コブ氏らによる教授実験
ミニツールを用いた8年生の統計の学習 (3)


 本コーナーでコブ氏を中心としたプロジェクトが進行中であることを報告した (その1およびその2参照) が、そのプロジェクトの一環である教授実験が、ダウンタウンにあるマグネットスクールにおいて1998年8月14日よりスタートした (コブ氏らのプロジェクトについては、1998年7月のPMEにおいて、7年生のときの結果などを利用しながらコブ氏が全体講演で話をしている。そちらのプロシーディングスの論文も参照されたい。また本プロジェクトは今後数年の間の継続されるようである)。この教授実験は10月末まで予定されており、月、水、木、金の週4日 (全て2時10分から2時55分まで)、全体では約40回ほどになる。この原稿はほぼ半分が終了した時点で書いているが、コブ氏自身はワシントンに主張したとき以外は、全ての授業に立ち会っている。こちらに来たばかりのときに8年生の統計のプロジェクトだと聞いたときは、勝手に10数時間程度だと思い込んでいたので、この授業数と、またその全てをコブ氏自身が観察していることに多少の驚きをおぼえた。

 授業の教材となる統計データについては、コブ氏やグラフメイヤー氏 (フロイデンタール研究所) と相談をしながら、院生のマックガーサ、ホッジ、コーティアの各氏がインターネットで探しているが、生徒にとって関心の起きそうなテーマ、あまり単純な配列でないデータ、用いられている単位の理解しやすさなどいくつかの条件が課されているので、データを見つけることはなかなか難しいようである。またデータを考える重要性を生徒に話すために、データに関わる背景知識も必要であり、院生諸氏は図書館で気象やら土壌やらの本を借りてきたりしている。見つけられたデータの候補がミーティングのときなどに提示され、コブ氏を含む他のメンバーとの話し合いの中で選択され、それをまた院生が授業の課題として配布用プリントにアレンジしたり、ミニツール用のデータを作成したりしている (ミニツールについては後で述べる)。

 授業ではスタッフの一人マックレーン氏が教師をつとめている。氏は教職の経験もあり、またこれまでのプロジェクトでも教師役をつとめている。また生徒の考えや理解の状態が不明確な場合にはコブ氏も横から質問をしている。今回の8年生のプロジェクトに参加している生徒は、昨年行われた7年生のプロジェクトにおける参加者のうちの14名からなっており、スタッフと生徒とはすでに顔なじみという感じであった。生徒はもちろん私服であり、アクセサリー、マニキュアありと自由ではあるが、一方では "yeah" と応えたりすると "yes, ma'am"と言い直しをさせられるという面もある。教室はある"algebra"の先生の教室を借りており、壁には数学に関わる掲示物が貼ってある。生徒用の机は椅子と一体になったものであり、ものを書くスペースが少し狭いのではないかという印象も受ける。コンピュータは生徒用のものが8台ほど設置してある。授業の途中でも、そのある"algebra"の先生に用事のある他の生徒が出入りをしたり、また場合によってはプロジェクトの授業に参加している生徒でも出入りをするので、日本人の感覚からすると少し落ち着かない。また授業の終わりの頃にはスクール・バスの予告アナウンスが入るので、最後はいつもなんとなく終わってしまうという印象を受ける。

 記録用のビデオカメラは2台設置され、一台は後方から教師を、もう一台は前方から生徒の様子を捉えている。またホッジ氏は授業中の生徒の様子をメモしており、グループでの活動のときは、メンバーがそれぞれのグループに質問をしたりしながら、生徒の様子を捉えているようである。生徒たちはとにかく手を挙げる。教師や他の生徒が話をしている間も手を上げ続けている生徒も多い。そのため、話し手の内容を理解しよう努めているのか、という点については疑問がないわけではない。またやはり、分からないことがあっても、「自分だけが分からないのかも」と思い、質問せずにいる生徒もいるようである。

