寒さが和らぎ、春の息吹がキャンパスにも満ち始めたこの良き日に、学位記を授与される187名(専門職学位課程163名、修士課程24名)の皆様、ご修了まことにおめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
また、本日、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様、ありがとうございます。そして保護者の皆様、ご子息ご息女の修了まことにおめでとうございます。
修了生の皆さんは、通常であれば2年間、免許取得プログラムの皆さんは3年間、そして短期履修プログラムの皆さんは1年間、修士課程あるいは専門職学位課程の大学院生として学ばれましたが、初期の目的は達成できましたでしょうか。それぞれの専門は違いますから、個々人の目指した目的は異なるものだとは思いますが、教育を成り立たせているような原理についての問い、たとえば、「教育とは何か」「学びとは何か」「真理とは何か」「正義とは何か」といったことについての理解は深まりましたでしょうか。「深まった」と答えていただけるとありがたいとは思いますが、そう単純な話ではないとも思います。
私自身は、大学生のときには、教育学ではなく、哲学を学んでいましたが、たいへん不遜なことに、大学の講義など出なくても、その大学教員が書いた書物を読めば十分だと思っていました。教養科目では無駄話ばかりの授業もありましたので。しかし、博士課程前期課程(修士レベルということです)に入ると、本格的な大学院レベルのゼミ指導が始まり、しかもテキストはほとんどの授業が外国語で、慣れないドイツ語の哲学書を読み、中身について議論するのは骨の折れることでした。しかも、1年たってもテキストが読み終わらない。こんなことでは、一生かかっても専門家になどなれないなと思ったものでした。博士課程後期課程に入ると、指導教員には、授業というよりは、論文を指導していただくことが多くなり、ゼミ形式の読書会も外国語で行う形になりました。そのころになって私は、学内にいらっしゃった教育学の先生から、道徳教育についての指導も受けるようになりました。
さて、学校教育法の第99条には次のように記されています。「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする」。そして、続けてその第2項には、「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするものは、専門職大学院とする」と書かれています。法律の条文ですから、具体的な中身が書いてあるわけではありません。
具体的な中身は、文部科学省のガイドラインに沿って大学が定めたカリキュラム・ポリシーによって規定され、それに合わせた科目が設置され、さらに、授業で取り上げられる具体的な中身は、国が定めたコア・カリキュラムなどに準拠したり、その科目の親学問の体系に沿って各授業担当者が決めたりしています。
私の場合、現在では、授業担当者ではなく、学生指導もしていませんが、以前には、道徳教育の担当者は私一人しかいませんでしたので、実践から理論まで網羅的に取り上げようと努力していました。小中学校での飛び込み授業も、できるだけやらせていただこうと思っていましたし、それなりの数をやってきたつもりです。もちろん、何年も教師をやってきた実践家にはまったくかないませんが、しかし、たとえば、「モラルジレンマ授業は、こういう発達理論の考え方に則って、こうした授業展開になっているのだ」というような説明付きで、求めに応じて師範授業のまねごとをしていました。
100人程度の院生さんたちを指導してみて思うのは、それぞれの個性は変えられないし、変えない方がよいということです。それがそのひとの教員としての持ち味でもあるからです。結果として、私のゼミの修了生で、実践家として、あるいは大学教員として活躍している人たちは、その主張がばらばらです。こうしたことは、私がこうしてきたというだけのことであって、もちろん、人に押し付けるつもりはありません。
さて、先ほど、「教育とはなにか」「学びとはなにか」という問いをあげましたが、こうした問いは、さまざまな答えが想定される問いで、どう答えるのが正解かということが示しにくいものなのです。したがって、哲学的な議論の対象になるような問いなのです。場合によっては、「ひとまずそれは脇に置いておいて」、教育実践に入るということになることもあるかもしれません。しかし、他方で、その問いへの答えとして何を想定しているかが、その教師にとってのぶれない軸を作ることにもなると思うのです。たとえば、教育を、「知識の伝達」にすぎないと考えるなら、淡々と知識を教えればよいということになるでしょう。教育基本法にあるように、教育の目的を「人格の完成」ととらえるなら、知識の伝達だけですませようとはしないでしょう。どちらが良いか悪いかを論じたいのではありません。多様な子どもたちがいる中で教育を行うのなら、多様な教師がいてよいと私は思います。
したがって、修了生の皆さんには、ぜひ、自分らしい教育実践をやっていただきたいと思います。もちろん、法律や学習指導要領に準拠すべきことは言うまでもありませんが、その枠の中でも個性的な指導は可能だと思います。教壇に立つ皆さんの姿を見て、子どもたちが、「自分も先生になりたい」と思ったなら、こんなに素敵なことはありません。その際には、ぜひ上越教育大学を勧めてください。
教員養成にかかわることを述べてきましたが、本学には修士課程もあります。臨床心理士や公認心理師の資格を取得してご活躍いただきたいと思いますが、本学に設置されている点で、教育にも詳しい心理士としてご活躍いただければ、たいへんありがたいと思います。
また、教職関係や臨床関係の職に就かない方々もいらっしゃると思いますが、本学での教育に関係する学びは、役立つものと思います。教育に関する学びには、子どもの成長にかかわったり、人間関係に関わったりするものも含まれているからです。
修了生の皆様のご健勝とご活躍を祈念し、告辞といたします。
令和8年3月19日
国立大学法人 上越教育大学長
林 泰成
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