上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

図画工作科・美術科を授業の中心に据えた学びの成り立ちや支援の在り方の研究

取組実績と課題

4.平成18年度「造形表現カリキュラム開発特論」議事録

平成17年10月24日 共同研究授業の活動案のつくり方について

古田:今日の進め方ですが,まず活動案について考えます。「こんなことできるんじゃないか」「こんなことしてみたいな」というような活動のコアになる部分を話し合っていきたいと思います。私は遊びと造形遊びとの区別がつきにくいと思う。また評価の問題も感じます。では,2グループ(AグループとBグループ)に分かれて考えていきましょう。

□Aグループ

小島:前期の高石先生の授業がとても面白かった。粘土という素材が第1にあること。全く何をするかわからないままやっていた。「素材を与えて」というのがキーワードになるのかな?

四ツ目:今勝手に思うのですが,素材は多ければ多いほど良いというものではないと思う。昨日やった春日小の実践は布だけでした。布と木と針金といろいろあったら興味がいろいろと移ってしまいそうです。

古田:中心になる素材は一つということですか?

藤井:今の意見は授業の本質を捉えていると思う。素材の種類や素材のもつ質は「どこからつくり始めよう」という思考が始まるきっかけだと思う。

古田:授業では,子どもが「先生,どうするの?」と列になって聞きにきてしまう。キーワードは「お空の向こうに何がある」「絵の中に窓があったら別世界」みたいな。「ビー玉の旅」というテーマで遊ばせて想像を広げさせるテクニック。今回は中心の素材さえきまれば何をつくってもオッケー。いわゆる素材とか何かもうちょっと具体的なものを話し合いたいのですけど。何かありますか。

藤井:低学年だから身近なものから見つけていった方がいいと思う。

古田:ペットボトルは結構使いやすい素材なので,学校現場ではよく使います。低学年だと切ったり貼ったりは難しいかな。生活科では,秋に葉っぱで自分の基地を作る活動をする学校もありますよね。

高石:おそらく現場では,教科書に出てくるような「これやればいいのね」という造形遊びのあり方が欲しいのかな。

古田:既成の材料に頼ってしまう。教科書に載っているものは取り組みやすい。教員がやりやすい素材を用意しがち。現場の教員は(造形遊びを)経験していないと理解できない。研究熱心な人ほどマネしたがる。教科書通りやっているほうが,良心的な人なのかな?「これって遊びじゃないの?」って抹殺した形で終わってしまう。個人的には教科書は工夫して作られていると思う。あと,昔に比べて時数が少ない。「時間がないからさっさとやりなさい」じゃ意味がないような。

藤井:素材はいろいろありますよね。例えば新聞紙。素材を使って何をするかの方が問題かな?

古田:子どもが初めて見る素材と見慣れている素材とでは何が違うのかな?

藤井:何かわからないけどやってみるという要素が入っていると面白いと思う。イメージが全くないっていうのは,ちょっと…。「さぁ,やれっ」というのも面白くないし。

高石:やりやすい素材とやりにくい素材。昨日の布を用いた活動は素材として安全だよね。教員師の予想していたこととは違う,教員が試されるようなものの方がいいかな。

古田:私が参加した4年生の出張授業では,手が汚れるのをものともせず,白い紙粘土に絵の具を混ぜて色のついた粘土にしたり,恐竜や何かをつくったりしていた。ケーキなんかも本物みたいですごかった。あの材料けっこう使えるかな。

小島:陶芸の講義の中の器つくりでは,粘土という素材をつぶしたときの面白さなど,予想外の良さがあるのだと思いました。そのとき安心できて,上手につくらなくていいのだと感じました。現場に戻ったら子どもたちにこういうことを味合わせたいな。昨日の布の活動もそうだったのですか?裂いたりして,もともと持っていなかった布の表情とかが出るのかな?

