上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

図画工作科・美術科を授業の中心に据えた学びの成り立ちや支援の在り方の研究

取組実績と課題

4.平成18年度「造形表現カリキュラム開発特論」議事録

平成18年12月12日 共同研究授業の協議会(春日小学校にて)

□春日小での「トンギコ トンギコ楽しい時間」活動後,協議会

高石:本授業が文部科学省からの教員養成GPという研究にかかわって昨年度から今年度と展開しています。春日小学校にご協力いただいて今日もなんとか無事に実践を終えました。これから大事な話し合いになります。よろしくお願い致します。

飯田:最初に指導案とこの学習の意図について指導案係から。

天野:指導案をご覧頂きたいと思います。「学習の意図と可能性」のところの記述が多くなっています。なるべく「造形遊びという授業の意味や価値を言葉で説明できるように」というのを大切にしたいからです。非常に言葉にするのは難しいですし,言葉のずれもありますが…意図が前面に出てしまわないところが造形遊びの大切なところです。

飯田:本時の授業者から感想と反省をお願いします。

柳澤:本日はありがとうございました。導入の部分を僕が担当したのですが,あまりにも緊張し過ぎ,事前に授業の流れを考えてきたのですが,その流れのようには全くいきませんでした。1つ1つの自分の発話が細切れになり,つながりを持てなかったことが,非常に大きな反省点です。具体的には,ブルーシートを子どもたちの目の前で広げさせる時,言葉が出ず止まってしまったなぁと思います。流れに沿っていかなかったのですが,ブルーシートを取った時,子どもたちが材料を見て「わぁー」と勢い良く木っ端の近くにまで走って行きました。子どもは子どもなりに素材に対してイメージを膨らませていたのだと思いました。実際の活動では,見ていたお子さんは,細長い板に重ねて釘を打とうとしていました。でも,細いので安定性が悪い。そこで僕が分厚い木を近くに置きました。それを使って安定性を良くして釘を打って欲しいと言う願いで置いたのですが,子どもは厚い木を上手く使って打っていたので良かったなと。あと,安定性の悪い板を打つ時,近くの友達同士で協力して板を持っていたところも見えました。

日永:授業者として思ったことは,授業を進めながら子どもたち一人ひとりの作っていく姿とか,作りながら意味の変わっていく姿を見取っていくことは,すごく難しいなぁと実感できて…。今までは観察者として1人の子をしっかり追うことで,見えてきてはいたんですけど。担任としてやるときは,1人で見取っていくことは大変だなぁと思いました。授業の流れでは,最後の区切りがちょっと甘かったかなぁ。もうちょっとしっかり「これで終わり」と言って指示できなかったのが反省点だと感じました。

飯田:柳澤くんは授業をすることは初めてでしたが,声もよく出て伝わっていた。日永くんはノコギリやカナヅチの使い方の指示が分かり易くて良かったと思います。協議会では,子どもたちの具体的な姿から話が膨らんでいくと良いと感じます。去年もそうだったと思いますが,言葉のやりとりだけで語ってしまいがちです。最初ビデオを観て「子どもがこんなふうに学んでいたのではないか」を自分たちなりに話していきます。提案というか,試みとしてやっていきたいと思います。

□授業の様子を映像で確認しながら協議

天野:1番前に座っているAくんを観察しました。最初Aくんはどういう出会いをしたかというと,つるつるの手触りの良いものを取って,「つるつるだぁ」と友達に話しかけ,同じ種類の珍しいきれいなものを集めていました。それを「伝説」と言って「伝説を探す」という感じで集めていました。途中別の素材も触るんですが,その伝説のものと最終的には1つにはなりません。別々のものを2つ作ったということになります。彼は匂いにはこだわりませんでした。手触りに最初から最後までこだわっていました。活動中,個々に自分の作品に集中していました。3人仲良く並んではいるんですが,共同の場面はほとんど生まれませんでした。ワークシートを書くときにも「俺たち何喋ってたっけ?」っていう感じでした。そして,最後のワークシートを書く段階で共同の場面が生まれてきました。

岩垣:3人並んでいた奥のAさんが作品を2つ作っていた時点では,友達に「これ何?」と聞かれても「さあ?」と本人が何を作っているのか認識していなくて…。とりあえずAさんは釘を打つという行為に執着てしいました。作品より釘1本に考えを持っています。最初「伝説をたくさん集めて何を作るかな」と話していた。隣のBさんと「家を作る」と言っていたのにできたのは家ではなかった。最初に作ろうと思っていたものが最終的に違うものになっていくのが造形遊び的なのかなぁと思います。作品よりは行為に執着していたと思います。それで2人の中で「家というものができなかったね」という関係が成り立ったなと思います。あとで「持って帰りたいですか?」という質問の時,手を挙げなかった。授業の最後,「欲しいの持って帰っていいよ」と授業者から提案があり,愛着が湧いたのか分かりませんが,「じゃ俺これくっつける」とまた伝説集めを始めた。持って帰りたいと思わなかったけれど,反省を書いたり周りの子とかかわったりする間に,彼の中で作品に対しての思いが変わったのかなと思います。授業の最後5分間くらいで彼の中で作品に対しての想いや,1時間の活動の意味が変わってきたことがうかがえました。

天野:ワークシートを書く前,作った2つが何であるかを彼の中では分かっていなかった。隣の子に説明する過程で「これは顔に見える」「ワニに見える」などと考えていたようです。釘を打つことそのものに意味を見出していた。左利きなんですが,左に持ったり,右に持ったり,大きく叩いたり,小さく叩いたりしていた。「もう少し時間があったらどうしていたか?」という質問にも,「もう少し釘を打っていたかった」と書いていた。

