彼女はまずこれまでの文献から、数学における証明の役割として次のようなものがあるとしている。
なおこうしたHanna氏の考え方については、以下の文献も参照されたい。
Hanna, G. (1996). 学校教育における証明の役割 (磯野正人訳). 上越数学教育研究, 第17号, pp.155-168.
これに続く「発見 vs. 証明」と「探求 vs. 証明」の節では、例えば帰納的な推論により新しい結果を見いだすことや、探求し推測をたてるといった活動が近年提唱され、その中で証明の必要性が弱められている点を検討している。もちろんこうした傾向は作図ツールの登場によりより盛んになったものである。ここでも数学教育、数学の哲学、あるいは数学者による議論を参照しながら、「本当に必要なことは、証明を探求で置き換えることではなく、両方を生かすことである」(p. 14)と述べる。探求と証明は相補的で互いに強めあうものであり、そもそも数学的な探求においては演繹的な推論が多用されている。そして、「探求だけでは数学自体の全体性を反映していない」(p. 14)し、そのことに生徒が気づくためにも、証明というステップを踏む必要があると主張する。
「視覚化と視覚的証明」では、視覚的な表現が正当化にどこまで使えるのか、という点を、やはり数学の哲学や数学者の議論を参照しながら考えている。図示により証明が与えられるような事例があるとしながらも、視覚的な表現が妥当なものとなるには、結局そこからそれなりのやり方で情報を引き出さねばならない。そしてBarwiseとEtchemendyの研究に依拠しながら、 「ヘテロ的証明」というアイデアを紹介している。そこでは、証明の内容に生徒の注意が向けられ、視覚的情報と文的情報の双方を操作することにより論理的推論や証明を構成することが目指されるのである。
最後の「認識論的落とし穴」の節で、Hanna氏はまず、教室での実践に見られる数学の認識論と、生徒が教室に持ち込む認識論の違いに注意を向けている。具体的な例として次のようなものをあげている。
論文の最後では、この号に収められた4つの論文を簡単に紹介している。
M. A. Mariotti「証明への導入:作図ツール環境による媒介」
この論文は、幾何学を性質の集まりとして見る直観的見方から、証明により妥当化され関連づけられた陳述の体系として見る理論的見方への移行を扱い、この移行が作図ツールの利用により促進されると述べる。作図ツールは、妥当な証明に至る方法としての探求、推測、議論の過程を理解するのを支援することで、理論的幾何学の理解に貢献する。
K. Jones「演繹的推論の基礎の提供:作図ツール利用時の生徒の解釈と数学的説明の進展」
この論文では四角形の分類が扱われ、授業では、演繹的推論を用いて四角形の様々な性質の間の関係を理解するに至り、階層的な分類を作り出すことでその理解を示すという経験を、生徒に提供しようとしている。作図ツールが、性質や関係についての正確な陳述を定式化するのを支援する様子が観察されている。
R. Marrades & A. Gutierrez「作図ツール環境で幾何学を学ぶ中等学校の生徒による証明」
ここでは数学的証明の本性についての生徒の理解の深まりや、証明の技能の改善のために、作図ツールが用いられる方法がとり上げられる。これについて、実際の生徒がインフォーマルな推論から数学的証明に移行する様子が報告される。その際、作図ツールが、インフォーマルなやり方の限界や演繹的証明の必要性を理解するのを促進する様子も示される。
N. Hadas, R. Hershkowitz, & B. B. Schwarz「作図ツール環境で証明の必要性を促すことにおける矛盾と不確かさの役割」
この論文は、驚きや不確かさに直面したとき生徒が妥当な議論を与えることができか、を調べている。自分の推測と測定から得られた結果の間に矛盾を見いだしたとき、作図ツールを用いながら、この矛盾を解消する様子が描かれる。
これらの実践では作図ツールが利用されていると同時に、注意深くデザインされた課題、有能な教師による介入、細部に気づく機会、推測すること、間違いを犯すこと、振り返ること、対象間の関係を解釈すること、暫定的な説明を与えることなどを伴っている。これらの要因にも注意を向けることを述べて、Hanna氏は論を閉じている。