Understanding Mathematical Literacy:
The Constribution of Research

by Jeremy Kilpatrick
(Educational Studies in Mathematics, 47 (1), 101-116. 2001年)


 この論文は、2001年に米国で出された報告書Adding It Up: Helping Children Learn Mathematicsの編集責任者であるKilpatrick氏が、米国のいわゆる「数学戦争」を例としながら、論争において果たしうる研究の役割と、研究を総合することが数学的リテラシーという目標を理解することにどのように貢献するか、について検討しようとしたものである。

 氏はまず、NCTMのスタンダードに代表される学校数学の改革と、それを「あいまいな数学(Fuzzy Math)」と呼んで批判し、保守的なカリキュラムに戻そうとする動きとの間の、90年代における論争を簡単に紹介している(こうした動きの一端は苅谷剛彦「教育改革の幻想」ちくま新書のpp. 163-172に見ることができる)。その中でそれぞれの立場を支持するための証拠が必要となったり、誰を信じてよいかわからず混乱する保護者のためにもそうした証拠が必要となった様子を描き、結果的に、全米科学財団(NSF)と米国教育省が1998年に全米科学アカデミーに調査を依頼した経緯を述べている。アカデミー内の全米研究協議会(National Research Council; NRC)に、「幼児から8年生までの数学学習についての研究を総合し、学校教育の早い段階における最良の実践のための提言をする」ことを目的とする、数学学習研究委員会が作られた。その際、研究が必要とされる領域を特定することに加え、成功的な数学学習の意味するもの、学習を続けるための基礎として重要な領域、証拠や性質や研究の役割についても記述することが求められたとされる。委員は16名であり、教師、数理科学者、認知心理学者、ビジネス関係者、数学教育研究者からなっていた。彼らの作った原稿は、類似のメンバーからなる15名の人々により査読され、その意見に基づき修正が行われた。

 全ての内容を扱うことが不可能との判断から、数の領域に焦点が絞られる。これは学校数学の中心的な内容であることに加え、論争においても中心的であること、研究が最もよく行われていること、文字式をはじめ他の領域に関わっていることなどによる。なお氏の述べているように、最終的な報告書では「測定と幾何学」「統計と確率」の簡単な節が加えられている。

 成功的な学習の規定に関しては、数学的リテラシーを含む様々な考えが検討され、最終的には数学的熟達 (Mathematical Proficiency) が用いられた。これが全ての生徒の目標となり、指導における熟達を決めることにもなり、また研究を組織化するのにも用いられた。数学的熟達は互いに絡み合う次のような5つの要素からなる(Adding It Upではまさに5本の紐が編まれて太い縄になった図が添えられている)

そして先の報告書で提唱されたこととして次の点に触れている:指導も学習もどれかの要素に偏ることなく、5つの要素全てが統合されバランスよく発達するよう導かれるべきこと;そのために教師の質が高いことが必要であり、学校はそれが可能となるよう支援をしていくこと;カリキュラム、教材、評価、指導、研修、学校組織といった全てが数学的熟達の発達に向けられること;指導は科学的証拠から情報を受け、またその効果は系統的に評価されるべきこと;数学的熟達の本性、発達、評価について研究が行われるべきこと。

 論文の後半では、報告書を作る中で多くの研究を参照した経験に基づいて、いくつかの見解が述べられている。まず研究の選択であるが、これまでの類似の試みでは研究の基準を厳しくすぎて、かえって多くの研究が無視されてきた経緯をふまえ、Adding It Upの作成においては、より緩やかな選択を行い、以下のような基準を採用している。

またある話題に関して集められた研究については、収束的であること、つまり様々なグループを用い、異なる方法でデータが集められながら、それらに渡って成り立つような知見があり、理論的なネットワークの中にうまく一付くようなものであることが求められた。ただし数学教育においてそのまま収束的であることは希であり、場合によっては解釈や判断を適宜せざるを得なかったと、Kilpatrick氏は述べている(p. 109)。

 こうした集められた研究のうち、4つの話題に関して概要が説明されている。自然数とその演算に関わる研究は十分にあり、しかも同じ方向性を示していた。電卓の使用については、使用の是非に関わるものが多く、どのタイミングでどのように用いるかを示す研究は少なかった。共同学習については、その規定の曖昧さのため、研究を総合して得られたものにも疑問が残るとしている。最後に、スタンダードに基づく改革に関わる教材については、教材を紹介したものは多いが、その効果を調べた研究は少ないと述べられている。この作業の中で、「どのような研究が有用な証拠を与えてくれるか」という問題が深刻化し、その検討が2000年10月に開始されたとされている。ここでは教育研究の科学的な質を考えるとともに、その累積性についても考える必要があると氏は述べている。

 とはいえ、氏が「羅生門効果」と述べるように、教育の研究については同じ知見を見ても、そこからどのような教育的示唆あるいは改善の示唆を出してくるかは、必ずしも一意的には決まらない。報告書を作る過程でも、対立する見解が出されることがあった。その際有効であったこととして、個人ではなく委員会としての見解を出すために、互いの解釈を互いに吟味したこと、また外部の査読者の批判に耐えるものであるものにし、さらに彼らからの修正意見も考慮するといった流れをあげている。氏はこの流れが、学校数学についての論争という難しい領域で意見をすりあわせるための、価値あるモデルを与えると述べている。この意味において、報告書を作る作業は、「学校数学についてのいくつもの極端な立場という岩と渦巻きの間で、研究の総合についての舵を取ることが可能だということ」(p. 113) を示しているのである。

   Kilpatrick氏のこの論文は、2001年7月にイタリアで開催された数学教育の会議において、氏が行った講演がもとになっているとのことである。ここに見られる、数学的熟達というアイデアは(良くも悪くも)数学を学ぶ際の多様な側面に注意が払われており、私たちが数学の学習を考える際の基本的枠組みとしても有用であろう。と同時に、膨大な数の研究を真摯に参照しながら、そこから得られる確かな知見をもとにして数学教育を改善しようとする姿勢にも、私たちは学ぶべき点があるように思われる。 


関連記事・・・[手遅れになる前に][未完のビジネス]・[現代を生きるための数学]・[学校教育の3つの目標]・[米国カリキュラム改革]・[カリフォルニア州スタンダード]・[学校数学の修繕]・[米国教育改革の方向性]
以前の「ミニ情報」最新の「ミニ情報」 布川のページ