高石:昨日の活動は,こっちの思い通りにいかないこともありました。昨日の活動は,イベントとしてちょっと意図的にしている。ここでやることとは意味がちがうかな。

古田:活動の中で多様に変化していくというか。きれいなビー玉とおはじきでタイルをきれいに並べてつくる子もいれば,立体になる子もいる。平面になる子もいて色を混ぜる。「貝があるから持って来ていい?」とかいろんな材料をうちからもってくる子もいるかな。

藤井:同じことをやりましたよ。小学校の時やったな。面白かったことを思い出しました。僕はビール瓶に紙粘土を貼って,ビー玉をつけていくことをやりました。

高石:何のために造形遊びをやるの?「子どもにとって何のためになるのか?」ということを押さえれば,何でもたたき台になるのでは?

古田:教科書の材料を見直してみるのもいいですよね。

藤井:教師側からの言葉がけから,クラスで一つの作品を作ることになると,それはそれで意味があるけど…。子どもたちに任せるのもいいかな?人間模様みたいなものも出てくるじゃないですか。

□Bグループ

土合:例えばどんな授業を受けてきたとか,普段どんなものをつくってきたのかということから話してみてはどうか。僕たちがやる側みたいな感じで考えていくといいんじゃないかな。

水沢:美術の効果というよりも,学級経営上の担任としての効果もありますよね。大規模校の特徴で同じ学年の子でも名前を知らないことがあるのです。あの子呼ばわりするというか,人間関係が非常に希薄な子どもたちに対してのアプローチがあると良い。

土合:昨日,春日小学校で「布でつなぐ」という造形活動を行ってきました。子どもの人数がものすごく多かったです。昨日は大学生がサポーターとして40人くらい来てくれて,道具の整理や声かけを行ってくれました。会場にたくさんの人が来ていて,全員を把握しようと思っても無理でした。どうやったらお互いに気持ち良くできるかなというのを考えていったらいいと思う。

西村:子供たちにどうしたらいいかという点では縛られることはないかな。そんなに重要なことじゃない。さっき土合くんが言った「今までどういう絵を描いてきた」などはあまり重要ではない。そうすると,こっちがぽんと春日小学校に(活動を)持って行って花火みたいに打ち上げていいのかな?

水沢:子どもたちはいろんな素材に触れた経験がないというか,キットと四つ切り画用紙,色画用紙に代表されるような…。画用紙には慣れるのかもしれないけど。手順を覚えておしまいなど,慣れたことに終わっちゃうと困るし。話は変わるのですけど,粘土だと勝手につくるのですね。「2時間目もやりたい?」と尋ねると「やるやる」と言って。

西村:粘土を使って動物をつくるときと自習になったときの違いとは何だろう。

土合:僕は,捨ててあったものでつくるのが好きです。

松野:わかります。買ったものを使うと解放できない。もったいないし。廃材を使うと好きなものを思いのままにつくれちゃう。

土合:「ものを集める」ということには意味があるかな。

水沢:廃材を使う方がのびのびできる気がしますね。ただ素材としての多様性よりも,「つけたいときにどうするの?」というときの支援をどうするのか。材料が山ほどあるよりも1個でもいい。4年生なんか流木でやるのだけどだいたい上手くくっつけられないのね。そういうときの支援が大切かなと思う。子どもは理不尽なこと言うのですよね。そういう思いが実現できるような支援ができるといいですね。

松野:それって「こうやればくっつくよ」と言っちゃだめなのですか?

松尾:布をつなぐことは思い通りいくと思います。昨日は布を結べない子もいたのですけど,程よい抵抗感だったようです。

西村:あんまり長いと子どもたち飽きちゃうし,短いと「もっとやりたい」となっちゃう。ほどほどの時間があると思う。

水沢:自分の慣れきっちゃっている価値観を打破することが今回のねらい。

西村:前期なら外でやることも可能だけど,雪が降るし,外は寒いからね。雪を使ってやってもいいけど。外でやっちゃいけないことは,全くないし。

土合:広い場所で割と大きいものの方が,展開も大きくなる。

水沢:新聞紙でも粘土でも,身近にあるけどすごいことができるもの…教材屋じゃなくてホームセンターにも置いてあるみたいな。

土合:「造形表現カリキュラム開発持論」では,これまでにどんな材料を使ってきたのですか?

