Zack氏らは理論的背景としてヴィゴツキーとバフチンを引いており、「文化的ツー ルの習得やアプロプリエーションの双方と理解される内化として捉えられる、意味 構成の過程」に特に関心があると述べている。さらに彼らの関心を「他者のアイデ アがいかにしてその人自身のものとなるか」とも述べ、「相互作用への参加におい て、あるいは参加を通して、知識がいかに創造されたりアプロプリエーションされ るかを理解するために、共同の数学的活動で相互作用する間の学習者の問題解決の 議論を吟味する」としている。
ヴィゴツキーとバフチンに関っては、社会的相互作用により言語を通して意識の内 面が形成されること、他者の言葉は中立ではなくその人たちの意図を伴っており、 それを自分の意図に適合させて言葉をアプロプリエーションしたときに初めて自分 の言葉になること、などに触れている。ZPD(最近接発達の領域)にも言及して いるが、ZPDを固定されたものではなく、変容するものと捉えているように見え る。ZPDでのガイドは年長の参加者からのみではなく、あらゆる媒介手段から生ず るものであり、学習者の変容もまたコミュニティの変容や共同活動の変容につなが るとしている。また教師が「まじめな聞き手」であること、教師が生徒から学ぶ場 面の大切さを述べている。さらに、彼らの経験から、知識の協同的構成において、 意見の不一致や誤解を含む互いの差異や抵抗が重要である点にも言及をしている。
後半で分析されるデータは、進歩主義教育を志向する私立学校での、Zack氏の5年生のクラ スで集められたものである。ただしこのクラスでは、「制度化された実践」(p. 236)としての数学という面も考慮されており、教師は「子どものやり方を文化の因習と結びつける」(p. 237)ことも行う。問題を解く際にはまず個人での解決が行われるが、そこでの活動の記述を記録することになっている。個人で行ったことの記録は、支援なしでしたことを示し、ZPDを考えるのに役立つものと思われる。その後、ペアでの話し合い、4〜5人のグループでの話し合い、全体 (12〜13人)での話し合いと進む。
分析の対象となっているのはホスニ、ジェフ、ミッキーという3名の男子からなるグループの議論であるが、4つのエピソードからなる計30分程度の議論である。この前後の授業では、以下のような問題が扱われている:9匹のプレーリードッグが互いの隠れ穴をトンネルで結ぶには何本のトンネルが必要かという問題(いわゆる「握手の問題」の変形);10角形の対角線を求める問題;25角形と52角形の対角線を求める問題;最初のトンネル問題に対する数式や一般的な規則を書く問題。扱われた議論で問題となったのは、一般の規則について出された二つの考え方の関係であった。ジェフは対角線での自分の考えを生かし、これに辺の数を加えることでトンネルの数を求めようとし、「(S−3)×S÷2+S」という式を提案した。ミッキーは対角線の求め方やそれとトンネルの数との関係を理解し、最初はジェフに同意しているが、途中で、「でも考えてみると、引く3ってなんか変じゃない?」と疑問を呈し始める。つまり、対角線と違い「全部と結ぶ」のだから引く必要はなく、ジェフの式ではどこかで3を「戻す(get back)」はずだ、と考えているようである。しかし一方で、引かずにS×S÷2とすると答えが合わないので、ここで葛藤が生じている。
ジェフは、ミッキーの疑問に同意する場面もあるが、引いて足すといっても「足すのは」3ではなくてSなのだから引いた分を戻す必要はないという(ミッキーの議論とは少しずれている)議論をしたり、(S−3)×S÷2+Sでうまくいくからいいではないかといった議論をする場面もある。最終的には二人で、自分自身と結ぶ必要がないからS-3ではなくS-1になるという理解に至るとともに、戻すのは3ではなく両隣にあたる2であるとして、ジェフとの考えとの関係づけも達成されている。さらに(S−3)×S÷2のやり方を「より直接的」として評価もしている。
Zack氏らは考察においてまず、解決中の3名のスタンスに言及している。ホスニは与えられた課題を解き、後は友達の考えを聞いて理解しようというスタンス。ジェフは、一般化や式化を進めようとする一方で、「君は何かない」と尋ねるなど、友達どうしを結びつけたり、友達とアイデアを結びつけようとするスタンス。そして、ミッキーはうまくいくかどうかだけでなく、なぜうまくいくのかを追究しようというスタンス。
その後で、Otherness (他者のものであること)とOwn-ness(自分のものであること)という視点からの考察が行われている。まず、普段の授業から「○○君の考えが自分にとって役立った」といった感想が書かれていること、またそうしたコメントを見ると様々な程度でのOthernessとOwn-nessの混じったものとなっていることが述べられている。次に、教師もまた子どもからのOthernessを取り込む場合のあることが述べられている。教師がトンネル問題の一般化を問うたのは、実はジェフが最初のトンネル問題と対角線問題が似ているとコメントしたことによる。教師の問いはジェフのOthernessを借りている。ただし上で見たように、ジェフは対角線の式に辺を加えると捉えていたのに対し、教師は1を引く点だけが違うと捉えていた。Othernessの取り込みは教師のニーズや意図に沿ったものに変えられている。この考察の最後には、Own-nessにこだわるミッキーの様子が述べられる。上述のやりとりの後、ジェフが二つのやり方をあげた上、ミッキーとの話し合いで見いだしたやり方をよりよいものと記録したのに対し、ミッキーは最後のやり方だけを、しかも「R(−1)×R÷2」と独自の記号や表記で記録していた。Zack氏らはこうした事例から、「彼特有のスペースとアイデンティティを得ようとしながら、ミッキーがどのように自分を確立したか」が見えるとしている。
論文の最後では、ZPDを動的に捉えることに関わった考察が行われている。まず教師は豊かな数学の課題を出すことでZPDを創り出したと考えられる一方、その結果として生ずる探求の道筋や上限は前もって決めることはできない。そこで、予期せず起こったことにも耳を傾け、そこからさらなる学習の「触媒」となりそうな要素に、教師が働きかけることが必要となる。つまり、教師の提供するゾーンは子どもとの関係の中で構築されている。次に、ジェフとミッキーの例を引きながら、ZPDは年長者により構成されるだけでなく、同じレベルにあるものどうしからも設定されるとする。そして上の事例での、考え方の違い学習の動因となっていたことを指摘し、多様な視点、様々な数学的知識やアイデンティティからなる異質性により、ZPDがより豊かなものとなると述べている。一方で、ホスニにとってはZPDが生じなかったと述べ、自分が感じたちょっとした引っかかりを解消するための情報を対話の中で得られなかったことがその原因としている。そして、条件が適切と思える場合でもZPDが生じるとは限らないこと、故に「好ましいシナリオをお膳立てすることは期待できない」(p. 265) こと、個人的なものであれ集合的なものであれ、知識は「活動、参加者、媒介的ツールの文脈の中で、ダイナミックな仕方で、共同で構成される」ことを指摘している。
この論文を読んで感じたことは次のような2点である。