上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

図画工作科・美術科を授業の中心に据えた学びの成り立ちや支援の在り方の研究

取組実績と課題

4.平成18年度「造形表現カリキュラム開発特論」議事録

平成17年11月14日 新聞紙を用いたワークショップの実施

□新聞紙を用いたワークショップを行った後,その活動を振り返りながら討論

小島:自分でなんとか新聞紙だけで高さを出そうと思って,一生懸命やっていたら,他の人もつなげてくれたのが嬉しかったです。

藤井:最初T字路みたいにして「きっとこうやれば誰かが両方に広げてくれるだろう」と予想してやったんですけれども,途中からは「自分がやったものにはつなげたくない」という風な気持ちが出てきて,後は「どうやってくれるのかな」と楽しんでやっていました。

松野:最初脇目もふらず,自分の世界に入って人と違うことをやってやろうと思っていたんですが,やっているうちに自分の作ったものに反応が返ってくると,嬉しくなりました。あとは,自分が気付かなかったことがあって,すごく発見になりました。

井出:「つなげ方を変えたい」「同じようにつなげたくない」そのうちに「つなげなくてもいいんじゃないか」という感じになってきて…,「自分の世界に入って作ったものを,とりあえずどっかに置いてみようか」という風に変わってきました。

小坂(春日小学校研究協力者):私は「とても頭が固いんだな」という風に思いました。ただ「行為をつなぐ」という意味で考えた時,私達の班は途中から順番が無くなって…。前の人が作ったものの意図を組んで作っていく流れで「ああ,すごいね」とか,そんな意味で順番通りに行った方が,子どもたちにとって何かを作るという具体的な目標ができて良いのではないかと思う。最後の方で「言葉を話しても良いよ」という風に,おっしゃっていましたが,長い時間子どもたちには無理かもしれないのですが,どうせでしたら喋らないで作って最後に「何ができたのかな?」というようにしたら面白いのかなと思いました。

芝原:最初は「こういうのを作りたいな」「丸いのを作りたいな」など考えていたんですが,うまく作れず「あっ,これ失敗した。」って思ったんですけど…。よくよく考えると「あっこの形でもこうやればうまくつなげられるのかな」と…失敗しても失敗じゃなくて,また違うものが作れて。いろんな作品を見ていると,それに「私も参加したいな」「つなげてみたいな」という思いがすごく出てきました。                                

四ツ目:ただ楽しめたと思います。最初,椅子を組まれたのですごくビックリして。「あぁ,そっか」と。土台があって,それに載せていって「木みたいになるのかな?」と想像していたのですが,いざやってみると全然違う感じで上に行ったり,横に行ったり,途中で新聞紙じゃなくてセロハンテープを長くしてロッカーの所に,ペタッとくっつけたりしていた。そこら辺から思考が止まりました。「あぁ,もう自由なのかな」とすごく思ってしまって…。途中で他のグループとつながりだしてきて,その辺から意識が戻ってきました。「あぁ,つながった」みたいな感じで。

古田:一番だったので責任重大だと思った。でかい作品を作りたいと思ったので「立ち上げる入り口を,最初に作れば皆さんが勝手に何か発揮できるだろう」という…教師根性を出してしまいました。四ツ目さんと同じで,途中から考えが吹き飛んで。もっとこうしたい,人がほわほわとしたのを作っていれば,とがったものを作りたくなるし,人がぶら下げていれば,今度は地面に置きたくなるし,全体を見ながら,そういう部品を作りたくなりました。「意味っていうのがなかなか難しいな」と思ったのですが,意味って何だろ?心の中のある種の律動性とか,快感とか,「こっちに広げたいな」とかの意思などが意味なのかなと思います。「意味って何かな」ということが意外と迷いだしました。

涌井:私は最初,順番が決まっていた時,「みんながどんな風にやっていくのかな?」というのがすごく気になって,どういう風に自分がつなげていったらいいのかを,すごく考えながらやっていました。だんだん広がって,順番がいい加減になってきたら,自分のスペースができて,一人の世界に入ってあまり考えないで自分のやりたいようにどんどんやっていけました。やっていながら周りを見る中で,「あれは自分でやってみたいな」とか,「あれは嫌だな」とか,両方の気持ちがあることを考えながらやりました。

水澤:最初,順番でやってた時には,やっぱり「周りの人の後につなげなきゃ」という気持ちがどうしてもしてたんですが,途中から自分の好きなことをやりました。好きなことをやり出して,ふっと思ったことは,自分の世界ばかりではなくて,周りを気にして,「あ,俺もやりたい」と思って。競争とかいう意味じゃないんだけど,「真似してみたいな」ってこともあって。自分の舞台を,自分のやりたいことをやりつつ,いろんな人をちらっちらっと見ながら,つなげてもらって,要は何というか,「自分のやりたいことがやれた」という感じはしました。

浅井(春日小学校研究協力者):最初,袋のようなものをつくったら,後で足をつけていただいて「あっ これはクラゲだ」と思って。「行為をつなぐとはこういうことなのかな」とそこで思いました。やっていくうちに,自分の中にあるアイディアがどんどん無くなっていって,「次どうしようかな」と思った時に,ぱっと周りを見ると,周りの方々がいろいろなことをしているのに気付きました。子どもたちも教室の中で,いろいろな友達の作品を見ながら,その中にいながら自分のオリジナリティを出して,作品を作っているのかなと思う。

土合:僕はクラゲの足担当でした。順番にしている時は,前の人の作品を見て,「自分はどうしようかな」と考えたのですけど,このクラゲみたいなのを思いついた時に,「こうしよう」ってことを伝えて,「いいねぇ」みたいな感じで返ってきて…。それから前の人の行為という感覚が無くなって「クラゲ,クラゲ」みたいになった。いっぱいつくっているうちに,クラゲの場所に行ってみると,海みたいなところに,クラゲがいっぱいいるみたいな。クラゲに囲まれているみたいな,そういう感じがして。                                 

松尾:やっぱり皆さんが言っているように,最初,前の人のものにどうつなげようかなと思っているのが,ふとした時に全体が一体に見え始める時があって,「あぁ,この瞬間が気持ちいいな」と思いました。やっている時は,あんまり意味を考えていなかったんですけど,その辺に意味があるのかなと,今思いました。

西村:今回,ずっと見ていた人間にとってどう見えたかというと,子どもたちなら,まず最初に,さすがに高いところから始めようとはしないじゃないですか。そのうち出てくるんだけども,そこはやっぱり大人が始めると,そういうことになるのだなと。どこか「形を作ってみよう」みたいなのが結構見えたりするんだけど,それでいいんじゃないかと僕は思いました。後は,見ながらやりたいなとも思ったし,みんなもやっていて抵抗がなかったんじゃないかな?「自分は固い」と思った方もいましたが,嫌な感じはしないんじゃないかと。つまり,例えば自分のやったところは,つながっていくと分からなくなる。上手い下手から解放された感じになったんじゃないかな。でもそこからまた,どっかで自分のものが作りたくなって,急にクラゲが見えてきたり,また別なものが見えてきたりするんだと思うんですよね。そういうことに大きな意味があるのかな。ぱっと見て,気になるものにつなげてみたくなったり,つながっていくと,これまで見てたのを一歩引いて見たりして見る。そうやっていくことで大きな波のように押し寄せては引いていく波のように,繰り返し繰り返しの中で言葉にはしにくいかもしれないけど,意味のようなものができているのではないかと感じました。