえさせ、その解決には地域性を踏まえた国際協力が必要であることなどについて考察させる。」 「居住、都市問題を世界的視野から地域性を踏まえて追究し、それらの問題の現れ方には地域による特殊性や地域を超えた類似性がみられることをとらえさせ、その解決には地域性を踏まえた国際協力が効果的であることなどについて考察させる。」 すなわち、地理A・地理Bのいずれの科目においても、環境問題や資源・エネルギー問題、居住・都市問題を、地球的及び地域的視野から追究して、それらが地域を超えた課題であるとともに地域によって現れ方が異なることを理解させ、解決に当たっては国レベルだけでなく、国際協力が必要であることを考えることが、求められている。 そのため、本実践において、我が国とアメリカ合衆国におけるLRTの復権の状況を考えることは、この新学習指導要領の趣旨に基づくものである。つまり、本実践は、LRTをとおして環境問題、資源・エネルギー問題、居住・都市問題を、日米各国のそれぞれと比較の視野から追究し、それらが両国を超えた課題であるとともに各国によって現れ方が異なることを理解させ、解決に当たっては国レベルだけでなく、国際協力が必要であることを考えるものである。 (2)教材化の意義や教師の教材観 我が国において、現在、都市における移動手段としては、自家用車・バス・電車・地下鉄などが主流である。これらの手段はいずれも整備が整い、生活上欠かせないものとなっている。しかし、これらの交通手段を、環境との関係で考えてみると、いずれも何らかの問題を抱えている。例えば、自家用車やバスは、かつてよりも改善が進んでいるとは言え、その排気ガスがもたらす大気汚染は深刻である。電車や地下鉄については、その沿線での騒音や用地確保、施設整備の際の特に社会環境に与える影響は、さけることのできない問題となっている。このように、現在、都市の交通は環境への影響という側面から、構造的な転換が求められている。そこで、今、このような問題を解決する交通手段として、LRTの再評価が我が国において活発に進められている。 その動きの一端としては、1993年6月より、路面電車のもつ多様な可能性を広く世に問うべくはじめられた「路面電車サミット」に見ることができる。この集まりは当初、路面電車愛好団体のつどいとしての性格が色濃かったが、現在では各路面電車事業者をはじめ、一般市民や行政などの参加も目立つようになっている。第1回の開催地は札幌市で、以後2年おきに、路面電車の走る都市で順番に開かれている。ちなみに、1995年が広島、1997年が岡山、1999年は豊橋で開催された。 我が国におけるLRTの再評価は、実はアメリカでの動向の影響を強く受けている。アメリカでは、自動車会社の圧力もあって、公共交通を保護するのではなく、もっとも自由度の高い移動手段である自動車交通を前提に道路整備を重点とした投資が進められてきた。この結果として、ほとんどの都市の交通は自動車とバスのみに依存するようになったが、1960年代になると、はやくも自動車交通が行き詰まり、その弊害が現われるようになった。具体的には、自動車の集中による都心部の混雑、バスの運行サービスの低下によるトランスポーテーションプアに対する移動の自由の喪失、化石燃料の浪費による資源枯渇と大気汚染、マイカーに起因する犯罪・交通事故の増大、および市域の拡大による都心商業施設の衰退などである。これは、自動車だけに依存してきた都市交通の限界を示すもので、人種問題もからんでヨーロッパより深刻な問題となった。 このような環境下において、早くも1962年に都市大量交通機関の維持や充実の必要性がうたわれたはじめ、1968年に都市の公共交通機関に自動車よりも魅力的なものを創造することが提唱され、主管する部署として運輸省(DOT:Depertment of Transportation)が設立された。これはエネルギー問題と道路混雑の緩和を目的に、道路経済効率の向上を狙った施策という解釈もできるが、いずれにしろ公共交通の必要性を打ち出したことは、自動車中心の交通政策からの一大転換といえるものであった。そして、運輸省の目玉として新しい都市交通システムの開発が始まった。 