 これまでのところ授業は2〜3時間で一つのテーマという流れのようである。最初の8回ほどは昨年のミニツールを用いた2つのデータ・セットの比較が扱われ、この統計の授業で目指されていたこと (データから分かることを人に伝える;その際、データをどのように組織化するとそれが分かるのかに注意を払うといったこと) を想起させることが目指され、その後は2つの変数間の傾向を調べるといった内容に移行した。移行期においてはミニツールは用いられず、グラフ用紙にデータを表現することが行われた。

 ちなみにミニツールとはJAVAでプログラムされたソフトウェアで、汎用の統計ソフトというよりも、授業の目標を具現化したようなソフトになっている。最初のミニツール2では、2組のデータ・セットをグラフにプロットした上で、個数の等しい4つのグループに分けるとか、区間を10等分する線を引き各区間にあるドット数を表示するなどの操作ができる。また後半でのミニツール3はデータを散布図のようにプロットした上で、グリッドと各セル内のドット数を表示させたり、横軸を等分してできた各スライスについて箱グラフのような表示をさせることができるようになっている (回帰直線のような線を引く操作、データを囲む楕円を表示させる操作なども初期の段階ではできたのだが、授業の目標に合わないのかその後削除されていた)。ミニツールはプロジェクタによりスクリーンにも表示され、教師の説明や生徒による議論の際にも用いられる。生徒はすぐに操作に慣れ、授業中のプロジェクタ用のミニツールも、生徒が進んで自分から操作している。

 授業ではまず、データの背景となる文脈 (例えば温暖化についてのCO2の影響) についてマックレーン氏と生徒との間でやり取りがあり、その問題のもつ意義を確認していく。次にデータが配布され、そのデータの意味することなどが話題となる。以上の部分はデータ・クリエーションと呼ばれている。必ずしも生徒自身が集めたデータでなくとも、生徒に関心を持ってもらえるようにするための導入と言える。その後生徒は2〜3人程度のグループに分かれて、ミニツールを使ってデータを分析し、その結果を市の教育委員会への報告などといった形としてまとめる。それらをコブ氏らが検討して適宜選択したものについて、次の時間に発表させ、それについて議論を行う、というのが各トピックでのおおよその流れである。ときには、院生があらかじめ作った報告書を生徒に提示して、そのデータ分析の適切性、問題点などを話し合う授業も採り入れられたりする。機会を捉えては、マックレーン氏やコブ氏が、社会的規範、社会・数学的規範に関わる点 (発言の際は手を挙げる、自分の学習に責任を持つ、方法の説明ではなぜそうしたのか相手に理解するように説明するなど) を注意することも多い。

 授業に関しては、作業の段階では、ミニツールの使い方に生徒の好みがあり、データのいろいろな組織化の仕方を試すというよりも、好みのものをすぐに適用して終わりにしていないか、という疑問が残った。また議論の段階では、生徒の考え方の比較などが十分に行われているのか、そうした比較の中から数学的なアイデアが浮かびあがってきているかという点にも疑問が残った。ただコブ氏によると、それをやろうとは意識しているとのことであったので、この点は日米の認識の違いというよりは、むしろ統計の授業での議論の難しさを示すものであろう。自分でも考えてみると、確かに中学校レベルでの統計の授業では他の内容に比べて、適切な議論を仕組むことやその中から必要な数学的知識を浮き彫りにすることはなかなか難しいように思われる。また議論が紛糾したときに、何を拠り所にして議論を数学的な実りある方向に収束させるのか、なども難しいように思われる。2つのデータ・セットに差があるのかは、検定を使えない中学校レベルでは議論しにくいように思われる。また、散布図に描いたときにそこにどのようなパタンを認めるか、ある点を無視してパタンを考えてよいのかなども議論しにくい。そうした点で、中学生のレベルでデータについて新たな情報を引き出し、議論する材料をなんとか提供しようとするものとして、ミニツールの利用が一つの方向性を示してくれないか、という期待を個人的には持っている。

 各授業の終了後に基本的にミーティングが1時間程行われる。そこでは授業での生徒の様子を互いに報告したり、それらを受けて授業の問題点の検討、次の授業をどう進めるか、あるいは今後のデータとしてどのようなものが必要かなどが話し合われる。また毎週金曜日の11時から定例のミーティングあり、そこではその週の授業全体を視野に入れながら、同様の諸点が話し合われる。2週間に一度コノルド (マサチューセッツ大)、ヤッケル (パーデユー大) 両氏もこのミーティングに出席する。こうした会議の結果として、予定していた教材を止めたり、新たなデータが必要となったりすることも多く、院生の人の仕事が増える結果となっているようである。皆さん昼食持参であり、ミーティングの間に昼食をほうばり、そのまま授業へと直行する。

