上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

図画工作科・美術科を授業の中心に据えた学びの成り立ちや支援の在り方の研究

取組実績と課題

4.平成18年度「造形表現カリキュラム開発特論」議事録

平成17年11月14日 ものをつくることの捉え方について

涌井:素材に頼るんじゃなくて素材とどう出会わせたいかを話し合っている。子どもたちに委ねていくとその中に人間模様みたいなものもでてくる。

古田:教科書の教材の中に,ロボットを描いてお空に絵がふわふわするようなものがある。それ,造形遊びの扱いになっている。造形作品をつくった後にそれで遊ぶなどが,私の造形遊びに対するイメージなのですよね。生活科の単元でドングリに穴をあけて何かつくろうなんて活動は,かなり造形遊びといえる。

芝原:秋にはこんな葉っぱがあって,それを使って何かしようというのも入るのですか?

高石:子どもにとってのどんぐり,理科的な視点から見たどんぐり,そういうことを考えると良いのではないか。

古田:ドングリの穴開け器,その道具が生活科の備品なのか,図工の備品なのか。器具があったほうがいいのか,そこまで考える。

水沢:今まで遊んできた子どもの遊び文化があると思う。地域社会のひずみというか,子ども同士の遊びなど,昔のガキ大将の遊びがなくなっている。

古田:俺,魚取りとかしたよ。

水沢:子どもの中でルールをつくっていくとか。

涌井:前,生活科でザリガニとか捕まえに行ったのですけど,楽しくて放課後も子どもたちだけで勝手にとりに行くようになっちゃった。

藤井:私は小学校の頃,落とし穴を作って遊んだ。今の子はゲームも流行ってきたので,与えられたものの中で遊んでいるのではないか。危険なことをイメージする機会が,ないのかもしれないと思います。

水沢:幼稚園の子はのびのびと絵描きますよね。小学生になると,どんどん硬くなっていく。

藤井:小さな子たちはテレビの工作番組などを見て,勝手にやりますよね。学校ではそういう場も設定してあげないとできない。

高石:場を設定しているということ自体おかしい。1年生から6年生に向かっていくまでに絵がつまんなくなるけど。どうなんですかね?

涌井:高学年の子たちに「文化祭の絵」だよというと,子どもは人に見られても上手だと思われる絵を描きたいと思って,なかなか描こうとしない。

高石:大人文化というものがすりこまれて…。

涌井:1年から5年生までに大人が見る絵を描いているから…。1年生だと友達とケンカしちゃったからと言って黒く塗っちゃったりしちゃう。

水沢:教師が変ってしまう時期もある。「さあ,描きなさい」と言われても,困ってしまう。技術とのびのびとのバランスが悩みますね。

高石:造形遊びは面白いというだけなら学校でやる意味があるのか。何か学びがあるから学校でやるのではないか。面白いだけなら学校でやらなくても…。

松野:造形遊びって学びが立ち上がるっていうじゃないですか。

小林:個々それぞれ自分がそこで「何を学んだか?」という自覚はないのでは?つくったもので遊ぶ子ども同士,間の関係,そこに学びが立ち上がってくる。見せ合って「いいね,いいね」と言いあう。つくる行為だけじゃなく。人からどう見られたからこう作り変えるとか。

井出:技術とは,より簡潔だったりきれいに見えたりすること。のびのびというのは,ある意味,集約や答えがないというか応用力が個々に広がっていく。のびのびと技術とをどう組み合わせるかということではないかな。

松尾:のびのびと技術。のびのびしている絵。のびのびした絵がいいなと思うのはどうしてなんだろう?

高石:一般社会における「美術」と芸術における「美術」といったものって同じではないと思うんですよね。ちょっとこれは危ないんじゃないかと思うよね。のびのびと技術は別もの。僕が,陶芸の授業でろくろをやるというとびっくりされる。からみ方を変えようと思っているのですけど。

四ツ目:今まで,大学4年間で技術的なことをやってきました。技術とのびのびとが,どういうふうに人とかかわるかが大切なキーワード。でも一方で,なかなか友達ができない人がいるじゃないですか。人とかかわるきっかけがある,そういう場のある授業がつくれたらいいと思います。

小島:春にお寺の住職さんと2時間くらい話しました。今はね,帰ればファミコン。昔の子って遊びが豊かっていうか。今の子は何でもあるけど,結果的に遊びが狭い。

西村:技術といったら,それしか見えなくなっちゃうのかな?考えてみると,例えばおしべとめしべの関係がわからなければ,科学的な知識を学んだことにはならないのかもしれない。しかし,工夫しながら見つけていく力にならないというか…。理科や数学の法則は暗記しないと自然を探究することができない。でもそんなことはないのですよ。オープンエンドが戦後話題になり,興味が持たれていると思うのですが…。1たす1,答えがいろいろ出てくる。私,間違っているかもしれないですが,数学は抽象的なプロセスや手がかりがないとできないというのは変というか。一律のはずはないんだよ。火に触ると熱いというのを覚えたりする。逆に言うと,マイナスなものを埋めてくれるもの…。大学の講義での図画工作のオリエンテーションで「嫌いな人います」と尋ねた時,8割ぐらいの人が手をあげるんですよね。授業後,どうでしたかと聞くと「有意義だった」と答える。2割ぐらいは,教育とは別の次元のこと,生理的なものだと感じる。「他の人に言われることを気にしてやっちゃっていた」と…。みんなが「学ばなきゃいけない美術とは?」ふと昨日思いました。この道30年たってもまだ考えているのだけど,技術って?・・・木工だから正確な箱をつくるということはあまり重要じゃない。