またまた、前回のJ-style通信から長い時間が経ってしまいました。
前回取り上げたNHKの朝ドラ「あんぱん」も終了し、現在は、ラフカディオ・ハーン(ドラマ中ではヘブン)の妻セツ(ドラマ中ではトキ)をモデルとした「ばけばけ」が放送されています。
「ばけばけ」は、かならずしも史実に忠実に描かれているわけではなく、フィクションとして制作されています。「物乞い」や「らしゃめん(洋妾)」などの、NHKらしからぬ言葉も飛び交っていて、相当に冒険的な作りだなと思いました。NHK大阪放送局が制作を担当しているそうで、けっこう関西のコミカルなノリで描かれています。
最初は、明治時代に入って武士階級の人々が没落していくさまが、トキ(セツ)の家族の物語として描かれていくので、私はすごい時代だったのだなと驚きました。それぞれの藩を管理運営していた、いわば公務員のような存在の武士たちが、一斉に、働き口を無くしたのですから、ほんとうに驚くべきことなのだと思います。職にも就けないのに、武士の品格や家の格にこだわり続ける男たちの様子を見せつけられると、コミカルに描かれているので面白いとは思いますが、しかし同時に、悲哀を感じずにはいられません。ラフカディオ・ハーンのことは、私も、中学生や高校生の時代に、日本史(あるいは国語だったかもしれませんが)の中で学んできたはずです。しかし、そのときは、単なる試験で問われるかもしれない知識として記憶にとどめたにすぎなかったのです。
ドラマでは、こうした混乱の時代に日本にやってきたヘブンと、英語も理解できないままにその女中となったトキの二人が、怪談話などを通して、互いに惹かれ合うようになるプロセスが、今描かれている最中です。
ところで、人が物語を見たり、読んだりするのはなぜでしょうか。単なる娯楽という考え方もあるかとは思いますが、私は、自分が体験していないことを疑似体験して学ぶという一面もあると考えています。
最近読んだ本の中に、夏川草介の『スピノザの診察室』『エピクロスの処方箋』(水鈴社)という2冊の本があります。現役の医者が書いた小説で、内容はつながっています。私は、自分が上越に転居するまでの19年間を過ごした京都が舞台になっているということと、どちらにも哲学者の名前が出ているということから、本屋で思わず手に取ってしまいました。
医者がどういう仕事をしているのかについては、これまでの病院での患者としての体験から想像できる部分もあるようには思います。しかし、医者が、実際にどういう思いで患者に接しているかなど私にはまったくわかりません。けれども、この小説を読みながら、医療で人は救えないという言葉に思いをめぐらせたり、死にゆく者を見送る医者の立場などにも感情移入したりして、自分自身が実際には体験できなかったことを、物語をとおして自分自身の体験世界に取り込んでいくような感じがします。
これから教員になる皆さんは、多様な子どもたちや保護者の方々と接するわけですから、自分の実人生の他に、多様な疑似体験をとおしてさまざまな事柄に精通しているときっと役立つのではないかと思います。もちろん、映画やテレビでもよいのですが、まず活字を読んだあとで映像をみると、自分の描いたイメージと監督の捉えが違っている点が見えて興味深いです。ちなみに、『スピノザの診察室』は映画化が決定しているそうです。
とはいえ、ある主張をしても、反対意見もあることでしょう。今年に入って難波優輝の『物語化批判の哲学』(講談社現代新書)という本が出ました。この本は、「人生は物語ではない」という序章から始まりますが、私のここでの主張と、何が重なっていて何が違っているのかを考えながらお読みいただければ、おもしろいのではないかと思います。
令和7年12月18日
学長 林 泰成
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