高田城址公園の桜の花も咲き誇るこの佳き日に、専門職学位課程に 165 名の皆さん、修士課程 に 21 名の皆さんをお迎えして、大学院入学式を挙行できますことをお集まりの皆様とともに祝し たいと思います。
新入生の皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。上越教育大学の教職員を代表いたし まして、皆さんのご入学を心より歓迎いたします。
私たち教職員は、皆さんの思いが実現できるように様々な形で支援します。また、本学では、 より高度な研究を希望する方々のために、専門職学位課程と修士課程のその上に、連合大学院博 士課程も設置されています。この博士課程は、本学を含む 6 大学で構成されています。そうした 進路もあるということを覚えておいていただきたいと思います。
上越教育大学は、昭和 53 年 10 月1日に新構想の国立大学として設置されました。設立当初の 計画では、大学院は、現職教員の研修の場としての役割も担っており、入学定員の 3 分の 2 程度 は教職経験を持つ者を入学させるということになっていました。こうした形で、ほぼ同時期に開 学された教育大学は、本学以外に、兵庫教育大学と鳴門教育大学があります。本学も入れてこの 3 大学は、新構想の教育大学として、設置されました。
ところが、現在では、全国各地に教職大学院とも言われる専門職学位課程が開設されています ので、多くの場合、各都道府県や政令市の教育委員会からの派遣教員は、地元の教職大学院に派 遣されるようになっています。したがいまして、本学の教職大学院には、現在では教職経験を持 つ院生は 3 分の 2 もおりませんが、しかし、入学定員の規模の点では、東京都内にある東京学芸 大学に次いで日本で 2 番目に大きな教職大学院になっています。
ところで、皆さんは、どういう思いで本学大学院への入学を決心されたのでしょうか。教員に なるための免許状を取りたいということだとは思いますが、免許を取るためだけであれば、学部 でも取得できます。また、日本の教員免許状の取得は開放制という制度が取られていますので、 多くの大学では、教育学部以外の学部の所属であっても、教職課程の科目を履修すれば、教員免 許状が取得できるようになっています。
想像するに、学部時代は専門の勉強に熱中していて、教職科目を取らなかった、ということな のでしょうか。そういう方々は、特定の専門分野に強みを持った教師になることができます。ま た、教職大学院では、学部の教育実習とは違った学校実習を行いますので、より深く学校教育に ついて学ぶことができます。
本学には、教職大学院以外に修士課程もあります。こちらは 20 名の定員で、臨床心理研究コー スが開設されており、公認心理師や臨床心理士の受験資格が得られます。
大学院という場所は、学校教育法の第九十九条では、「学術の理論及び応用を教授研究し、その 深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培 い、文化の進展に寄与することを目的とする」と記されています。与えられた知識を学ぶだけで はなく、これまで以上に、自分の頭で考え、批判的思考によって、理論や実践をとらえなおし、 そこでの学びを実社会で活用できるまでに自己の能力を高めることが求められると言ってよいで しょう。
大学院での学びにも、基礎基本の理解は必要です。知らないことは学んで理解する必要があり ます。しかし、一方で、研究することや学問することは、そうした勉強としての学びというのと は少し違います。唯一の正解に到達するというよりもむしろ、様々な視点から物事を捉え、答え を生み出すような活動なのです。
「虫の目、鳥の目、魚の目」というような言葉もあります。虫の目で細部を見つめ、鳥の目で 全体を俯瞰し、魚の目で、流れの中で観察する、ということです。
流れの中で観察するということの一例を、哲学の歴史を用いて説明します。
哲学という学問は、紀元前の 6 世紀にギリシャで生まれたと言われています。最初の哲学は自 然哲学と名付けられていますが、万物の根源は何かという問いから始まりました。ミレトス学派 というグループのタレスは、「水」だと言い、アナクシマンドロスは、「無限なるもの」だと言 い、アナクシメネスは、「空気」だと言いました。たとえば、空気は薄くなると熱くなり、もっと 薄くなると火となる。逆に濃くなると冷たくなって水になり、さらにもっと濃くなると土や石に なると言います。科学的知識を学んできた皆さんにとって、「なんだか変なこと言っているな」と 感じるのではないかと思いますが、ポイントは、何と考えたかではありません。それまで、おそ らくは神話的な説明しかできなかった時代に、神話によらずに、世界の成り立ちを説明しようと した人たちが現れたということです。彼らは、おそらく、自分よりうまく説明する人がいたな ら、その人に席をゆずろうと考えたはずです。議論による学問が始まったととらえることができ るように思います。
その後、しばらくして、ソフィストとよばれる人々が現れました。彼らの同時代人にソクラテ スという哲学者もいました。ソフィストたちは詭弁を弄してお金を取ったりもしましたので、大 衆の反感を買ったと言われています。彼らの内の一人であるプロタゴラスは、「人間は万物の尺度 である」と言いました。認識の相対性を主張し、絶対的な知識とか道徳の存在を否定しました。 いいかげんなことを言う人たちが現れたということですけれども、彼らの存在は、思想史上、意 義のあるものとしてとらえられています。なぜなら、自然哲学者たちが、自然の成り立ちを問題 にしたのに対して、彼らは人間のありようを問題にしたからです。考察の対象が自然から人間へ と広がったのです。議論による学問が人間を対象とする方向へと変化したのです。
皆さんは、本学での学びを終えた後は、多くの方々が教職に就かれると思いますが、キャリア 論を専門とするジョン・クランボルツというスタンフォード大学教授が「計画的偶発性理論」と いう面白い考え方を述べています。彼は、調査データに基づいて、ビジネスで成功した人の 8 割 が偶然の出来事によってキャリアのターニングポイントを迎えていると言います。そこで、その 偶然を計画的に設計しようと提案しているのです。本学において、皆さんを教職へと向かわせる 偶然にたくさん出会えるといいなと、学長としては思います。
さて、大学院での学修にかかわることを語ってきましたが、この上越地域のこともお伝えして おきたいと思います。ここは、豊かな自然に囲まれた地域です。北には、日本海があります。海 の幸が豊かです。釣りもできます。海水浴場もあります。マゼランペンギンの数が日本一多いと いう水族博物館もあります。国道8号線を西に向かえば、上越市の隣の糸魚川市には、フォッサ マグナパークもあり、約 1600 万年前の東日本側の岩石と約 4 億年前の西日本側の岩石が接して いる様子を見ることもできます。東に向かえば、東隣の柏崎市には、恋人岬とも呼ばれる鴎が鼻 展望台があります。上越市から南下すれば、妙高山や火打山などの山々があります。里山での散 策も、本格的な登山もできます。山々にはスキー場もあります。温泉もたくさんあります。もち ろん豊かな山の幸もあります。大量のナウマンゾウの化石が発見された長野県の野尻湖まで車な ら 1 時間もかかりません。長野市も、新幹線で 20 分程度です。勉学に疲れたときには、こうした 豊かな自然やこの地域ならではの文化を楽しんでいただきたいと思います。
最後になりましたが、本日ご臨席いただきましたご来賓の方々、また遠方よりおこしいただき ました皆様には、ご参列いただきましたことを感謝申し上げますとともに、新入生の皆さんの学究生活をさまざまな形で支援することをお誓い申し上げて、告辞といたします。
令和7年4月7日
国立大学法人 上越教育大学長
林 泰成
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