四ツ目:私と土合さんが見ていたCさんという女の子は,活動中ほぼ1人であまり他の人と話すこともなくやっていました。2,3回近所の人と話をする場面が印象的でした。細い木を同じ長さに切ろうとしていたところ,隣のDさんが見ていて「手伝おうか」という話をするわけでもないが,DさんがCさんのやりたいことに気づいていて手伝っていたことが印象に残った。また,掃除の時間になったけれどほうきがなくて「どうしようかなぁ」と掃除の様子を見ながら木っ端を拾っていて…。掃除が大体終わってきてアンケートを書く時,Cさんは「点数をつけるとしたら何点ですか?」という質問に95点と書いていた。理由としては「もう少しやりたかった」と書いていた。「次にやりたいことは何ですか?」という質問には,「立てて」と書いてからペンが進まなくて…。自分で作っているものを見ながら,掃除のときに集めた木っ端を組み合わせたり,重ねたりしながら「次どうしようかな?」と考えている様子でした。「立てて」のあとに書いたのは「人の形にしたかった」と書いた。この場面は,活動案の最初にある「学習の意図と可能性」のところで,表現活動で子どもたちによって「もの(木っ端)」から「こと」へとさまざま過程が生まれてくることが,まさにこういう場面なのかなと思いました。私は,Cさんが船とか乗り物を作っているのかなぁと思ったのですが。最終的に人をつくりたかったことをわかった時,作ることで始まる可能性を初めて知ったなぁと感じます。

野澤:「もう終わりだよ」と言われて「どうしよう?」と思っているところですが…。Eくんは持っている作品を捨てちゃうんですよ。そしたら一緒に作っていたFくんが,「なんで作ったの捨てちゃうんだよ」って。そしたら黙ってその作品を放さなくなって…。Fくんが「俺なんて何もできていないんだぞ」とぼそっと言った。そこでEくんは自分が作ったものの良さをFくんから教えてもらった。Eくんの中で作品に新しい意味ができたのかなと思いました。一緒に活動していたGくんに飛行機を持って行って「それ回るんだよ」って作品について話しているうちに壊れてしまったが,壊れたままの飛行機を持ち帰った。「どんなものを作りましたか?」という質問には「おんぼろ飛行機」と書いていた。壊れちゃったけど,自分の中では飛行機が作れたことが嬉しかったのかな。Fくんの一言で彼は作品に対する想いを大きく変えた。また,彼はやり方を工夫していました。ノコギリで切ることを最初はできなくて諦めそうになっていたところ,バキッと折れた。それから切ったら折る,切ったら折る,切れ目が入った木しか使わない。細い木しか使わない。自分ができる範囲のものを見つけていました。色々な作り方があるんだなぁとEくんの活動を見て感じました。友達とのやりとりで作品の意味が変わることについて,これが活動案の「仲間からの思いや感想をうけて,自分の作品の新たな意味を見出し,価値付けを深める」に当てはまると思いました。

飯田:僕も同じ子を見ていたのですが。やんちゃな感じのお子さんで,やりたいことはあるんだけれど悩んで悩んで時間が過ぎてしまった。でもその悩むというのも一生懸命考えているので,すごく大事な時間だと思います。最終的には飛行機にしたかったことが分かって,学びはちゃんと成立していたと思いました。これからの協議では,質疑応答の形で意見を出し合いながら話し合えたらなと思います。子どもの学習状況について,こんな姿があったよとか,こんなふうになった方がいいとか素直にやるのが大事かなと思います。

野澤(春日小学校研究協力者):Eくんは図工に自信のない子,作っていても「こんなもん」と思っていただろう。「俺なんて何も出来ていないんだぞ。」と言われて初めて自分の作品を認められたようです。そこに感謝します。

岩垣:ほうきのない子はブラブラ作品を見ながら飛行機をものほしそうに見ていた。プロペラのまわるところをすごく見ていて,「人が乗れるとかトランシーバーだ」とかの2人の会話に入りたがっていました。

天野:Aさんは「家」って言っていたのに,家じゃないようにつくっていた。これがよかった。3人とのかかわりも良かった。最後のワークシートに名前をつけたが,つけなくてよかったのではないか。何か名前にならない何かを作ったような気がする。Aさんは,「飛び込み台のようなもの」とワークシートで書いている。言葉にならないものが出来上がったのではないか。そういう意味で,こちらが名前を与えようとしすぎたら存在が小さくなったかも。

飯田:今のように改善に繋がる話でも良いと思う。

高石:Gくんは釘を抜くやり方を考えていた。抜けた時にいい顔していた。鉛筆を持っていない子が木で印をつけるのが印象的でした。

松本:あまりノコギリに慣れていない子が,段々と切り方が上手になる。釘の抜き方のわからない子がGくんのお陰で釘を抜くようになる。教えてしまえばいいことだが,自分なりに確かめて作り出している。

松尾:曲がった釘は打ちにくいことを自分なりに発見している様子が印象的でした。

野澤(春日小学校研究協力者):「今度いつやるの?」「えーっ」という反応がありました。あと一時間続けてもまたやりたい子が出てくる。続きはどうしたらいいものか?

西村:今回の材料は時間がかかる。造形遊びは1時間でやりきるものではない。しかし,何週間にわたってやる授業でもない。その場でやっているその日のその行為を重視するのが造形遊びだと感じる。

春日小教頭:お疲れ様でした。自由な制約のない授業で,普段にない姿が見られた。時間の制約も今後の課題と感じます。