テーマ別編 中学校 3/4
アメリカ合衆国の独立と愛国心
西頚城郡青海町立田沢小学校 秋山正道
 (2) ボストン
 ボストンに愛国心を育てる教材が二つある。その一つはよく知られているボストン茶会事件である。もう一つは、日本人がほとんど知らないポール・リビアという独立革命の英雄である。
 最初にポール・リビアについて紹介しよう。彼は銀細工師として多くの作品を残しているが、それ以上に独立戦争の英雄として合衆国ではつとに有名である。舞台はレキシントンの戦いであった。フレンチ・インディアン戦争で勝利を収めたイギリスではあったが、戦争に費やした多額の借金が残った。そこで、ウィリアム・ピット首相の後継者として大蔵卿に就任したジョージ・グレンヴィルは印紙法を導入した。「ろうそくの2インチを国家的に節約することは、すべてのピットの勝利(フレンチ・インディアン戦争でピット首相率いる英国軍が勝利を収めたこと)より偉大な功績である。」これはグレンヴィルのことばであり、彼がどれほどの経済家であったかということが分かる。大蔵卿就任後に制定した砂糖法に対してボストンのサミュエル・アダムスらが猛反対をした。特に、アダムスの仲間のジェイムス・オティスが演説の中で述べた言葉「代表無ければ課税なし」は後の独立13州のスローガンとなった。グレンヴィルは砂糖法に代わって印紙法を提案した。卒業証書には2ポンド、新聞には1シリングの税を課すというくらい、大衆課税であった。そのために、イギリス本国に対する大規模な抗議運動が始まった。ゲイジ総督が率いるイギリス軍は、1775年4月19日の深夜、海路をとって襲ってきた。
 ポールリビアはこのイギリス軍の行動をいち早く察知し、オールド・ノース教会にある鐘を鳴らし、さらに、仲間にこのことを知らせるため、真夜中の道をレキシントンへ馬を走らせた。リビアの活躍によってマサチューセッツの愛国派はイギリス軍に大きな打撃を与えることができた。これによってリビアは一躍合衆国独立の英雄の一人となった。ボストン・フリーダムトレイルにはリビアの家があって、多くの観光客がここを訪れ独立戦争を偲ぶ。
 ボストンではそれより2年前に、いわゆる茶会事件が起こっている。これは東インド会社が持っている船が積んでいた茶を箱ごとボストン港に投げ込んだ事件である。ボストン港をティーポットに見立て、そこにお茶を投げ込んでティーパーティーを開こうとしたので、これを茶会事件と呼んでいる。サミュエル・アダムスを中心にした活動家たちがボストンの民衆と共に、アメリカ・インディアンのモホーク族に扮装し、ボストン港に停泊していた3隻の船を襲った。
 ボストン港には今でも当時を偲ばせる木造船ビーバー2世号が停泊している。もちろんこれは復元されたもので、博物館となって展示されているのである。中では、当時の服装をした乗組員が観光客の案内をしている。観光客は巧みな演出に乗せられて、すっかり自分がサミュエル・アダムスであるかのような気分になってしまう。観光客は全員頭に鳥の羽を付け、拳を振り上げて「お茶を捨てろ、海の中へ!」と叫ぶ。そして、最後は模造品の茶箱を海へ投げ捨てる。もちろん茶箱にはロープが付いていて、投げ捨てても手繰り上げるとまた投げられるようになっている。子供がたくさん見学に来ており、小さいときから自分の国の独立運動の様子を学校以外の場で知ることができるのである。このようにして、アメリカ人は愛国心を形成していく。
疾駆するポール・リビア サミエル・アダムスになった観光客
疾駆するポール・リビア サミエル・アダムスになった観光客