新時代の路面電車を意味する言葉として、よくライトレールという言葉が使われるが、このライトレールという言葉を、いわゆる路面電車に初めて使ったのは、アメリカの運輸省である。アメリカの都市交通の改善は、当初はコンピュータで制御する新交通システム指向であったが、DPM(ダウンタウン・ピープル・ムーバー)として都心部の再開発を目的にデトロイトとマイアミに建設したものの、あまりにもお金がかかるため、その代わりとして目を付けたのが西ドイツで都市交通機関として改良が進められていた路面電車であった。当時、アメリカにはボストン、ニューアーク、フィラデルフィア、ピッツバーグ、クリーブランド、ニューオリンズ、サンフランシスコの7都市に路面電車が残っていたが、まずボストンとサンフランシスコで近代化のため新しい路面電車の標準車を造るにあたり、古くさいイメージを与えている「ストリートカー」とか「トロリー」という言葉に変わって、新しい言葉を考え出した。それがLRT=「LIGHT RAIL TRANSIT」という言葉であり、その車両であるLRV=「LIGHT RAIL VEHICLE」という言葉であった。 アメリカの運輸省がこの時に定めたライトレールの定義は、新交通システムと違うということで「電動機駆動によって二本のレールの上を走る車両を使用する」という規定もあるが、一番の特徴は「大部分の区間を他の交通機関から分離した軌道を走行する」、すなわち自動車に邪魔されずに走れる交通システム、言い換えれば自動車と共存が可能なシステムということである。日本ではまだ、ライトレールは都市交通機関として位置づけがされていないが、アメリカでは既存の都市鉄道システムの中で、路面電車と都市高速鉄道の中間にあたる中量輸送機関としてしっかりと位置づけられた。 こうして北米では、1978年にカナダのエドモントンに初めてのライトレールが開通し、81年には同じカナダのカルガリーとアメリカのサンディエゴにも新しく開通した。アメリカのライトレールは、当初は走行路の自動車との分離を図った高速路面電車指向だったが、それにちょっと味付けをした。すなわち、新交通システムの開発で行おうとしたコンセプト、都心部での短距離の移動に便利な公共交通システムの機能を兼ねさせようとした。 前述の通り、アメリカの公共交通見直しの最大の理由が、モータリゼーションの進展による都心部の衰退であったわけだが、その再開発を進めるに当たり、一番のポイントとしたのが、車の侵入を禁止し、人中心の商業街路の中に路面電車を走らせたトランジットモールの建設であった。そこに人を集めるだけでなく、モール内の移動手段、すなわち水平エレベーターとしても使えるライトレールは、まさに格好の輸送システムであった。それは目的とした再開発において、都心に人が戻って活性化が図れるという大成功を収めた。また徹底的に合理化・省力化されたシステムである事から、サンディエゴではアメリカとしては大変珍しく、営業経費の90%を運賃で賄える好成績をおさめ、全米のライトレール建設の引き金となった。 こうして、1984年にはバッファロー、1986年にはポートランド、1987年にはサクラメントとサンノゼ、1990年にはロサンゼルス、1991年にはボルチモア、1993年にセントルイス、1994年にデンバー、1996年にはダラスで開業した。 加えて、日本での想像以上に深刻といわれる大気汚染や、道路渋滞による環境の悪化は、ライトレールの導入を早めることになった。サクラメント、ポートランド、そしてロサンゼルスでは、フリーウェイの建設にかえてライトレールを建設する道を選んでいる。それらはまさしく、LRTの復権であった。 以上のようなLRTを取り巻く状況は、日本とアメリカにおける都市の公共交通と環境への配慮について考えるのに、優れた教材となりうる。 註:上記の文章の一部は、「路面電車サミット'97 in OKAYAMA」における「第1分科会:LRT部会」での服部重敬氏の基調講演「なぜいまLRTなのか」を、若干修正したうえで引用させていただいている。 2.授業構想(教授・授業書)
(4)資料一覧
参考引用URL
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