上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

図画工作科・美術科を授業の中心に据えた学びの成り立ちや支援の在り方の研究

取組実績と課題

4.平成18年度「造形表現カリキュラム開発特論」議事録

平成18年12月18日 共同研究授業の振り返り(上越教育大学にて)

高石:一人ずつ春日小での活動の感想を話してください。

飯田:改めて子どもそれぞれが学んだ様子を見とれたと感じる。木は手ごわいと思った。苦労していたのですが,皆それぞれ自分の作品を持って帰って,自分の宝物になったところが造形遊び。自分で考えて作ったものが大事なものになる。単なる作品とは違うことが分かった。でも協議会の雰囲気でも分かるとおり,「それだけではすまないよね」と真ん中の先生が話された。僕もやっぱり同じような感覚になる。

野澤:私が見ていた子は,あまり大きなものを作らず,1人で作っていた。1人で作る中にも色々苦労したり,友達から影響されていたりした様子をうかがうことができて嬉しかったです。人それぞれ作り方があり,子どもなりに木に向き合っていたことが実感できました。

日永:造形遊びが現場で分かってもらえないのは,教員は授業をしながら,子どもたちの様子を見ることは難しいからではないかと思った。

高石:授業をしながらだと,時間的余裕がないから子どもたちの様子を見ることができないのかな?

日永:皆が発表してくれたような子どもたちの姿に気づかなかった。

高石:野澤先生(春日小学校研究協力者)が参観して発見したことは,野澤先生の授業じゃなかったから発見できたのだと思う。

天野:造形遊びの楽しさを理解してもらうには,美術の先生も言葉を持たないといけない。自分が授業の準備をする立場で当日の準備をやってみて,クラス(講義の受講者)がまとまっていくのは当然だと思った。何かしようと思ったら協力しなくてはならない。岩垣君と協力しながら一人の子を追いかけながら進めていった。2人で協力して作っていく形が良かった。授業者の2人が良かった。(言葉が)つまったときに,皆の「大丈夫か?」っていう雰囲気がすごく良かった。一体だな。始め,子どもたちもザワザワしていたが,日永君がノコギリの説明を始めてから,いっせいに沈黙した。動作を加えるとより一層沈黙した。子どもたちのやりたい気持ちが伝わってきた。協議会で映像を使ったことがよかった。春日小の先生と同じ土俵にいる時間が長かった。松本先生が「指導案に逃げ込む」という表現をされたが,そういうことにならなくてすんだ。

柳沢:子どもたちの前で授業をしたのは,生まれて初めてだった。導入でつっかえ,何回か沈黙になりどうしようかと思った。緊張した。授業者として,まんべんなく子どもとかかわろうとした。映像を見て,改めて「こんなことが起こったのか!」と思えて良かった。授業する先生の見ることができない姿を見ることができて良かった。

西村:「先生大丈夫?」よりも,「先生頑張れ!」という感じだった。小学生はすごい。「先生は緊張していて,あの先生はまだ,本当の先生じゃない」ということを,子どもは全部分かっている。子どもと一体感がつくれた。協議会で野澤先生がいてよかった。あの場を共有することができてよかった。あの場面の子どもたちが楽しそうなシーンを見たら納得してもらえると思った。しかし,学校の先生は,子どもが机に座ってないと不安になる。私が超えられないところを,野澤先生は,担任というところから超えられた。ビデオの分析を使ってよかった。

松本:子どもたちが学習活動を作った私たちの思いに出会って自分の世界を作ろうとした。野澤先生との共通の接点ができてよかった。子どもの学ぶ現実を重視することが一番大事。可能性の片鱗が見えてよかった。

土合:去年に比べて良かった。担任の先生からあの子にとってこの出来事に意味があったと聞けてよかった。その後の様子も聞きたい。

松尾:釘を打つ活動は単純なんだけど面白い。改めて釘を打つことはすごいことだと思った。

四ツ目:授業を見て,去年とは全然違うと思った。相互行為はとても意味のあることだと思っていたが,今回の授業では,まずは個人が大切だと感じた。誰かと作ることも大切だけど,まずは個人のことが重要だと思った。

高石:野澤先生が普通より小さな声で話し出すと子どもたちがシーンっと聞いている様子が印象的だった。

□トランスクリプトの作成方法について

松本:デジカメ記録,ビデオ記録の両方の形で何を見なければいけないか。実際の子どもたち一人一人にとって,どんな風な現実だったかをしっかり捉える。どんな風に自分自身の行為とかかわり,どんな風に変わっていたか?どんな風なつながりだったか?が重要。「考え」「思い」「感覚」「イメージ」ということ。友達と共同して生まれるもの。自分がやっていることについて,友達が捉えてくれる。自分が生きている世界を他人が捉えてくれる。他人がやっていることを,自分が捉えて変わる。2人が一緒に何かを作り,参加するあり方は一人一人違う。何が起こったかは,作業を終えたあとの子どもたちの様子で表れる。ただの木っ端ではない。子どもたち自身は,この活動に入る前の自分ではない。友達の関係も変わった。それらを見て欲しい。

西村:大学にとって生きた研究が出来ているので感謝している。考えていることを実践できてありがたい。協議会の中で(春日小の)先生の言葉から造形遊びの意味や大切さが出て良かった。授業に鑑賞の時間をどのように組み込むかが課題。持ち帰りと片付けがあったが,友達や自分の作品に目を向ける活動が,もう少し必要だったなと思う。慣れない道具を使ったが,怪我が心配だった。しかし,子ども自身が怪我をしないようにやっていた。同じ授業は再現できない。このように(大学と現場が)大きくかかわると学習が見える。共有する場を持つことで見えることが共同研究。自信を持つことができた子どもが36分の1でもいれば良い授業。年に2,3回しか出来ないかもしれないが,必要だと感じる。そういう場が体験できた授業だった。