 これを書いている時点では、2変数間の様子を調べるという内容が2週間ほど終了している。以前の紹介でも書いたように、このプロジェクトでは「分布」というアイデアを大事にしており、さらに2変数の場面においてはその「分布」の見方を通して「共変 (covariation)」の見方が現れることをコブ氏は期待しているようである。しかし生徒の中には個々の点に注意を向け、パタンを考える際に一部の点の特徴に重きを置いて考える人も多いようであり、議論も白熱しながらも収束しにくい場面も出てきている。そのためか、ここ数日は、その日の授業の様子、生徒の理解の様子、それをもとにしての次の授業についてのアイデアをメモしたものが、当日の朝にコブ氏からメンバーに電子メールで送られてきている。そのメモを見ると、生徒の理解の様子に細かい注意を払っていることが分かり、社会的側面の代名詞のようになっているコブ氏が、もとは "counting types" のプロジェクトの人であったことを思い出させてくれる。

 教授実験に参加していて感じたことをいくつか書き記してみる。
 第一は彼らがチームとして動いているという印象である。多様な背景をもった人が参加している。統計教育を専門にする人、指導用の活動を開発する人、教師コミュニティの研究者、テクノロジーに強くプロジェクト用のCD-ROMを作成する人もいる。統計教育を専門とするコノルド氏は、統計データについての情報を提供してくれるとともに、事後インタビューの原案なども作成しているようである。JAVAによるプログラミングはグラフメイヤー氏が仲介役となりオランダの研究者により行われているようであり、そのためソフトウェアのメニューの変更なども柔軟に行える環境にある。TV局に勤めた経験もありビデオデータの管理を一手に引き受ける人もいるが、ビデオの一部を編集しプロモーション用テープを作ることなども担当している。院生のホッジ氏は生徒の授業における同等性や生徒のアイデンティティを調べており、上で述べた授業とは別に生徒個人へのインタビューを続けている。そのため彼女は、個々の生徒が授業をどのように見ているか、授業中の自分や他の生徒をどのように見ているか、などについて情報を持っている。これらの人たちが意見を持ち寄りながら、チームとして動いている感じを受けた。

 第二はインターネットの利用である。上でも述べたように授業で用いられるデータを集める際にもインターネットが活用されているが、メンバー間の連絡が意見のやり取りにも電子メールが用いられている。これによって、なかなか一同には会せない人々によってでもチームを形成することが可能となっている。また先のミニツールについての意見も、メールでオランダの研究者に随時送ることができる。逆にオランダの研究者の修正したミニツールもインターネット経由で入手される。

 第三に外に対してのオープンさである。例えばミーティングの際に、通常のチーム以外の人をゲストとして呼び、その人の意見を求める。あるいは他の用事で来た人に、プロジェクトに関する意見を求める。メンバー間ではなんとなく納得されていることにも外部者は異議を示すので、そうしたことを考え直すきっかけにもなるように思われる。学会などでも彼らは互いに「話しをする」ことに主眼を置いているように見えるが、一つにはここで述べたような外の人との接触を求めてのことなのであろう。

 最後にプロジェクトの授業と、たまたま見た"algebra"の先生の授業との共通点に触れたい。本コーナーでHiebert、Stigler両氏がある論文の中で、日本の教師が授業で取り上げた内容の蓄積のために黒板を用いる、という点を指摘していることを紹介した (こちらを参照) が、まさにこれを目の当たりにした。プロジェクトの授業でも、生徒の発表した考えを教師がホワイトボードに記録していくことを見た記憶がない。また文字式の授業では、式の展開などの説明は教師がOHPシートに書きながら行っているが、説明が終わるとすぐにそれを拭き取ってしまうので残らない。こうした違いの影響も興味ある問題であろう。


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