西村:新聞とか。この前は「ゴミは友達」ってシュレッターのごみとか,いらないもので。

水沢:前期の活動で,新聞紙を敷いたら,風が吹いてきて新聞紙が動いた。風とか動くとか光るとかだと低学年でも楽しい。

西村:風と光で遊ぶみたいなこともやったこともあったな。体育館で扇風機を使ったりして遊んだこともあった。

水沢:動くのとかブラックライトを使うと,子どもは喜んで「キャーッ」となるんだよね。お父さんのワイシャツなどを持ってこさせて使えば光る。

土合:簡単に手に入るもので安全なものがいいですよね。

水沢:切ったり貼ったりできるものとか。

松尾:昨日の活動(布をつなぐ活動)を見ているとやっちゃいけないことをやりたがる。高めの脚立に登ってふざける。ぎりぎりのところで喜ぶ。今,自分の子どもがごはん食べながら食べ物で遊ぶのです。遊んでいると怒られる。ぎりぎりのところで楽しんでいる。既成の価値観ということにつながるのかな。それに慣れちゃうと喜ばないというのもありますね。

水沢:何かつくろうとか。でっかい家をつくろうとかとなると目的ができちゃう。そうすると違う。

涌井:前に見た授業で,新聞紙を吊るして,子どもたちは何をするのかなと思ったら,全部破いちゃう。新聞紙のプールみたいになって,そこから活動を始めていた。やってはいけない活動は,子どもにとって楽しい活動なのかな。

西村:何でもいいんだよね。なんで何でもいいかというと「造形遊び」と「遊び」とは,どう違うんだと難しい話になっちゃうけど,そういうこととは違う次元の話なのだと。たまたま土合くんの隣にいたから,たまたまこれができた。土合くんが風邪で休んじゃったら,また違うことが起きちゃう。たまたまガラス瓶を手にとったからこれになっちゃった。最初アヒルをつくろうと思ったけど,うまくいかないから亀になっちゃったってこともあるでしょ。おそらく音楽もそうでしょ。体験していてって,できないこともやっているわけ。そういう活動をするときこそ,生きる力が,もっと応用力のある力として生まれるわけで…そんなこと言っちゃうと何もなくなっちゃうんだけど。ただし前に,造形遊びって何かって話し合いをしたら,ある女子学生が「制約がある」「自分は制約があったほうが活動をしやすい」と言っていた。「何をやってもいい」と言われちゃうと,うんと解放されているようにみえて,本当にそうなのかなと思うときがある。布でつなぐことも,「布をつなぐ」というある意味制約みたいなものがある。

水沢:新聞紙やったときもチャンバラがはじまったってききましたね。基地つくって。ケンカとかじゃないのだけど。

土合:昨日も秘密基地つくっていた子がいましたね。蚊帳みたいにしていって。またつなげていって,どんどん繭みたいになっていく。そして,布を繭につけて部屋をつくるみたいなことが起こった。

西村:新聞紙でやったとき,放っておくと結局何かつくる。新聞紙をつなぐことは,めちゃくちゃおもしろかった。4つのクラスでやって,少しずつ違う。同じ材料使って同じことをしているのだけど。指導する先生の微妙な働きかけで違う。全く違うってわけでもない。

涌井:ところで,子どもたちは雪国で育っているので,休み時間のたびに外で遊ぶのですよね。最初,雪だるまからはじまるのですが,そのうち迷路みたいなのをつくったり,いろいろやって…一人でできなくなると,友達を呼んで一緒にやったりしていた。

□2グループ一緒になる

西村:春日小にこちらで,ぽっとできたものを持って行くのはやりたくないということ。今いる春日小の子はどんなことをしてきたかを知ることも大事じゃないか。